二部
第23話:妹、夢を見る
そこは、とても普通の部屋だった。
天蓋なんかついていないベッド、ゴージャスな柄なんてない無地の壁紙、フローリングの上に敷かれたちょっとだけふわふわのカーペット。
私ことスール・ルクスリアが、かつて使っていたものによく似た部屋。
だからこそ、私はまずこう思った。
(あっ、これ夢だ)
なぜかといえば、かつてというのはそんな近い昔のことじゃない。
具体的に言ってしまえば、このスール・ルクスリアの前世をさしているからだ。
(懐かしいなあ。前世の記憶を取り戻したばかりのころは、よく見てたっけ)
思わず、そんな感想を抱いてしまう。
十三才という精神に引きずられていたからか、私は時々前世の夢を見てはホームシックを患っていた。そのたびにお兄ちゃんに慰めてもらっていたのだけど、あれがなければ私の精神はだいぶ不安定になっていたかもしれない。
それこそ、配役通りにお兄ちゃんをいじめてしまっていたかも。
ここでいうお兄ちゃんというのは、スール・ルクスリアの実兄、セザール・ルクスリアの方ではない。
私にはもう一人お兄ちゃんがいる。
私と一緒にこの『サンドリヨンに花束を』という乙女ゲームに転生してしまった、前世でのお兄ちゃんだ。
乙女ゲームに転生。
冗談みたいな話だけど、これは真実である。詳しい話は1部の21話を読んでください。
ちなみにお兄ちゃんが転生したのは、『サンドリヨンに花束を』の主人公、フレール。
大好きな――本人にはなかなか言えない本音だけど――お兄ちゃんが大好きなキャラに転生するとか、これってなんて私得?
などと喜んでいられないあたり、女神様も意地が悪い。
なぜなら私が転生したのが、よりにもよってこの主人公をいじめる意地悪な令嬢。王城ルートでも教会ルートでも破滅が約束されている悪役令嬢なのだ。
お兄ちゃんもといフレールのハッピーエンド=私の破滅。
詰んでない?
とはいえ、お兄ちゃんは転生しても女の子になっても、私のヒーローだった。断固として破滅はさせまいと、がんばってくれていた。
……うん。そうです。過去形なのです。
これは別にお兄ちゃんに見限られたとかそういうのではなく、諸々の事情があるわけで。
端的に言ってしまえば、お兄ちゃんと攻略対象が恋に落ちてしまったのだ。
もう一度言います。
お兄ちゃんと!攻略対象が!
恋に落ちました!!
彼女いない歴=年齢というお兄ちゃんの恋愛経験のなさが、こんなところで悪い方に転がるとは。このスールの目をもってしてでも読めなかった。
私、前世ではバリバリのオタクではあったけど、BLよりはNLが好きだったからね。まさか実のお兄ちゃんが精神BLになっちゃうとは思ってもいなかった。この例えをお兄ちゃんに言ったら「BLじゃ!!ない!!」って本気で怒られたけど。
あくまでもフレールという女の子として男を好きになったのであって、男として男を好きになったわけじゃないというのがお兄ちゃん談。
違いがわからなかった。
専門家に言ったら某プロレス漫画の有名コラみたいに「違うのだ!!」されそうだから、ここでは深く語るまい。
大事なのは、お兄ちゃんが攻略対象とのルートに入ってしまったことだ。
つまり、私の破滅フラグが立ちやすくなってしまったのである。
まあこれは二の次で、どちらかといえばあのスケコマシが私のお兄ちゃんを攻略してしまったことの方が何倍も問題なんだけど(いつか痛い目にあわせてやりたい)、話が脱線するので割愛。
お兄ちゃんは絶対に私を破滅させたりなんかしないと言ってくれたけど、この世界にはどうやら修正力だか強制力だかがあるらしく、スールの立場を悪くするような心証が形成されやすい。本格的にルートに入ってしまった以上、身に覚えがない罪をかぶせられる可能性はゼロではないのだ。
あと、これが一番の問題。
お兄ちゃんと恋に落ちてしまったのが、私がまだプレイしていない隠しキャラ。
王城ルートメインキャラクター、ジャン=ジャック・スペルビアの義兄。他のルートでは暗殺者として登場する、ジャン=クリストフ・スペルビア、通称アサシンなのだ。
既に攻略したことがあるキャラなら、その経験を生かして破滅フラグを回避するのも容易い(かもしれない)。しかしこのアサシンルートに関しては、他ルートに比べると主人公の致死率が高いこと以外の知識がゼロだった。
「お兄様を危ない目にあわせないためにも、アサシンルートの知識が欲しい。妹さんは、常々そう思っていらっしゃいましたね?」
「そうそう、そうなのよ。このルートだと何がお兄ちゃんのデッドエンドに繋がるかわかんないし」
聞こえてきた問いかけに頷いてから、ハッとなった。
えっ、誰!?
勢いよく声がした方を振り向くと、そこにはお兄ちゃんがいた。
「おにい……」
反射的に呼びかけそうになって、途中で口を噤む。
そこにいたのはお兄ちゃん。
もとい、『サンドリヨンに花束を』の主人公、フレール。
しかし、フレールの髪は黒髪だ。決して銀色ではない。
銀色の髪をした、性格が悪そうな表情のフレール。その特徴を見て、ピンと閃くものがあった。そうだこれは、お兄ちゃんが前に言っていたやつ。
「性格が悪そうな表情って、随分と失礼ですねえ」
「そうやって心を読むからそう思われるんですよ、女神様」
呆れた顔を向ければ、銀髪の自称神様はてへぺろとばかりに舌を出した。
くっ、フレールの顔だから可愛い!性格悪そうなのに!
「こんなにも誠心誠意ある対応をしていますのに、性格が悪いだなんてそんな」
「だからそういうところが……っていうか、なんで急に出てきたの?私、階段から落ちてないんだけど」
「別に階段からの転落が私を召喚するための儀式ではないんですけど。まあいいでしょう。さくっと本題に入りましょう。長々と話をしても、
ちょっとまって、今なんて言った?
「簡単に言ってしまえばこれは、ボーナスステージってやつですね」
「専門用語で説明しないで?」
「おっと失礼、
失礼な単語にルビが振られた気がするのは気のせいだろうか。
そんなことを思っていると、自称神様は小さく笑った。
「論より証拠と申しますし。実際に見ていただいた方が早いですね」
「あっ」
そして消えた。
説明!!しろ!!
憤慨する私の耳に、がちゃり、とドアの開く音が届いた。
「ん…?」
そちらに視線を向ければ、スーツを着た女の人が部屋に入ってくる。
見覚えはない。ないけれど、なんだかシンパシーのようなものを感じた。オタクなら一度は経験があるんじゃないだろうか。見た瞬間に、あっこの人同類だなって感じ取るようなやつ。
私の勘は的中していたようで、女の人は着替えもそこそこに、流れるような手つきでパソコンを立ち上げる。そしてヘッドホンを装着しながら、アイコンをダブルクリックしてゲームウインドウを開いた。
見覚えのあるムービーが一瞬だけ流れて、すぐにスキップされる。
そうして表示されたのは、『サンドリヨンに花束を』というゲームロゴだった。
「えっ?」
思わず声を出し、慌てて口を押さえる。
女の人は私に気づいた様子もなく――気づくなら部屋に入った時点で気づくだろうから、多分私が見えてないんだろう――「つづきから」にカーソルを合わせた。
このゲーム、PC版もあるんだった。
懐かしいなあなどと思っていると、女の人はいくつものセーブデータの中から、一番データ時間が新しいものをロードする。
ゲームウインドウに映し出されたのは、主人公のフレールとアサシンの立ち絵。
アサシンは暗殺者の恰好ではなく、王子の服を着ている。隠しルートを攻略中なんだろうかと思いながら画面を覗き込んだ私は、顔をひきつらせた。
(なんでフレールが拘束されてるの!?)
主人公フレールの立ち絵は、ネグリジェにプラス拘束具。
手首を縛られたまま、怯えたような表情差分を浮かべている。
『クリス様……』
『……』
メッセージウインドウに表示されるフレールの呼びかけと、クリストフ王子の無言。
『どうしてこんなことを――きゃっ!』
沈黙するクリストフ王子にさらに言い募ろうとしたところで悲鳴。メッセージウインドウが上下に揺れ、立ち絵の代わりにスチルが出た。
クリストフ王子が、フレールをベッドに押し倒す。
そんなイラストが、ゲームウインドウに表示される。
画面の端には床に倒れている男の人と、その人を中心に広がる血だまりが映り込んでいた。
『お前を、誰かのものにするくらいなら……』
『ぁ、ぅ…!』
苦しげな台詞とともに、スチルの一部が変化する。
首を絞められているフレールの差分が表示された後、画面が暗転した。
『殺してでも、俺のものにする』
メッセージウインドウに表示される、不穏な一言。
私には、声も音も聞こえていないけど。
ごきっという嫌な効果音がしただろうことは、嫌でも察しがついた。
「ボーナスステージです。この情報を元に、がんばってお兄さんのデッドエンドを回避してくださいね☆」
腹が立つほど明るい声が後ろから聞こえ、私の意識も暗転した。
「~~~~~~~~っっ!!」
声にならない悲鳴を上げながら、勢いよく上体を起こした。
「はあ…はあ…」
荒くなった呼吸を鎮めるように、胸を押さえる。
わざわざ確認しなくても、ドレスが寝汗でびっしょりなのは嫌でもわかった。
(……えっと)
呼吸を整えてから、記憶を掘り起こす。
(確か、お兄ちゃんがおやつを作ってくれるって言って。待っている間にうたたね……しちゃったのかな、これは)
部屋に時計がないから正確な時間はわからないけど、体感的には三十分も経っていないと思う。
そんな短い時間で見た濃厚な悪夢を思い出した私は、ベッドから下りると部屋を飛び出した。
すれ違ったメイドさんに駆け足を諌められたけど、そんなこと気にしてはいられない。
廊下を走り、階段を駆け下り、目的の場所――厨房へと辿り着いた。
「お兄ちゃん!!」
「!?!?!?!?!?」
声を上げて中に入ったと同時に、がっしゃーんと大きな音が響いた。
思わず目を閉じて、恐る恐る開く。
厨房の中には、両腕を前に突き出したお兄ちゃんと、お兄ちゃんの腕の先で尻餅をつき、頭からボウルを被っている浅黒い肌のイケメンことクリストフ王子がいた。
一瞬呆気にとられたけど、すぐに我に返って中に入った。
「ど、どどどどうしましたかスール様!」
なぜか声が上ずっているお兄ちゃんを無視して、二人の間に割って入る。
そして、大きな声で宣言した。
「お兄ちゃん!即刻この危険人物と別れて!」
「「……は?」」
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