第20話:第一王子、困惑する

 気まずい。

 何度も通ってきたルクスリア家の門を見ながら、俺は思わず顔を顰めた。


「兄上?」


 立ち止まってしまった俺を、義弟であるジャン=ジャックが怪訝そうに見つめる。俺とは似ても似つかない優男の顔に案じられると、少しばかり居心地が悪い。

 義弟の顔が悪いというわけではない。

 ただ、足を止めた理由が理由なので、心配されると据わりが悪かった。


「なんでもない」

「でしたら、早く入りましょう。スールが待っていますよ」


 そう言って、ジャックは門の向こうへと歩き出した。

 スールという名前を口にする時、声が弾んでいることをこの義弟は自覚しているのか。俺の後ろばかりついて回っていたころを考えると良い変化だが、我が弟ながらちょろすぎはしないだろうかと少し心配になった。

 そんなことを思っている間にも、ジャックはどんどん歩いていく。

 距離が開きすぎないよう、俺はその後を追いかけた。





 俺の名前は、ジャン=クリストフ・スペルビア。

 オリエンス王国の第一王子である。

 自分の息子を次期国王にしようと目論んだ継母の策略で一度は王城を放逐された俺だったが、紆余曲折を経て元の鞘に収まり、継母を逆に放逐した。

 その後は第一王子として、義弟とともに父上の補佐をしている。

 継母を追いやったことは全く後悔していないが(俺が手回しをせずとも父上やジャックはだいぶ腹を立てていたので)、第一王子の座に再びついたことは少し悔やんでいた。第一王子という地位は、俺の恋路には荷が重かったからだ。


 そう、俺は恋をしている。

 恥ずかしながら初恋というやつだ。

 相手が貴族の令嬢なら何も思い悩むことなどなく、他の虫がつかないよう婚約を結んでいただろう(根が真面目なジャックは、貴族の令嬢に片思いをしているくせにそういう考えには至らないようだが)。しかし、俺が恋している相手にはそれが難しかった。


 フレール。

 家名すらない身分の低い少女が、俺の想い人だった。

 王城を放逐されて行き倒れていた俺を救った、命の恩人でもある。




 フレールは、とにかく変わった女だ。

 リンゴを無理やり割ったかと思うとそれを差し出し、警戒する俺が拒否をすれば怒鳴り声を上げて口にねじ込んできた。厚意を素直に受け取れなかった俺にも非はあるが、それにしたってあれはないと今でも思っている。

 しかし、あのリンゴのおかげで俺は命を繋ぎ、義弟との仲もこじれずにすんだ。

 あの時の俺はジャックが継母と結託して俺を追い出したと思い込んでいたので、継母のことはもちろん、あいつのことも空腹の中で憎く思っていたのだ。フレールにリンゴを与えられ、思わず逃げてしまったあの後。必死の形相で俺を探していたジャックと巡り合わなければ、仮に命を繋いでいたとしてもあいつのことを恨み続けていただろう。

 その恩はどうしても返したかった。

 そして、彼女の言いつけを破って去ってしまったことを謝りたかった。

 使者に伝言や手紙を託すのではなく、俺の口から直接。


 誤算だったのは、継母を放逐してから俺の立ち位置が盤石になるまで一年という月日を要してしまったことだろう。ルクスリア家の使用人だということしか確かな情報がなく、当主に話を聞けば誰も我こそはと名乗り出なかったこともあいまって、屋敷を訪れた日はなんともいえない緊張感ともどかしさがあった。

 だというのに、一年前に出会った少女の面影を残すメイドは厚化粧などというふざけた変装で俺と対峙した。

 騙し討ちのような形で無理やりメイドと二人きりになった俺を、誰が責められようか。

 その時はスール・ルクスリアが何かしら企んでいるとなぜか確信に近い形で思い込んでいたので、彼女にとっては仕える主とわかっていながらも辛辣な評を下してしまった。あれは我ながら愚かだったと反省している。


 しかし、そこで胸ぐらを掴まれ、ガンを飛ばされたのは予想外だった。

 相当腹に据えかねたのがわかったが、それにしたって年頃の娘がやるようなことではない。路地裏での粗野な言動は正直記憶違いだと思っていたのだが、どうやら記憶違いでもなんでもなく、あれがフレールという少女の素だったらしい。

 勇ましくてちょろい、お人好しの娘。

 本人は化けの皮を被っている時はおしとやかにしているつもりのようだが、どれだけ丁寧に喋ろうとも端々から生来の勇ましさが滲み出ていることにはたして本人は気づいているのか。


 そんな彼女を見て、面白いと思った。

 俺の周囲にいるのは、俺に対しておべっかを使い、媚を売る女ばかり。そうでなくても、上品というドレスを身に纏った大人しい女が多かった。

 俺に対して怒りを露わにし、男友達というものがいればこんな感じなのだろうと思う口調と態度を向ける姿に、俺はたいそう興味を惹かれたのだ。


 そう、最初は好奇心だった。

 面白い女に絡んでやりたいという思い。

 傍に置いたらさぞ毎日が愉快なことになるだろうという考え。

 そこにやたらと距離が近くなりつつあった義弟から離れたいというのもあって、時間を作っては訪ねに行った。頃合いを見計らって王城にヘッドハンティングして、俺付きのメイドにでもしようと目論んでいた。


 そうして会いに行くたびに、あいつは色んな顔を俺に見せた。

 好奇は瞬く間に好意に変わり、気づけば好意は恋になっていた。

 どうしようもない恋だ。

 手を出せば遊びだと思われるだろうし、本気で自分のものにしようとするなら自分にも相手にも多くのものを捨てさせないといけない。想いを吐露する段階を見誤れば、相手を頑なにさせることもわかりきっていた。

 だから、俺の手をとってくれるという確信が持てるまで距離を詰める算段だった。

 あんな変わった女を、変わったところまで含めて惚れるような男は自分だけだろうという慢心もあった。



 それが誤りだったと知ったのは一ヶ月前。

 執事長のイーラがフレールと知り合いで、二人は好き合っていることを知らされた。はっきりそうと言われたわけじゃないが、イーラの言い回しではそうとしか考えられない。

 再会したのはつい最近と言っていた。

 その前に俺がフレールに想いを伝えていれば、何かが変わったかもしれない。

 たらればにしかすぎないのはわかっている。それでも、イーラの話を聞いてからずっとそんな考えが頭の中を駆け巡っていた。


 だから、久しぶりにフレールのところに行けた四日前、魔が差した。

 あいつがあまりにも屈託なく笑うものだから。

 いとも容易く、俺に作った料理を食べさせたかったと言うものだから。

 思わずその唇を奪ってしまった。

 その後は逃げるように帰ってしまったものだから、顔を合わせるのは非常に気まずい。その上、今日こうしてジャックとともにやってきたのは、昨日ルクスリア家から使者が訪れ、フレールのことで話があるから急ぎ屋敷に来るよう言伝を持ってきたからだ。


 厚化粧の一件を考えると、フレールはいざという時は主人に泣きつくことも厭わないだろうから、十中八九口づけのことだろう。

 スール・ルクスリアは自分のメイドをたいそう溺愛しているので、泣きつかれれば俺が王子だということなど気にせず対策をとるのは目に見えている(フレールに頼まれてあいつに厚化粧を施したらしいと聞いた時は変なところで貴族界のルールに無頓着な令嬢だと思ったものだが、あれはフレールのためならなんでもやるだけなのだろう)。

 俺に直接ではなく、ジャックを通して逃げ場をなくしてくる辺り、本気度が窺えた。

 ジャックの好意に気づいている様子はないのに手玉にとってしまうとは、なかなか悪女の才能がある令嬢だと思う。





 気まずい思いのまま、俺達はメイドに案内され、スールの部屋の前までやってきた。


「スールお嬢様、ジャン=クリストフ王子並びにジャン=ジャック王子をお連れしました」

「どうぞ、お入りになってください」


 ノックの後にメイドが声をかけると、中から返事が返ってくる。

 その声はスールではなく、なぜかフレールのものだった。主ではなくメイドが返事をするだけでも奇妙なことだったが、聞こえてきたその声は扉を隔ててなお女性らしい物腰の柔らかさがあった。

 思わず、ジャックと顔を見合わせる。

 その間にメイドは扉を開け、そこから小さな啜り泣きが聞こえてきた。

 部屋の中に入れば、ベッドに座り込んだスールが、同じくベッドに腰かけたフレールにしがみついているのが見えた。豪奢なドレスに包まれた肩は小刻みに震えており、それに合わせて聞こえる湿った声が、彼女が泣いていることを知らしめている。


「スール!?どうしたのですかっ」


 かの令嬢に懸想しているジャックが、まず声をかけた。

 それでようやく、俺達のことに気づいたらしい。泣き声がいったん止むと、子供のように涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたスールが顔を上げた。

 後ろで、扉が小さく音を立てて閉まる。

 直後。


「お兄ちゃんに何したのよぉ、馬鹿ぁ!!」


 涙混じりの怒鳴り声が部屋中に響いた。

 あの細い体のどこからそんな音量を出したのかと言わんばかりの大声に、俺達の両肩は揃って跳ねた。目を白黒させていると、ベッドから飛び降りたスールが俺の方に大股で歩み寄ってきた。

 そのまま、勢いよく両の拳を俺の胸に叩きつけてくる。


「ぐほっ」


 普通に痛かった。こういう時は勢いに反して弱々しいものじゃないのか、令嬢。

 蹲るのを我慢している俺に、スールは容赦なく追い打ちをかける。幸い最初の一撃ほど力はなかったため、なんとか耐えることができた。


「返してっ、私のお兄ちゃんを返してよぉ!うわあああん!」


 俺の胸板に連打を加えている間、スールは泣き叫びながらそう訴えてきた。

 兄。

 彼女の兄は確か、騎士修行に出ているはずだ。

 全く面識はないし、ましてや何かした覚えもない。思わず説明を求めるようにフレールの方を見ると、彼女は困ったように笑った。

 際立って端整とは言い難いが、その分愛嬌のある顔立ちが笑みを作る。

 それを見て、なぜか胸が大きく高鳴った。

 隣にいるジャックの顔が赤らんで、頬の熱を振り払うように慌てて首を振っているのが視界の片隅に映る。好いた娘がいるのに他の女に胸を高鳴らせてしまったのが許せなかったのだろうと、義弟の行動をそう推測した。

 笑み一つで簡単に俺達の心を揺らして見せたフレールは、申し訳なさそうに口を開く。


「申し訳ありません、ジャン=クリストフ様。スール様は昨日から、ずっとそのように泣きじゃくっておられまして……」

「……お前は」

「?」

「お前は、一体誰だ」


 そう呟くと、フレール――否、フレールと同じ顔をした見知らぬ娘は、また困ったように笑みを浮かべた。





「私はフレールですが、クリストフ様が知っているフレールではないのでしょう」


 泣き疲れて眠ってしまったスールをジャックに預け、近くにあった客室で俺と二人きりになったフレールは、そんなことを口にした。


「一年と半年前でしょうか。私はスール様を巻き込んで、階段から転落しました。その時、どうやら私は前世の記憶とやらを思い出したようなのです」

「前世の」

「ええ。にわかに信じがたいお話かとは存じますが、少なくとも私にとってはそれが事実です。以来、フレールは前世の記憶が主体となっていたのですが、昨日数日ぶりに目覚めた私の中に前世の記憶は残っていませんでした」

「……」

「その間の記憶もおぼろげで……。特に寝起きは階段から転落する直前の記憶ばかり強く、スール様が私のことを兄のように慕ってくださっていたのも忘れて、首を傾げてしまいました。それからというもの、スール様は深く悲しんでおられて……」

「そうか、お前のことを兄のように……兄?」


 普通に流しかけたが、途中で首を傾げた。


「兄、です」

「姉ではなく?」

「兄です」

「……?」

「私の前世がその、スール様の前世の兄御らしいのです」

「なるほど…?」


 だから、兄を返せと言っていたのか。

 逆説的に考えるとすなわちスールも前世の記憶とやらがあるということなのだろうか。仮にも義弟が懸想している相手なので、気にはなる。とはいえ、そこは話の本筋ではない。ひとまず脇に置くことにした。

 今一番の問題は、なぜフレールから前世とやらの記憶が消えたかということだ。

 心当たりは一つしかないが。


「フレール。その。記憶はおぼろげだということだが……」

「四日前のことでしたら、思い出しております」

「……それが原因だと思うか?」

「おそらくは。あの後、深く思い悩んでいたようなので」

「……」


 その返答に、俺は顔を顰めた。

 前世が男ということには、さほど衝撃を受けていない。何なら納得がいったくらいだ。

 しかし、そういうことなら前のフレールは俺に口づけをされてさぞショックを受けたのだろう。ショックを受ける原因であった、前世の記憶とやらをなくすくらいには。


「……お前は」

「はい?」

「お前はあれを、どう思った?不快だったか?」

「いえ。驚きはしましたけど、その、クリストフ様の想いは伝わってきましたので……」


 そう言いながら、フレールはそっと顔を逸らす。

 髪の間から見える耳が赤く染まっているのを見て、また胸が強く高鳴るのを感じた。



 ふと、今のフレールとなら何の問題もなく幸せになれるのではないかと思った。

 身分の差は変わらないが、前の彼女と違ってこのフレールはおそらくスールにそこまで執着していない。このまま交流を深めていけば、このフレールは俺を選んでくれるだろう。そんな気がした。

 また、このフレールには男性性がなく、何よりイーラとの最近のやりとりを忘れている可能性すらある。

 身分以外に俺の恋路を阻む要素がないのだ。今のフレールには。


「……」


 横顔を見つめる。

 胸は今も高鳴っている。今は以前と変わってしまったという戸惑いが強いが、交流していくうちにその戸惑いも消えて、俺はこの娘を改めて好きになるだろう。

 なぜか、そんな確信があった。

 むしろその方が正しいあり方だと、そう囁く声すら聞こえる気がする。

 少し話しただけでも、この娘が以前のフレールのように人が好いことはわかった。例えあの路地裏で出会ったのが以前のフレールではなくこのフレールだったとしても、彼女は俺のことを助けてくれただろう。

 だからきっと、変わらない。

 不快な思いをさせない分、以前のフレールに懸想をし続けるよりは良いに違いない。




『……いいから素直に食べろ!意地張るな馬鹿!』

『王子様がどれだけ偉いか知らないけど、憶測だけでこれ以上侮辱するようならそのお高い鼻が曲がることになるぞ』

『だって、化けの皮を被ってない方がお好みなんだろ』

『じゃあ食えよ。正真正銘のできたてを行儀悪くつまみぐいできるのは、作った奴の特権だ』

『だーめ。俺の分ちょっと分けてやるからそれで我慢しな』

『話聞いてくれたお礼な。スール様達には内緒だぞ』

『クリス様のおかげで作れたから、お前にも食べてほしかったんだよなあ』



 そう思うのに、俺の脳裏によぎるのは以前のフレールの言葉で。



『あっ、生きてた!よかった!』



 寒い路地裏で、心底安心したように俺に駆け寄る彼女だった。




「でも、クリストフ様は、前のフレールが好きなのでしょう?」

「っ」


 不意にフレールからそんなこと言われ、肩が跳ねた。

 いつの間にか彼女から外れていた視線を向け直せば、微笑ましそうな表情を向けられる。

 それにも胸が高鳴る。けれど、俺が笑顔を見たいと思うのはこのフレールではない。

 勇ましく、ちょろく、女とは思えない粗野な言動で、しかし時々頬に熱が集まる可愛らしさを見せてくれるあの娘に、俺は恋をしたのだから。


「……ああ、そうだな。俺が惚れているのは、今のお前じゃない」

「ふふっ」


 我ながら失礼な言い回しだと思ったが、フレールは笑みを深くしただけだった。

 その表情のまま、彼女は座っていた椅子から立ち上がった。そして扉の前に向かうと、ノブを回して扉を開ける。


「クリストフ様、こちらへ」

「ん?」


 突然のことに首を傾げつつ、俺は素直に彼女の後に続いた。

 部屋を出た後、迷いのない足取りでフレールは廊下を進んでいく。その後を歩けば、彼女は階段の前で足を止めた。

 くるりと振り返ったフレールが、ジッと俺の方を見る。


「クリストフ様」


 そうしてしばらく見つめた後、フレールはそっと目を閉じた。


「前の私が帰ってきたら、ちゃんと仲直りしてくださいね」

「えっ」


 その物言いと、場所、そして先ほど聞いた言葉。

 それらが合わさり、嫌な予感がしたのも束の間。




 フレールは何の躊躇いもなく、階段の下に向かって飛び降りた。

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