第16話:兄、提案される
執事長こといー兄さんの話は、妹にはしないことにした。
殺されかけたと言えば、アサシンと結託していー兄さんを社会的に抹殺しそうなところが妹にはある。あいつは一度敵と認識すると容赦ないのだ。
アサシンは継母を追い出した実績があるので言うまでもない。
いー兄さんには小さいころお世話になったのだ。
俺のことが原因で路頭に迷わせてしまうのは忍びない。
いやまあ、あの人なんだかんだたくましかった気がするから(現にお城の執事長に上り詰めているし)国外追放されても大丈夫そうだし、いきなり物理的排除を行使しようとしたので自業自得ではあるんだけど。
ともかく、それでも俺にとっては幼馴染のお兄さんだ。
安定した地位にいるならそこで幸せになってほしい。
つまり、俺はあの時のことをなかったことにした。
なかったことにしたかったんだ、わかるだろう。わかってくれ。
だって明らかに面倒事のにおいしかしないし!
別れ際、駆け落ちなんて万が一持ち込まれた時にはこっちで断るからいー兄さんも綺麗さっぱり忘れて執事長業に励んでほしいと伝えた。かなり念押しした。
その言葉通りに忘れてくれたと信じて、俺もお兄ちゃん業兼メイド業に戻ったのである。
だが、現実はそう甘くなかった。
「ふんふっふー、ふー♪」
調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、俺はルクスリア家の厨房でそわそわしていた。
待ち人が来る時間まであと十分くらいだろうか。
今日ほどアサシンが来るのを心待ちにした日もない。
なぜなら今日は、お土産にレモンを持ってきてくれるからだ。
俺の好物は柑橘類である。
前世だと冬場こたつで食べるみかんは欠かせなかったし、蜂蜜レモンも自分で作った。紅茶にもレモン派で、清涼飲料水も柑橘味のものを好んで摂取していた。
しかし、この世界だと柑橘類はあまり食卓に並ばない。
なぜならこの辺りは栽培に適さない環境らしく、柑橘類は高価な部類に入る食べ物なのだ。
それを知った時、俺は泣いた。
好物を気軽に食べられないなんて、そんなことがあるだろうか。
和食みたいに最初から無理ゲーなら諦めも簡単につくが(嘘です。しょっぱい調味料で出汁巻きっぽいのを作ったり、魚を網で焼いて大根っぽい野菜をおろしたものを一緒に食べたりと試行錯誤をしている)、柑橘類はなまじルクスリア家の財力ならそれなりに手に入るので悩ましかった。
妹経由で調達してもらったのを食べるのにも限度がある。
そんな折、俺の愚痴を聞かされていたアサシンが「それなら今度レモンを持ってくるが」と言ってくれたのだ。
反射的に「大好き!!」と叫んでしまった俺を誰が責められよう。
アサシンは手のひらで顔を覆って「気安くそういうことを言うな」とか言われたし、聞こえてしまった妹には「勘違いしたらどうするのよ!」とこっぴどく怒られた。酷い。
閑話休題。
つまり心置きなくレモンが食べられるのである。
ありがとうアサシン!ありがとう王族!
レモンはさすがに生のままむしゃむしゃ食べるのはハードルが高いので、煮沸消毒した瓶と蜂蜜をスタンバイして、レモンの蜂蜜漬けを作れるように準備は整えていた。砂糖は貴重なんだが蜂蜜は入手しやすいんだよな、この世界。さすが蜂蜜の歴史は人類の歴史とまで言われているだけはある。
ちゃっかり俺の分も作れと言われたが、これにはいちにもなく頷いた。
お気に召したらまた持ってきてくれるかもしれないしな、布教には手を抜かないぜ。
「……おっ!」
るんるんと鼻歌を歌っていると、足音が聞こえてきた。
厨房の方へと近づいてくる。椅子から立ち上がり、スキップで入り口の方へと向かった。
ここでおかしいことに気づくべきだった。気づいたところで何が変わるわけでもない気がするが、それでも心構えくらいはできただろうから。
なぜなら、アサシンなら足音が聞こえるはずがないのだ。
あいつは何度言っても無意識のうちに足音を殺してしまう、生粋の忍者なので。
「クリストフ様!レモ……ン……は?」
意気揚々と厨房を飛び出した俺は、飛び出したままのポーズで固まった。
「こんにちは、フー。元気そうですね」
さわやかな香りがする木箱を抱えて、俺に微笑みかけるイケメン。
それはアサシンではなく、執事長こといー兄さんであった。
「な、なんでいー兄さんがここに!?」
「フー。使用人たるもの、挨拶を欠かしてはいけませんよ」
「あ、すいません。こんにちは、いー兄さん」
「はい、こんにちは」
「じゃなくて!なんでここに!」
今日来るって聞いてないんですけど!
どうしてこの世界の人間には報連相って概念がないんだ。脳に刻み込め!
憤慨する俺とは対照的に、いー兄さんは涼しい顔で口を開いた。
「ジャン=クリストフ様は本日、急務につきこちらへは来られません。ジャン=ジャック様も同様のため、わたくしイーラがその旨をお伝えに来た次第です」
執事長モードで恭しく言いながら、いー兄さんは木箱を軽く掲げてみせた。
なるほどと、俺は怒りを引っ込めた。
それならアポイントメントなしにやってきてもおかしくはない。というより当然だ。納得いかないのはそれっていー兄さんの仕事か?ってくらいである。
「本当は小間使いが用向きを任されていたのですが、フーの顔を見たくて譲ってもらいました」
「そう……」
本当にいー兄さんの仕事じゃなかった。
なんだろう。現場を見ていないしいー兄さんが職場でどういう感じなのかはさっぱりわからないけど、なんか職権濫用したんだなってなるのは俺の気のせいだろうか。
……気のせいだな!うん!
動機について考えると藪蛇になる予感がしたので、俺はそれ以上考えるのをやめた。
ついでに言及も止めると、厨房に入りやすいよう入り口から体を退かした。
「重たいものを運んでくださり、ありがとうございます。さ、中に入ってください」
「ありがとうございます」
お互いメイドモードと執事長モードでやりとりを交わしながら、俺はいー兄さんを厨房の中に通した。
木箱を下ろした後、いー兄さんはテーブルの上に並べてある瓶に目を向けた。
「瓶と蜂蜜ですか。何を作るつもりだったのかな?」
「レモンの蜂蜜漬けを作ろうかなって」
「なるほど。それはおいしそうですね」
「クリストフ様の分はどうするかなあ」
幼馴染モードで話をしつつ、俺は腕を組む。
代理できたというのだからいー兄さんも長居はできまい。
ひとまず予定通りに漬けてから、今度来た時に渡せばいいだろうか。でも急務が入ったってことは、次いつ来るかわからないからなあ。
日持ちはするが、冷蔵庫がないから一ヶ月が限度だろうし。
「私が直接お届けしますよ。時間は作りましたので」
長居できるらしい。
執事長ですよね?執事長ってそんなホイホイ時間とれるものなんです?
職権濫用してないだろうなこの人と藪蛇を通り越して心配になっていると、いー兄さんは普段アサシンが使っている椅子に腰かけた。
あっ、長居する気満々だこの人。
とはいえ、お土産に持って行ってくれるならありがたい。
俺は気を取り直すと、木箱からレモンを取り出した。
木箱の中には大ぶりのレモンが十個あった。
日本のレモンと品種が違うのだろうか。いや当たり前か。
十個一気に調理するのは瓶の数的にも厳しいので、残りは料理長に使ってもらうことにして、半分の五個を台の上に並べる。
柑橘特有のさわやかな匂いに顔をほころばせながら、皮の表面についた汚れを落とすように丁寧に水洗いを始めた。化学農薬とかない時代だろうから、神経質にゴシゴシしなくても問題ないのはありがたい。
清潔な布巾で水気を拭ってから、次に皮を剥く作業。
ピーラーを恋しく思っていたのは過去の話。
数をこなすことで経験値を得た今、包丁の扱いにもすっかり慣れたものである。レモンの皮は元からピーラーで剥かないだろうとか言わない。
白い部分をギリギリまで削ぎ落とすように皮を剥き、皮からも同様に白い部分をこそげ落とす。この白いところは苦味のもとなので、極力なくすのが俺流である。香りは皮の方が強いし、そっちも蜂蜜に漬けるとうまいのでそれは一緒に瓶へ入れるという寸法だ。
レモンピールもなー、好きなんだけどなー。
あれは皮を茹でる工程が大変で、前世でも挑戦したことがない。うろ覚えで作って失敗したら皮と砂糖を無駄にするだけだから、そっちは涙をのんで諦める。
「孤児院にいた時より、手際がよくなりましたね」
「うおっ!?」
白い部分をこそげ落とした皮を細切りにしたところで、急に後ろから声をかけられた。
振り返れば、いつの間にか椅子から立ち上がっていたいー兄さんが手元を覗き込んでいる。
刃物持っている時に急に声かけんのやめてくんない!?
使っている最中じゃないだけアサシンよりはマシだけどさあ!
「淑女がなんて声を出しているんですか」
「今のは驚かせたいー兄さんが悪いと思うな!?」
身も心もガールだったころのフレールを知っているだけに、アサシンみたいに面白がったりはせず、普通に男口調をたしなめられる。
……これが普通の反応だよなあ。
男口調の俺を見て愉快そうにしているアサシンの変人さを再認識しつつ、危ないからといー兄さんに離れるよう言う。さすがにそこらへんは心得ているようで、俺の言うとおりにいー兄さんは距離をとった。
それに一心地ついたところで、レモン本体に手を伸ばした。
黄色い実の部分が透けて見えるそれを、薄く輪切りにしていく。
包丁をとんと下ろすたび、さわやかな匂いが強くなっていく。驚きで強張っていた顔がまただらしなく緩むのを感じながら、皮を剥いたレモンを全部輪切りにし終えた。
実と皮を瓶の中に入れていき、瓶の体積を黄色が八割占めたところで次の瓶へ。
同じ工程を繰り返すこと五回。
瓶を多めに用意していた甲斐あり、黄色くなった瓶が五つ並んだ。
見ていて壮観だったが、ここからはスピード勝負。埃や雑菌なんかが入ろうものなら、一気に蜂蜜漬けは駄目になってしまう。
用意していた蜂蜜を瓶になみなみと注ぎ、素早く蓋をした。
「……よし!」
最後の瓶に蓋をしたところで、達成感に声を上げた。
食べられるのは早くても三日後とかだが、三日後には今生初の蜂蜜レモンが食べられると思えば苦にならない。ちゃんと欲しいものにありつけるなら、待つというのはそれをいっそうおいしくするスパイスなのだから。
「おまたせ、いー兄さん。いっしゅ…七日後くらいが食べごろだから、クリス様にもそう伝えておいて」
「了解しました」
そう言って瓶の一つを渡せば、いー兄さんは恭しい動作で受け取った。
うーんこのイケメン。本当に何をしても様になる……。
こんなお兄さんが傍にいたのに、フレールの初恋はいー兄さんじゃないんだよな。初恋だと俺がめちゃくちゃ困るんだけど、そうじゃないと今度は不可解な気持ちになる。
顔面偏差値が平均だから、同じくらいの顔の方がときめきやすいんだろうか。
そういえばいー兄さんが同じ孤児院の男の子(フツメン)と話している時は心が落ち着かなかったような……いやよそう、これ考えても俺の得にならない。
「フー」
頭を振って思い出を打ち消していると、いー兄さんが声をかけてきた。
あ、今の奇行にとられた?
いえ誓っておかしくなったわけじゃないです。ただ掘り起こしてはいけない記憶を埋め直しただけです。
そう説明しようとする前に、「話があるんですが」といー兄さんは言葉を続けた。
とりあえず今の行動を注意されるわけではないらしい。
「話って?」
「フーとクリストフ様が駆け落ちしないようにするにはどうするか、ということをこの間話しましたね?」
「……ソウデスネ」
ちっとも忘れてなかったよこの執事長!
俺しないって言ったじゃん!人の話聞いて!?
「あれから考えていたのですが、一つ妙案が思い浮かびました」
「ミョーアン」
新種のアンコかな?
思考が一瞬現実逃避をした。
妙案とか考えなくていいから。どうして俺の言葉で納得してくれなかったのか。そんなことを思いながら身構えていると、いー兄さんは自信満々な顔で言った。
「私とフーが既に交際していたことにすればいいのです」
――――はい?
「幸い、私達は同じ孤児院の出。少し口裏を合わせれば、お互い院を離れた後も密かに交流をしていたという話に説得力が出ます」
「…………」
「クリストフ様も、既に相手がいるとわかれば諦めてくださるでしょう。我ながらなかなかのアイデアだと思うのですが、フーはどう思いますか?」
「…………はっ!」
いかん、あまりの突拍子のなさに意識が明後日の方向に飛んでいた。
なかなかのアイデアだと思うのですが、じゃねえよ!
そう叫びたかったが叫べなかった。突拍子のなさや俺の意思尊重への無配慮はともかく、理にはそこそこ適っていたアイデアだからだ。アサシンが俺と駆け落ちしたいと決まったわけでもなければ俺はあいつに直接口説かれたわけでもないので、その設定をどのタイミングで出すつもりなのかという最大の問題もあるけど。
「えっ。クリストフ様はそもそもお気持ちを伝えられてないのですか?」
理に適っている部分は伏せてそう伝えれば、意外そうな顔をされた。
俺があいつに言われた台詞は「面白い女だな」くらいだが?
少女漫画では「貴方が好きです」の同義語だが、よくよく考えなくてもここは少女漫画の世界ではない。妹曰く乙女ゲームの世界だから、その文法が当てはまるとも限らないのではないだろうか。
いー兄さんは一体何をもってして、あいつが俺にホの字だと思っているのか。
そこを問い詰めたらいよいよ逃げ場が消えそうな気がするので、その疑問には蓋をしてなかったことにする賢いフレールさんだった。
「まあこういう設定にしておけば、いざ告白された時に退路ができるでしょう?」
「それはそうなんだけど……」
アサシンと駆け落ちする気はもちろん交際する気だってないので、体のいい逃げ道があるのはありがたいっちゃありがたい。
「クリストフ様とフーの仲が進展するのは、互いの不幸を招くだけ。かのお方に仕える執事として、そして貴方の幼馴染として、貴方達が不幸になる道は避けたい。それがこのイーラの願いでもあります」
言っていることももっともらしい。
嘘をついている感じでもないし、本当に俺達のことを彼なりに案じているのだろう。
でもさあ、いー兄さん。
本当にそれ、俺とアサシンのためだけに言ってる???
『サンドリヨンに花束を』ではいー兄さんの初恋がフレールだったことを知っているだけに、どうしてもいー兄さんに都合がいい方向に転がされようとしている感じが否めない。これで本当にただの善意だったら土下座するしかないんだけどさ。
「……すぐには返事できないので。少し時間をください」
ここで首を縦に振るのはまずい。
そう判断した俺は、日本人の伝家の宝刀「また今度善処します」を切った。先延ばしにして検討するように見せかけて答えはいいえ!
「フーには突然の提案でしたからね。ええ、ゆっくりと考えてください」
俺の返事に、いー兄さんは少し残念そうな顔で頷いた。
っていうか突然の自覚あったんならもう少しワンクッション置いてもよかったんじゃよ?もしかして思考停止した隙に頷かせるつもりだったんじゃないんだろうな。
「ですが、これだけは覚えておいてください。私はクリストフ様の忠実な執事ではありますが、フーの幸せを願う者でもあるのですから」
「いー兄さん……」
イケメン幼馴染からの優しげな言葉に、先入観バリバリの疑惑がほぐれる。
そうだよな。執事長イーラの初恋がフレールなのは『サンドリヨンに花束を』の中の話。現実のいー兄さんは純粋に俺を幼馴染として心配しているだけなんだろう。
「うん。ありがとうね」
「どういたしまして」
俺は素直に感謝の言葉を伝えた。
ん?そのまま提案に首を振らないのかって?
そこまでほだされるつもりはないです。俺の顔を忘れていたとはいえ、猪突猛進思考で短剣ちらつかせにきたのは忘れてねえからな!クール系の顔をしているくせに一度思い込んだらなところがあるから、そういう意味でもこの人はちょっと信用ならん。
あと、妹の確認なしにこんなことに頷いたら雷が落ちるわ。
「では、私はそろそろお暇しましょうか。蜂蜜漬け、確かにお預かりしました」
「玄関まで送ろうか?」
「いえ、ここで大丈夫ですよ」
「ん。じゃあ、気をつけてね、いー兄さん」
「ええ。フーも風邪など引かないように」
最後は幼馴染モードで別れの言葉を告げてから、いー兄さんは厨房を後にする。
あー、なんかどっと疲れた。
足音が聞こえなくなった後、俺はうーんと背筋を伸ばす。腹も減ったし、料理長が作り置いている焼き菓子を持って妹のとこに戻るか。
「……さすがにあれでは、簡単に頷きませんか。思ったより手強いですね、フー。ですがこれで足場はできました」
一人屋敷の中を歩く執事長は、腹黒い笑みとともにそんなことを呟いていた。
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