第9話:妹、対峙する
ごろんと寝転がれば、取り付けられた天蓋が目に映った。
いわゆるお姫様ベッドというやつだ。ビジュアル極振りの装飾に見えるけど、カーテンは埃や虫除けが本来の目的らしい。日本で言う蚊帳と似たようなものだ。
どっちのおしゃれも解さない私なぞは、蚊取り線香でよくない?などと情緒もへったくれもない感想を抱いてしまう。お兄ちゃん曰く、この世界の虫除けは匂いがスースーしすぎて慣れるまで寝つけなかったとのことだけど。
……お兄ちゃん。ああ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんがいないと寂しいし退屈だ。
今は私のわがままを聞いてくれたからここにいないんだけど、やっぱりいないと寂しい。
厨房でお兄ちゃんが料理しているのを眺めていればいいんじゃない?と思って行ってみたけど、お嬢様が厨房に入るなんてとんでもないと料理長さん達に止められてしまった。
なので私は、お兄ちゃんがポテチを作ってきてくれるまで自室でお留守番なのです。
お兄ちゃんと言っても、今は年上の女の子なんだけどね。
私の名前はスール・ルクスリア。花も恥じらう十四才。
オリエンス王国の貴族、ルクスリア家の長女である。
スール・ルクスリアは美人で聡明で、そして人当たりが良い。両親にとっては理想のような愛娘。いずれはルクスリア家より地位が高い貴族、ひょっとしたら王族の王子様に嫁入りできるのではないかと期待されていた。
しかし、それはスールの表の顔。
両親や立場がある人には見せない裏には、高慢ちきで選民思考で性悪な本性がある。
気に入らない使用人をいびっては、ばらせばクビにするぞと脅す日々。虎の威を借る狐のように、自らの立場を利用しては性悪な性格を満足させていた。
そんなスールが一番気に入らなかったのが、下女の一人、フレール。
何の変哲もないただの下女。しかしその下女は、あろうことかスールが敬愛してやまない実の兄、セザール・ルクスリアに可愛がられていたのだ。
ともすれば妹の自分よりも、兄の寵愛を受けていた下女。
スールは当然のようにフレールに目をつけ、兄が見ていないところで彼女を徹底的にいじめた。それはもう、ここが学校ならフレールが不登校になるようなレベルで。
兄が武者修行のために家を出た後も変わらなかった。
それどころか、兄の目がなくなったのでいじめる回数は増えた。
けれど、フレールはめげなかった。
いつも申し訳なさそうに微笑んで、スールの暴虐を慈悲の心で受け止めた。当然それはスールの逆鱗に触れる。フレールに対する苛立ちは、募るばかりだった。
そんなある日、階段を掃除していたフレールを見つける。
いつものように近づいて、やれ力を入れて拭いていないだのやれ埃が残っているだのと難癖をつけた。フレールは相変わらずで、申し訳ありませんと素直に謝る。
いつものやりとりだったが、その日は虫の居所が悪かった。
謝ってくるフレールが妙に鼻について、思わず化粧っ気のない頬を叩いた。
場所は階段の上。叩かれた勢いでバランスを崩したフレールは、踊り場の方へと落ちて行く――途中で、空をさまよっていた手がスールのドレスを掴んだ。
一緒に落ちろとか、そんなことを思ったわけではないだろう。
反射的に掴まれる場所を探して、それが近くにあったスールのドレスだっただけのこと。
そして二人は重力に従うまま、揃って階段から落ちた。
頭を打ったスールは、気を失っている時に夢を見た。
ここではない別の場所で、誰かの妹として過ごしている自分。
大好きな家族。大好きなゲーム。大好きな漫画。そして大好きな兄。
そんな兄と自転車で二人乗りをしている時に、トラックにはねられた。
いつもより近い空を呆然と眺めながら、兄だけは無事でありますようにと願った最期の光景を見て、その夢が自分の前世だと理解したのである。
十六年分の記憶で痛む頭を押さえながら目覚めたスールは、目が覚めた自分を安堵半分失望半分で気遣ってくる自分付きのメイドを見ながら、こう思った。
――――あれ?このスールって奴、昨日やっていたゲームにいなかったっけ?と。
安静にしていた方がというメイドの言葉を無視して、書物をひっくり返すこと小一時間。
調べれば調べるほど、前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム『サンドリヨンに花束を』との一致点が見つかっていく。そしてメイドから第一王子に当たるジャン=クリストフ・スペルビアが行方不明になっているという話を聞いた時、スールはこの世界が『サンドリヨンに花束を』の世界だという結論に辿り着いた。
スールの前世でのモットーは、事実は小説よりも奇なりであった。
前世の記憶が戻ったことで混乱していたのもあったので、手っ取り早くわかりやすいものに当てはめたかったというのもある。
だが、次の問題が生じた。
スール・ルクスリアは、どのルートでもヒロインの妨害をし、最終的には国外追放や幽閉を言い渡される。いわゆる、破滅フラグから逃れられない悪役令嬢だからだ。
けれど今現在、スールこと私は特に破滅してはいない。
なぜなら肝心のフレールが、前世で大好きだった兄の今世の姿だったからだ。
お兄ちゃんをいじめる理由なんてないし(お兄ちゃんじゃなくとも今後フレールをいじめるつもりは一切なかったけど)、お兄ちゃんも妹の私が破滅する道を歩んだりはしない。
つまり、私が破滅する理由がないのである。
それでも、この世界がゲームである以上、どこかで世界の修正力が働くかもしれない。
なので私達はお兄ちゃんが攻略ルートに入らないよう気をつけつつ、今世も引き続き兄妹として(正確には姉妹?)生きることに決めたのだった。
元の世界に戻る?
いやだって、トラックにはねられて死んでいるから戻るも何も……。
しかし、お兄ちゃんと私の異世界ライフに今、危機が迫っていた。
まさか前情報なしで隠しキャラの攻略ルートに入っちゃうだなんてね……。
隠しキャラルートは私達が前世の記憶を取り戻すきっかけになった階段イベントより前に分岐があるから、まさか入るだなんて思っていなかったのが正直な話である。でも実際に入ってしまった。
このゲームブランドは、隠しキャラルートになると殺意が上がることで有名なのだ。
一応最初のバッドエンドルートに関しては回避策が浮かんでいるけど、あれだけだとは思えないので注意が必要である。ああもう、こんなことなら徹夜してでも一通り隠しキャラルートを見ておくんだった!
後悔先に立たずとはまさにこのこと。
いやでも、うん、自分が翌朝トラックにはねられて乙女ゲームの世界に転生することになるなんて、誰も思わないよね。そんなこと言っていたら電波さんである。
『お前のせいじゃないし、気にするなよ。それより今後のことを考えようぜ』
お兄ちゃんの励ましを思い出して、嬉しくてうるっとしてしまう。
ああ、お兄ちゃん。
死亡フラグから守るからね。あと誰のところにもお嫁に行かせないからね。
年の近い兄妹だから口論や軽口の叩き合いはしょっちゅうだったけど、私はお兄ちゃんのことが大好きなのだ。ブラコンといっても差し支えない。
前世の記憶を取り戻したばかりのころは自分の破滅フラグを回避したいという気持ちでいっぱいだったけど、今はぶっちゃけてしまうとお兄ちゃんを攻略させないことに私の熱意は傾いている。私のためにがんばってくれているお兄ちゃんの手前、内緒だけど。
あと、私は乙女ゲームだと主人公ラブ派なのだ。
攻略対象の男性キャラだってそりゃあ大好きだけど、一番は主人公の女の子。
主人公に感情移入して楽しむのではなく、主人公の人生を楽しんでいる。
フレール超可愛いよフレール。
そんな可愛いフレールと大好きなお兄ちゃんが同じ存在なんだから、これはもう攻略対象に渡すわけにはいかないのでは?
ルクスリア家には幸い嫡男がいることだし、ゆくゆくは二人で家を出て、静かに老後を過ごしたいと思っている妹なのであった。
こんこん。
「スールお嬢様、よろしいでしょうか?」
ノックの後、扉の向こうからメイドの声が聞こえた。
お兄ちゃん以外の人の前でだらしなくベッドに横たわっている姿を見せるわけにはいかない。私は素早い速度で起き上がると、ぱぱぱっと乱れを整えた。
「何かしら」
「ジャン王子様がお見えになられました。開けてもよろしいでしょうか?」
……は?
なんで?
お父様から来るなんて話聞いていないんですけど?
聞こえてきた言葉に、三つのハテナがぽんぽんと頭をよぎる。
とはいえ、聞いていないので帰ってもらってくださいとは口が裂けても言えない。貴族が王族との繋がりを断つのは、この世界では非常識なことなのだ。
「ええ」
前回の失敗から学んだことを無駄にせず、嬉しげな声音で応じる。
少し間を置いてから、部屋の扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうにはうちのメイドさんと、その傍らに立つやや浅黒い肌のイケメン王子が立っている。前回とは違い、付き人さんは今回いないようだった。
「どうぞ、ジャン=クリストフ様」
「ああ。失礼する」
そんなやりとりをしてから、クリストフ王子が部屋の中に入る。
案内してきたメイドさんが部屋に入ろうとしたのを、王子がそっと手で制する。
「悪いが、二人にさせてもらっても?」
「は、はい。わかりました」
夫婦でも公認の婚約者でもない男女が個室で二人きりは、この世界ではあまり褒められたことではない。けれども、王子の一言は絶対だ。
メイドさんは私達に向かって一礼してから、扉をゆっくりと閉めた。
「お久しぶりです、ジャン=クリストフ様」
「クリストフで構わない。堅苦しいのはどうにも苦手でな」
「承知しました」
こういうとこはゲームと同じなんだよなあと思いつつ、軽くドレスの裾を持ってお辞儀。
もっとも、フレールに対しては「クリスで構わない」なんだけどね。
「本日はご足労いただき、ありがとうございました。ろくにお迎えの準備もできておらず、大変心苦しく思います」
アポイントメントをとってから来いを、丁寧な言葉で意訳する。
いやほんと、なんで連絡なしに来るんです?非常識なんです?
「急にやってきてすまないな。ルクスリア公から、好きな時に訪ねに来てもいいと言われたものでな。お言葉に甘えてしまった」
お父様!!
心の中で思わず叫んだ。
友人になってほしいの件もそうだったけど、そういうこと内緒にするの本当にやめて。
今日の晩ご飯の時に一言言おう。絶対に言おう。
そう誓いながら、改めてクリストフ王子を見やる。
ジャン=クリストフ・スペルビア王子。隠しキャラ。
メインルートだと、スールの依頼を受けてフレールを暗殺しようとする通称アサシン。
だからスールとは接点があるキャラではあるんだけど、そのやりとりはスール付きのメイド(Notお兄ちゃん)が告発することで明らかになるだけで、作中では語られない。
だから少し新鮮だった。
でも油断はしていない。なぜならこのイケメンさんは、現在進行形でお兄ちゃんを狙っているからだ。イケメンが言う「面白い女だ」は貴方に気がありますと同義語である。
「それで、本日は何のご用でしょうか?」
好きな時に訪ねに来ないでくださいと言いたいのを飲み込んで、用件を促す。
これは個人的に気になっているのもあるのだ。だってこの人、お兄ちゃん目当てで来たはずだし。メイドさんに聞けばお兄ちゃんが今厨房にいるのはわかるから、私のところにわざわざ来るはずがないのだ。
……まさか、前回無意識にしてしまった悪役令嬢ムーブについて苦言を呈しに?
もしかしてあれだけで私の国外追放決まっちゃった?
「前回やってきた時のことで、言いたいことがあってな」
ちょっと待って心の準備を!
「お気に入りの従者のためとはいえ、貴族の暗黙の了解を破るのは感心しない。社交界にデビューする時はゆめゆめそのことを注意するように」
「…………あっ、は、はい」
想像とは違う言葉が飛んできて、身構えていた私は思わずまぬけな返事をしてしまった。
な、なんだ、そっちか……。
そういえばお兄ちゃんも、クリストフ王子が私にそのことを言いに来るかもって言っていたものね。あー、びっくりした。
ホッと息をついてから、肩の力を抜いた。
「そして、こちらが本命なんだが」
「はい、なんでしょうか」
続けられた言葉には、今度はスマートに問いかけを返す。
この流れでコクガイツイホウだーはないだろうからね。うん。
「フレールを王城で雇いたいんだが」
「お断りします」
コンマ一秒の即答だった。
ふむ、とクリストフ王子は顎に手をやる。
「フレールを引き抜いた後も、ルクスリア家とは懇意にするつもりだが?」
「お断りします」
「人手が足りないというなら、こちらで新たにメイドを紹介する」
「お断りします」
「貴族は王族との繋がりをできるだけ保とうとする、という暗黙の了解は」
「関係ありません。お断りします」
これでルクスリア家が潰れようと知ったことではない。
そんな思いで、私は拳を握りしめた。
「フレールは、私の、大事な、メイド、です。どこにも、やりま、せん」
一字一句を区切るように言って、これでもかと強調する。
私の大事なお兄ちゃんよ、あげるわけないでしょ!
寝言は寝てから言いなさいよ!
「……なるほど。本当にお気に入りなんだな」
「ええ、それはもちろん」
正しくはお気に入りじゃなくて、大事で大好きなんだけどね。
私の決意が揺るがないのを見るや、クリストフ王子はもう一度ふむ、と呟いた。
「確認だが」
「なんでしょうか?」
「フレールが自分の意思で俺に仕えたいと言った場合でも、か?」
こ、このイケメン……!
雇用主の前で堂々と口説いて引き抜きたいとはいい度胸ね!
「その場合、フレールの自由意思は尊重しましょう。フレールが万が一そんなことを私に申し出ればの話になりますが」
意訳、できるもんならやってみろどうせ無駄だけど。
にっこりと。この一年ですっかり板についたお嬢様スマイル(お兄ちゃんには美少女スマイルすぎて辛いと言われるやつだ。嬉しさ半分複雑さ半分の感想である)とともに、そんな言葉を送った。というか叩きつけてやった。
「……」
クリストフ王子はしばらく目を丸くした後、ニィッと愉快そうに唇を吊り上げた。
その顔は、ゲーム画面で、見たかったです!字余り!
イケメンの好戦的な顔はご褒美です。
くそう、これがゲームだったなら。いや、この世界はゲームなんだけど。
「わかった。そういうことなら、がんばらせてもらおう」
さっきも思ったけど、雇用主の前でそういう発言するのはどうかと思う。
それにしても、想像以上にがっつりとクリストフ王子のハートを掴んじゃったわねお兄ちゃん。お兄ちゃんの良さを知っているのは私だけだと思っていたのに……。
「クリストフ王子は、フレールの何がそれほどお気に召したのですか?」
ついつい、そんな疑問が口に出てしまう。
その質問にクリストフ王子は少し考えた後、口を開いた。
「勇ましさとちょろさを同居させたお人好しなところがいい」
「わかるー!」
コンマ一秒の同意だった。
お兄ちゃんの良さを語らうこと十数分。
時間の経過に気づいたクリストフ王子を見送って、私は再び部屋に一人になった。
そういえばジャック王子について話すの忘れていたなあ、などと今さら気づく私。まあお兄ちゃんが話をしてくれるでしょう。
こんこん。
「スールお嬢様、よろしいでしょうか?」
そんなことを思いながらごろごろしていると、またノックと呼びかけが聞こえてきた。
「何かしら」
「ジャン王子様がお見えになられました。開けてもよろしいでしょうか?」
ん?また?
何か伝え忘れたことでもあったのかしら。
首を傾げながら、身支度と整えて了承の返事をする。
少し間を置いてから、部屋の扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうにはうちのメイドさんと――――
「……え?」
透き通る白い肌に、綺麗な金髪が映えているイケメンの姿。
「お初にお目にかかります、スール嬢。ジャン=ジャック・スペルビアです」
王城ルートのメインキャラ。
王子様ことジャン=ジャック・スペルビアが、そこに立っていた。
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