第10話:兄、交流する

 ピーラーが恋しい。

 包丁でじゃがいもの皮をせっせと剥きながら、俺は小さく溜息をついた。

 ここはルクスリア家の厨房。

 料理長も手伝いの下男も今は不在で、広めの空間にいるのは俺一人だった。

 仕込みが終わったので皆さん休憩をとっているのである。本当は火の番がいないといけないんだけど、俺がいるのでそこは任せてもらった。

 そして俺はと言えば、心優しくなったスールお嬢様の唯一のわがまま――そう、妹の現代日本にあったもの食べたい病のために下ごしらえの真っ最中である。


 今日のオーダーはポテトチップス。

 パリッとした食感が大事なので、スライサーなしでどれだけ薄く切れるかが目下の悩みどころである。

 あゝ、愛しの調理器具達。

 当たり前のようにあったころはなんとも思っていなかったのに、ないとなると心が寂しい。


「味付けは塩と……あとチーズがいけるか?」


 俺の好みだとコンソメ味が欲しいところだが、コンソメスープはあっても固形状のコンソメキューブなんて代物はない。あれいつごろ発明されたのかなあなどと思いつつ、じゃがいもの皮むきを終えた。

 皮を剥いたじゃがいもは全部で六つ。

 俺と妹の分だけではない。ポテトチップスはじゃがいもの皮さえ剥いてしまえば揚げるだけなので、使用人のみんなにもおすそ分けするつもりなのだ。ポテチはおいしいからな。


「よーし、切るかあ」


 ぐるんと肩を回してから、皮を剥き終えたばかりのじゃがいもをまな板の上に転がす。

 途中で動かないよう平たい面を下にして、包丁を持っていない方の手でしっかり押さえる。


「薄く……薄く……」


 呪文のように唱えながら、薄黄色のじゃがいもに包丁を入れた。


「何をしてるんだ、フレール」


「うぉぉっ!?」


 ――ところで、いきなり後ろから声をかけられる。

 すとんと下ろされた刃は、俺の指ぎりぎりをかすめてじゃがいもを切った。



 俺はキレた。


「刃物を持っている人間にいきなり声をかけるんじゃない!」

「……わ、悪かった」


 俺の勢いに圧倒され、闖入者、もといジャン=クリストフ・スペルビアは素直に謝罪の言葉を口にする。厨房の床に正座させられたイケメンは、今日も国宝級のイケメンだった。


「わかればいいんだよ、わかれば」


 ふんと満足げに鼻を鳴らすと、ずっと手に持ったままだった包丁をまな板の上に置いた。


「だがフレール」

「なんだよ」

「俺が悪かったのは認めるが、仮にも一国の王子を拷問にかけるのは豪胆すぎないか?」

「ゴーモン……?」


 何言ってんだこいつ。

 思わずそんな顔でアサシンを見下ろしてから、あっ、と気づく。

 中世ヨーロッパ風の世界に正座なんてあるわけがなかった。慣れている日本人だって足が痺れるんだから、やったこともない人間には拷問みたいなもんだろう。

 よく見ると足がぷるぷるしている。

 さすがに申し訳なくなって、手を伸ばして立ち上がらせた。


「っ、とと」


 同い年くらいのはずなのに体格差があるせいで、引っ張り起こした勢いで俺の体が傾く。

 たたらを踏んで、そのまま後ろに転びそうになる。だが、そうなる前にすっと伸びてきたアサシンの手が俺の腰を支えた。

 ……おいこら。体を密着させるな、イケメン顔を近づけるな!


「離れていただけませんか、ジャン=クリストフ様」

「今さら化けの皮を被るなよ」


 くくっと笑いながら、アサシンは素直に手を離した。

 お前、二回(正確には三回目なんだけど)会ったくらいの女子にこんな距離詰めるのはいくらイケメンでも許されないぞ。もう少し段階を踏め!踏まれても困るけど!


「さっきのやつ、セーザだったか。どこでこんなことを覚えたんだ?いけない子だな」

「今度その呼称で俺のことを呼んだら刺すぞ」


 悪寒走ったわ。マジでやめろ。


「お前は本当に面白い女だな」

「自分の一挙一動でときめくのが普通の女の子の条件みたいなのやめろよ」

「王族の俺に対してそういう口のきき方ができるところが面白いんだが」

「だって、化けの皮を被ってない方がお好みなんだろ」


 もはやこいつ相手だと、わざわざ女の子口調を取り繕うのも面倒くさい。

 いっそ嫌がらせで女の子口調を押し通してやろうかとも思うが、話が進まなさそうだし。

 そんな思いを込めて嫌味ったらしく言い放てば、少しぽかんとした後、アサシンは再びくくっと楽しそうに笑った。

 うーん、こいつも大概変な奴だな。

 こいつにとっては俺の方が万倍変な奴なのはさすがに認めるけど。



「ところで何の用なの、ア……ジャン=クリストフ様」


 ついアサシンと呼びそうになって、慌てて訂正する。

 アサシンは首を傾げた後、口を開いた。


「堅苦しく呼ぶな、クリスでいい」

「……何の用なのクリス様」


 呼び捨てでもいいんだけど、それを定着させると第三者がいる時に俺が大変な目にあうのはわかりきっていた。線引きも兼ねて、様をしっかりと強調する。

 気に入らないとばかりに視線を向けられるけど、知ったことではない。

 お前がよくても俺が困ることになるんだよ!わかれ!


「また会いに来ると言っただろう?」


 念を飛ばしたのが伝わったのか、それ以上の要求はせずにアサシンは俺の質問に答えた。

 いやこれ、答えになってないな?


「何の用かって聞いたんだけど」

「だから、お前に会いに来た。まあ先ほど、スール嬢に顔は出してきたが」

「……アポイントメントという言葉をご存じ?」


 会いに来るだけなのはいいけど、いや良くないけどそれは置いといて。

 せめて来る時は連絡してから来いや!


「ルクスリア公からは、どうぞ好きな時にお訪ねくださいと言われたからな」

「当主様!!」


 思わず叫んだ。

 どいつもこいつも報連相という言葉をご存じでないのか。


「心の準備とかあるんで、次からは連絡を……」

「難しいな。なかなか事前に暇がとれないんだ」

「そんなに忙しいんだったら油売りに来ないで?」


 働け!

 そう言いたいのを堪えて、じゃがいもと包丁を手にとった。

 いつまでも妹を待たせるわけにはいかないのである。話は作業しながら聞くぞと全身でアピールしてから、じゃがいもを薄く切り始めた。


「公務の手伝いは確かに忙しいんだが……ちょっとそれ以外の問題があってな」

「それ以外?」

「俺に弟がいるのは知っているだろう?血の繋がっていない義理の弟だが」


 知っているのが当然という体で話されて若干イラッとしたが、国を治める王族の家族構成なんて隠し子でもない限り知らない方がおかしい。

 肯定するようにこくりと頷けば、アサシンはさらに話を続けた。


「弟はなんというか、少々一途すぎるきらいがあってな。一度心を許した人間にはとことん懐くし、その相手に依存するところがある」


 そうですね。

 妹曰く、落とし物を届け出ただけでどこの馬の骨ともわからない娘を雇うくらいらしいし。

 一途というか純粋というか思い込みが激しいというか。いや、本当に義弟が落とし物を拾われたくらいで攻略ルートが拓けるちょろさかはわかんないけど。


「そんな弟が頻繁に俺の元へ来ては、剣だの騎馬だの勉強だのに誘ってくるんだ。そのせいでなかなか体が空かない。継母から追い出された時にだいぶ心配をかけてしまった手前、無下にもしづらくてな」

「あー」


 俺も妹で経験があるので、アサシンの気持ちはよくわかった。

 やりたいことができなくて鬱陶しいなと思っちゃう反面、妹可愛さについつい付き合っちゃうんだよな。断ったら泣くみたいな変な確信があるし。


「とはいえ余暇を全部弟に使うわけにもいかないし、いつまでも俺にべったりでも困る」

「うんうん」


 わかるわかる。

 心の中で同意しながら、ひとまず二つのじゃがいもを切り終えた。あらかじめボウルの中に用意していた水に薄切りになったじゃがいもを入れてから、鍋の準備を始める。

 本当は六つ全部切ってからやるつもりだったんだけど、それだと揚げ終えるまでそこそこ時間がかかってしまうからな。アサシンの相手をしていて余計な時間をとってしまったし、まさか作り終えるまでアサシンを厨房に立たせているわけにもいかない。

 ひとまず妹と俺の分だけ作って、部屋に持って行こう。アサシンが食べたがったら俺の分をあげればいいし。そんな方針で油が温まっていくのを見守った。


「昔の俺はどうにも口下手でな。弟からの誘いを断りたくともうまくできなかったんだが、今は違う。そういう思いもあって、今日は一念発起して誘いを蹴ってきたわけだ」


 偉い。ちゃんとお兄ちゃんをしているな。

 義弟の誘いを蹴ってやってきたのが俺のところなのが減点だけど。


「でも、そういうことなら事前に用事を入れていたからって方が断りやすくないか?」

「用事があるから断るじゃ、用事がない時は断られないんだって思われるだろう?さっきも言ったが、公務の手伝いもある。休める時機がそもそも不定期なんだ」

「あー。そうね」


 甘えてくる下の子に、変な学習をさせるのはよろしくない。上の子にもその日の気分ってもんがあるしな。用事がなくても付き合いたくない日はいくらでもある。


「ま、他ならぬお前からの頼みだ。次はできるだけ事前に連絡を入れよう」


 他ならぬお前って言い方は本当にやめてほしい。

 お前にとって俺は何なんだよ。

 問い詰めたい気もしたが、ろくな答えが返ってこない予感がヒシヒシとする。

 蛇がいそうな藪にわざわざ手を突っ込むことはない。賢明な俺はその問いを飲み込んで、かまどの上に置いた鍋に油を注いだ。


「ところで」


 そんな俺の動作を興味深そうに観察しながら、アサシンは顎に手をやる。


「何をしているんだ、フレール」

「料理」


 さっきもされた質問に、今度は返事を返した。

 見てわからんのかとも言いたいが、王子様だしそこは許してやる。


「ま、料理って言っても切った芋を揚げるだけなんだけど」

「チップスにしてはだいぶ薄いような気もするが」

「いいんだよこれで。あ、どうせ見るならそこにある網と壺をかまどの横に置いてくれ。網は壺の上に置く感じで」


 そう頼んでから、俺は水につけていたじゃがいもをざるに移動させた。

 ちゃっちゃっと揺すり、水分を切る。本当ならキッチンペーパーか何かできっちり拭うべきなんだけど、紙は貴重なのです。油が跳ねても嫌なので、念入りにざるを振った。

 あらかた水を落としたところで、ざるを持って移動する。

 そして、薄く切ったじゃがいもを一枚一枚油の中に落とした。

 じゅわっと音を立てて、油の中でじゃがいもが身を小さくしていく。うっすら色づいてきたところをすくい網でとり、アサシンに用意してもらった網の上に置いた。

 じゃがいもが吸いきれなかった油が、ぽたぽたと壺の中に落ちていく。油は貴重品なので、こうやって使い回すのがこの世界の基本なのである。


「……良い匂いがするな」


 次々に揚がっていくのを隣で見ていたアサシンが、ぽつりとそんな感想を零した。

 わかる。からあげを揚げている時には敵わないけど、じゃがいもを揚げている時も良い匂いするよね。揚げ物はやはり正義だ。

 しかし、物欲しそうな顔である。

 仕方ないなと溜息を一つついてから、最初の方に揚げたやつを一枚つまむ。それをアサシンの方に差し出せば、きょとんとした顔をされた。


「なんだよ。食べたいんじゃないのか?」

「いや、それはそうだったんだが」

「じゃあ食えよ。正真正銘のできたてを行儀悪くつまみぐいできるのは、作った奴の特権だ。んで、これはそのおすそ分け」


 ニッと悪戯の共犯を持ちかけるような顔で笑えば、つられるようにアサシンも笑った。


「指ごと食べたら怒るぞ」

「……ちっ」


 手首を掴まれたので、先んじて牽制したら舌打ちをされた。

 イケメンだからって何をしても許されると思うなよほんと!



 アサシンはポテトチップスが気に入ったらしく、もっと食べたいと視線で訴えてきた。

 兄気質なので、素直に甘えられるとどうにも弱い。心の中で妹に謝ってから、残りのじゃがいもも揚げ始めた。


「塩をかけるとよりうまいな、これは。チーズも捨てがたいが……」

「全部食べるなよ」


 釘を刺しながら、じゃがいもからポテトチップスになったものを網に上げていく。

 さっき俺も味見したが、いい感じだった。

 お嬢様である妹の口に入るものだから、油は新品のものを使わせてもらっている。そのおかげだろう。使い回しの油だと、どうしても前に揚げたものの風味が残っちゃうしな。

 出来に満足しながら、最後のじゃがいもを揚げようとした時。


「……あれ?」


 厨房の窓から見えたものに、俺は思わず首を傾げた。

 窓から見える庭を歩いていたのは、部屋で料理ができるのを待っている妹だった。

 前世が根っからのインドア派である妹は、今世でもばっちりインドア派だ。俺が連れ出さない限り、自分から外に出ることはまずない。それも首を傾げた理由の一つだったが、何より一番解せなかったのは妹の隣に見知らぬ男がいたことだった。

 短めの金髪を揺らす男は、遠目から見てもイケメンなのがわかった。

 すげえな、オーラ出ているじゃん……恐ろしいなイケメン……。

 しかし、そんなイケメンがうちの妹に一体何の用なんだろうか。


「どうした、フレール」


 思わず手を止めて眺めていると、不思議に思ったのかアサシンが声をかけてくる。

 そして俺の視線が向いている方を見て、俺と同じように首を傾げた。


「……ジャック?なんでここに?」


 ジャック?

 クエスチョンマークとともに紡がれた名前に、もう一度首を傾げる。

 だが、次の瞬間には手のひらをぽんと叩いた。

 そうだ、ジャン=ジャック・スペルビア。さっき話していたアサシンの義弟のことだ。いやほんと兄弟揃って長ったらしい名前だな。

 でも、弟王子がなんでここに?

 アサシンと全く同じことを疑問に思いながら、また首を傾げた。


「――――あ」


 まてよ?

 これが二回目の訪問だから、多分アサシンは俺のことを義弟に話していないはず。

 そして今回、アサシンは義弟の誘いを断ってここに来た。

 ルクスリア家という、娘が一人いる貴族の家に。

 それってつまり、義弟視点では義兄が自分との誘いを蹴ってまでスール・ルクスリアに会いに来たということにならないか?


「……」


 なんか、こう。

 すさまじく嫌な予感がした。


 妹ことスールは、れっきとした身分のある貴族の娘だ。どこの馬の骨とも知らない下女の女ではない。怒りに任せて切り捨てた時の重大さが天と地ほど違う。

 だけど、怒っている奴に常識って通用するのか?

 しかも相手は、返事に迷っただけで人一人の首を刎ねるかもしれない男だぞ?


「……クリス様」

「なんだ?」

「ちょっと、油見てて!」

「あ、おいっ、フレール!?」


 そう言うや否や、俺はスカートをたくし上げて厨房を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る