第5話:兄妹、悩む
フレール十六才、スール十四才の秋。
「お兄ちゃん!!」
スールもとい妹のわがままでスイートポテトを作っていたところに、当の妹が血相を変えて飛び込んできた。
「こらっ!呼び方!」
人が聞いていたらやばいだろ!
二人きりの時に使う呼び名を口にした妹を、反射的に叱りつける。
叱りつけてから、慌てて周囲を見渡した。……よし、誰もいないな!
スールがフレールを兄と呼ぶことより、フレールがスールを叱責する方がよっぽど大問題になるのを失念していた。安堵の息を吐いてから、さつまいもをマッシュしていたすりこぎを置いて、妹の方に向き直る。
「それどころじゃないのよっ」
一方、一年の歳月でより美少女度が増している妹は、焦った口調で詰め寄ってきた。
こいつ……と思ったが、俺はお兄ちゃんなので口には出さない。代わりに取り乱し気味の妹を落ち着かせるように背中をさすりながら、質問で話の穂を誘った。
「なんだよ、セザールお兄様がいきなり戻ってきたのか?」
妹が取り乱す理由は、現状これしか思いつかない。
この世界を乙女ゲームだと思っている妹曰く、攻略対象の中で最も回避しにくいのがこの人だからだ。何せお兄様にとってルクスリア家は実家なので、武者修行先に永住しない限りいつかは帰ってくる人ではあるし。
しかし、妹はそれを否定するように首を大きく振った。
そして青ざめた顔で、悲壮感たっぷりに口を開く。
「王子様が……」
「はい?」
「王子様が、うちに来ることになったのよ……!」
「…………」
ホワイ?
取り乱す妹を宥めすかして聞き出した話を要約すると、こうだ。
昼食の時。ルクスリア家の当主であるアルマン・ルクスリア様が、食事を始める前に「大事な話がある」と切り出した。すこぶる嬉しそうだったらしく、さぞ良い知らせなのだろうと思っていたら、王子様が三日後に訪ねてくると言われてひっくり返りかけたらしい。
なんでもジャン王子が困っている時、ルクスリア家の者が手助けをしたからそのお礼がしたいとかなんとか。
王族に恩を売っていたなんて当主様としては嬉しい寝耳に水だろう。そりゃあ嬉しそうに話し出しもする。
だが、妹にとっては悪い意味で青天の霹靂だったのは想像に難くなかった。
「お兄ちゃんどこでフラグ立ててきたの!?」
「立ててねーよ!」
落とし物を届け出た記憶もなければ、王子様っぽい人に親切をした思い出もない。言いがかりだと主張すれば、妹もそれ以上食い下がらず、代わりに頭を抱えた。
「これが世界の強制力……!?フラグを立てていないのに立てた扱いになるなんて!」
「いやっていうか、普通に考えれば他の子なんじゃないのか?」
恐れおののく妹に正論をしてみる。
しかし、妹は悲壮感たっぷりなままで重々しく反論した。
「……声をかけてみたけど、心当たりがある子がいないの」
「ええ……」
そんな馬鹿な。
「お父様はこっそり外出した時に出会ったかもしれないから、言い出しにくいのかもって言っていたわ。だから王子様が来た時に、使用人全員に会わせてみるつもりだって」
「それってメイドは免除……」
「されない……」
「ですよね」
「このままじゃ、王子様がお兄ちゃんに一目惚れしちゃう……!」
「怖いこと言うなよ!っていうかされないだろ!」
この平凡顔を見ろ!特別美人でも残念でもない平均値顔を!
一目惚れがあるとするなら、断然妹の方だろう。俺も何度か一目惚れしかけているし。
「だってお兄ちゃんがヒロインだから……」
しかしそんな主張も、謎理論によってはねのけられる。
このあたりに関してはマジで耳を貸さないなこいつ。
我が妹ながら思い込みの激しさは天下一品だ。いや、そんなものが凄くてもちっとも良くはないんだが。そんなことを考えていると、ふと疑問が浮かんだ。
「しかし、なんでルクスリア家の人間だってわかったんだ?」
もし出会ったこと自体隠したくて名乗り出ない子がいるなら、そもそも王子様とやらに遭遇した時点で名乗らないはずだ。服だってそんな特徴があるわけでもないし。
首を傾げていると、ああそれならと妹が口を開く。
「うちの紋章が入ったハンカチをね、渡されたらしいわ」
「ハンカチ」
その言葉に、反対側の首を傾げた後。
「……あっ」
一年前のことを思い出した。
「あって何、あって何!ちょっとお兄ちゃん!?」
もちろんその反応を見逃してくれるはずもなく、鬼気迫る表情の妹に胸ぐらを掴まれた。
「ちょっ、く、首、絞まる、からっ」
「何か心当たりがあるのね、そうなのね!?」
「ぐぇっ」
ぶんぶんと前後に揺さぶられて、潰れた蛙のような声が上がる。く、苦しい。
腕を何度かタップしたところで首が絞まっていることに気づいてくれたようで、ハッとした顔とともにパッと手が離された。
「ご、ごめんなさい……」
「けほっ。女の子がいきなり人の胸ぐら掴んじゃいけません」
「うん……」
「わかればよろしい」
「それよりお兄ちゃん、あって何、あって」
「もう少し申し訳なく思って?」
本当に切り替えが早いなお前!
呆れる俺を気にした風もなく、妹はぐいっと顔を近づけてきた。
……近い!美少女顔が近い!
慌てて押し退けた後、観念して一年前のできごとを説明した。
「かくかくしかじか、というわけだ」
「……」
……あれ?
難しい顔で黙ってしまった。
てっきりフラグ立てているじゃない!ってキレられるかと思ったのに拍子抜けというかなんというか。王子様が行き倒れているなんて聞いてないぞという反論は宙ぶらりんになったまま、押し黙った妹を見守る。
しばらく沈黙が続いた後、妹は頭を抱えた。
「ど、どうした妹よ」
「…………なんで」
「はい?」
「なんで隠しキャラの攻略ルート見つけてるの!?」
うわーんという声とともに、もう一度胸ぐらを掴まれて前後に揺らされた。
し、絞まる、首が、首が!
さっきより激しく腕をタップするが、なかなか解放してもらえない。自力で我に返った妹が手を離した時には、すっかりグロッキーになっていた。
「ひ、人の首を…絞めちゃ、いけま、せん……」
「うう、ごめんなさい……」
「ったく……。で、隠しルート?」
そういえば、隠しキャラがどうとか前に言っていたな。
入り方がややこしいからという理由で、その隠しルートとやらに関してはあるということしか知らない。妹の話ではうっかりそのややこしいルートに入ってしまったらしいが、ややこしいって結局のところどういうベクトルなんだ?
そんな感じの旨を問いかければ、妹はあのね、と口を開く。
「階段イベントが起きる前の導入でフレールが買い物に行くんだけど、そこでお総菜屋さん、果物屋さん、チーズ屋さんの順に選択肢を選ぶ必要があるの。果物屋さんは二番目じゃないとリンゴをくれなくて、最後にチーズ屋さんに寄らないと路地裏に入る選択肢が出ないから。ちなみに全員クリアした後じゃないとこの順番で選んでも何もないわ」
あっ、ややこしいな!
「っていうか妹よ」
「なんですかお兄ちゃん」
「それクソゲーでは?」
なんで隠しルートの分岐を序盤も序盤にぶちこむんだよ!しかもそんな総当たりじみたの!
せめて階段イベント後に入れろや!
「選択肢がランダム出現だった前作に比べればマシだから……」
「地雷ゲームブランドじゃねえか!」
「隠しルートの入り方がひどい以外は良作だから!入り方はともかく、毎回隠しキャラが一番評価高かったりするし……」
それはそれでなんというか……隠しキャラを攻略させたくないという意志が見える。
いや攻略させろよ。何のためのゲームだ。
……っていかん、話が脱線した。
「俺がリンゴをあげた少年が隠しキャラなのは察しがつくけど、あれ誰?」
ゲームの攻略対象は、王子様に貴族のイケメン、執事長に牧師様と聞いている。
つまり、全員俺より地位がある人だ。
要するにフレールの玉の輿ストーリーがゲームのキモなのだろう。ゲームタイトルのサンドリヨン(シンデレラ)とはよく言ったものである。
となると、あの少年も俺より偉い人のはずだ。
……まあ、ちょっと予想ついてはいるけど。
「その人は城を追い出された王子様の義兄、ジャン=クリストフ・スペルビア様よ」
やっぱりな。
妹の説明の中だと、隠しキャラにできそうなのその人しかいないし。
王子様は王子様でもジャック王子の方ではなく、義兄の方だったというわけか。
ミステリーじゃないんだからそういう叙述トリックはやめてほしい。っていうか兄弟なのにどっちもジャンってややこしいな!義兄弟なのになんで名前がそっくりなんだよ!
紛らわしい名前に憤慨していると、妹はさらに話を続けた。
「そして王子様ルートや執事長ルートでフレールを暗殺しにくる暗殺者でもあるわ」
ちょっとまって。
そっちは予想してない。
「何がどうしたら王子様の兄が暗殺者になる!?」
「フレールが助けないと、クリストフ様は悪い人に拾われちゃうのよ……」
ジャン=クリストフ=スペルビア。通称アサシン。
王城ルートでフレールの命を狙う暗殺者の正体は、実は物語冒頭に継母によって城を追い出されている王子様の義兄だった……というやつだ。
城下町をさまよった後、暗殺ギルドなる組織の偉い人に拾われたアサシンは、そこで暗殺者としての才能を見いだされて育てられる。最初は手を汚すことに抵抗があったアサシンだったけど、他に行き場のない彼に選択肢はなかった。
自分を追い出した継母とその原因になった義弟を恨む彼は、義弟が目をかける女を殺してほしいという依頼を引き受け――しかし、直前で義弟への愛を思い出して踏みとどまる。そしてフレールの手助けもあり、義弟と感動の再会を果たすのだ。
そんな彼だが、攻略ルートに入るとアサシンにはならない。
先にフレールが行き倒れた彼を助けたため、悪い人に拾われる前に義兄を探していた王子様と鉢合わせになるのだ。そこで王子様と和解できたアサシンは、国王が継母を追い出したのもあって(なお継母の末路は全ルート共通らしい)見事元の地位に返り咲く。
その後、フレールに恩返しするべく屋敷を訪ねるという。
それからの展開は王子様やお兄様ルートと同じようなものらしい。身分差恋愛ものだ。
らしい、というのは妹がまだ隠しキャラを未攻略だからである。軽くやった触り部分しか情報がないらしい。
さて、おわかりいただけるだろうか。
そう、このルートだけフレールが屋敷を追い出されていないのである。今の俺と同じく。
どうやらアサシンルートだと階段イベントが起きないらしい。
……一年前の感動的なやりとりを返してくれ!
俺が屋敷に残っていてもダメじゃん!
「一番入る可能性があるルートじゃねえか!言えよ!」
「階段ルートが既に発生してたからそこまで警戒していなかったのよ!変にお店の順番を教えても、記憶違いでその順番通りに行っちゃうかもしれなかったし!」
「そのせいでルートとやらに入ってるじゃん!」
「まさかお兄ちゃんがホイホイ人気のない路地裏に入るだなんて思わなかった!うかつな行動はやめてって言ったのに!」
「ち、近道だし!あと行き倒れの人を助けるのは人として当然だろ!」
「人助けはそうだね!でもお兄ちゃん、今は普通の少女なんだからその自覚を持って行動してよ、危ないでしょ!」
「俺は男だし!」
「見た目は女の子じゃない!」
ぎゃあぎゃあと醜く言い争う俺と妹。
口論はお互いの息が切れるまで続いた。
「ぜえ……ぜえ……」
「はあ……はあ……」
「……うん。ひとまず脇に置いて話進めるか」
「そうだね……」
正直先に隠しルートの詳細聞いていても、もう階段終わっているなら大丈夫だろと楽観視していた自信が俺にはある。妹も見込みが甘いところがあった。
なのでお互いを責めるのはやめ、顔を突き合わせて作戦会議を再開する。
「王子様が来る日、お兄ちゃんに外出してもらう……?」
「でもそれ、アサシンの執着次第だけど「じゃあまた後日」ってならないか?」
「なりそう……なる……」
「まあ他の子が助けていた可能性もなきにしもあらずだけど」
「紋章入ったハンカチ二枚も持ってたらさすがにお父様に言うでしょ」
「だよなあ……」
がっくりと肩を落とす。
残る期待は、玉の輿を目当てで虚偽の申告をする子がいることだけど……。
「いや、うちの使用人みんな良い子だし。そんなことしないし」
そう言えば、お嬢様から断固とした否をいただいた。
一年もたてば妹インストールスールにもみんな慣れたもんだが、それでもこの台詞を聞いたら目を剥きそうだな。すっかり下々の者に優しいお嬢様になっちゃってまあ。
とはいえ、妹の言葉には同意するんだが。
いきなりスール付きになって待遇がだいぶよくなった俺をいじめも疎みもせず(スールにいじめられまくっていたことを知っているからなんだろうけど)、今までどおりに接してくれた下男下女のみんなにメイドさん達が、そんな欲を掻くわけがない。
つまり手詰まりである。
「うーん」
俺としてはちょっと顔を合わせてお礼をされるくらい、別に構わないんだけど。というか正直、待たずに消えやがったことを叱るくらいはしたい。
だが、妹はまともに対面すらしてもらいたくないときた。
俺はお兄ちゃんなので妹の意思を尊重するが、さて、どうしたものか。
名案が浮かばず、うんうんと唸る。
向かい合った妹も同じように唸っていたが。
「…………あ!」
突然声を上げると、ぽんと手のひらを叩いた。
……なんかちょっと嫌な予感。
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