第4話:兄、人助けをする
「えーっと、他に必要なものは……」
人が行き交う街中。
両手で紙袋を抱えた俺は、道の端に立って自分が買ったものをチェックしていた。
「……じゃがいもと玉ねぎは買ったし、ひき肉も買った。小麦粉と卵は屋敷にあるし……ああそうだ、パン粉があるからわかんないからパン買っとかないと」
紙袋の中身と必要なものを脳内で照らし合わせて、買い物の最終確認をする。
新しいのでパン粉を作るのもパン職人やパン自身に申し訳ないから、古いパンを安く譲ってもらえないか頼んでみるかなあ。
そんなことを考えながら、紙袋を抱え直す。
中に入っているのはじゃがいもと玉ねぎとひき肉。それだけなのに、十五才の細腕では重たく感じてしまう。女の子って大変だよなあと思いつつ、街中を歩き始めた。
スカートの裾が足にまとわりつく。
……うーん、たまにはズボンが穿きたい。
あれから、なんやかんやで一ヶ月の月日が流れた。
妹によるハリウッド顔負けの泣き落としによりスール付きのメイドになった俺は、かなり快適な生活を獲得した。
まず仕事内容ががらっと変わった。
以前は朝起きたら食材の皮むきや水くみだったのが、妹を起こして身支度を整えてやることになった。それが終われば妹の予定や気分に合わせて、世話を焼いたり部屋の掃除をしたりが夜まで続く。妹が寝れば仕事が終わるので、自由に過ごしていい。
赤の他人が相手なら今までの仕事の方が遥かにマシってスケジュールだが、妹相手なので特に苦にもならない。最初は貴族風の身支度をどうやればいいのかわからなくててんやわんやだったが、それも慣れてしまえば楽なもんだ。
妹が美少女すぎてドレスの着付けとか風呂の世話は未だに慣れないんだけど(自分の胸からぶらさがっているものはそんな気にならないけど、他人の胸についているものは話が別だ)、それ以外は概ね問題ない。
貴族風の食事は気が詰まるとかでたまに自室にこもって俺と一緒に食事したりするから、その時にごちそうも食べられる。ほぼ毎日あるお茶の時間は言わずもがな(おかげで最近肉付きがよくなってきたのが悩みの種だ。体力労働も減っているし)。
そして何より、前世の記憶を取り戻したという変な状況で、同じ境遇の妹が近くにいるのがでかい。
フレールとして生きてきた十五年分の記憶があるから混乱はしなかったけど、生活していくうちに男としての感性や現代日本の感覚との差異が結構気になるのだ。
この差異を共有できる相手がいるだけで、心がだいぶ楽になる。しかもそれが妹とあっては、兄ちゃんである俺がくよくよしてもいられないなと気持ちを奮い立たせてくれた。
妹も似た感じらしく、俺に甘える機会が増えた気がする。
やたらと一緒にいたがるし、隙あらば面倒を見てもらおうとする。前者に関しては、妹曰くフラグ進行を管理するためもあるんだろうけど。
そのせいで以前のスールと全然違う感じになっているから、使用人達の間では階段から落ちたショックで人が変わったともっぱらだ。俺だけ優遇しないようにと使用人グループに差し入れすることも増えたので、悪魔が天使になったとさえ言われている。
そこまでキャラを変えていいのかと思ったが、妹曰く「ただでさえ貴族ムーブ辛いのに、悪女ムーブまでしたら心が病むから……」とのこと。
まあ、性悪が優しくなる分には誰も困らないからな。実際使用人一同も、首を傾げこそすれその変化に諸手を上げている。
だが、中身は妹なので聖人君子ってわけじゃない。
使用人いじめをしない代わり、困ったわがままを言うようになった。
「……コロッケが食べたい」
「はい?」
ぽつりと呟かれた言葉に、花の剪定をしていた手を止めて思わず聞き返した。
「コロッケ、食べたい」
ベッドで寝転ぶ妹は、そんな俺に向かって同じ言葉を繰り返す。
むすぅと膨れた顔を枕に押しつけている姿は、ぐずっている妹がよくやる仕草だった。
「コロッケ……そういや出たの見たことないな」
妹の言葉に、今まで食べたものを思い返す。
オリエンス王国は中世ヨーロッパ風の国だから、出てくる料理も欧風一色だ。和食や中華はもちろんないが、いわゆる日本の洋食も見たことがない。洋風天ぷらみたいなフリットはあるんだけど、俺らがよく食べていた揚げ物も少ない。シュニッツェルとかいう、とんかつの薄い版みたいなのくらいだろうか。
なので、当然コロッケもない。
あったとしても、コロッケの同義語であるポテトコロッケは貴族の食卓には並ばないだろう。クリームコロッケとかはありそうだけど。
「コロッケ食べたい……」
三度目の言葉とともに、妹は枕に顔を埋める。
またか、と俺は思った。
前世の記憶が戻ってからというもの、妹は前世で好きだった食べ物をねだるようになった。
最初の時は確かホットケーキだったか。幸いマドレーヌとかの焼き菓子はレシピがあったので、なんとかそれらしいものをこしらえられた。
しかし、一度願いが叶ってしまったせいでブレーキがきかなくなったらしく、それからも一週間に一回くらいはこういうわがままを口にする。気持ちはわからなくもなかったからついわがままに応えてしまう俺もいけないんだけど。まあ、味噌汁が飲みたいとかいう無茶は言い出さないからまだ可愛いもんである。……味噌汁。味噌、ないかな。
「コロッケ、コロッケかあ」
「コロッケ食べたい」
「コロッケ食べたいbotかお前は」
「コロッケ……」
「はいはいわかったよ、作りゃあいいんだろう作りゃあ」
「お兄ちゃん大好き!」
枕から顔を上げた妹が、満面の笑みを浮かべた。
「うっ」
美少女スマイルにやられて、思わず胸を押さえる。
くっそ、本当に顔が良すぎる。そんな美少女フェイスで、男にうかつに大好きなんて言っちゃいけません。俺が兄じゃなかったら好きになっていたところだぞ。
「こーろっけ、こーろっけっ」
いつもは俺が呻くと辛辣な感想を向けてくる妹だが、今はコロッケで頭がいっぱいらしい。十三才らしい様子で鼻歌を歌いながら、ベッドの上でごろごろしている。
可愛いなあと兄として微笑ましく思いつつ、俺は材料があるか確認すべく台所に向かった。
そして冒頭に戻る。
コロッケが作れそうなのは確認したので、材料を揃えている最中だ。
料理長は下男に買わせに行こうかと言ってくれたが、それは丁重に断った。妹のために手を煩わせるのが申し訳ないというのもあるけど、何より俺自身が外に出たいのがある。
なぜなら、妹が外に出してくれないのだ。
「私の目が届かないところでフラグを建築されても困る!」
この主張とお嬢様付きメイドということもあいまって、外出許可がなかなか出ない。
そんな中、唯一の例外はわがまま虫が騒いだ時だった。この時ばかりは自分のわがままを叶えられるのが俺しかいないため、買い物に出る許可を快く出してくれる。
これもあって、妹のわがままをつい聞いてしまう。
インドア派の妹にはなかなか理解されない感覚だが、アウトドアよりの俺はたまに外に出たくなるのだ。街を歩くのはそれだけで楽しくなってくる。
「おお、フレールちゃん。今日も元気そうだね。この新作惣菜を試食してみないかい?」
「あらフレールちゃん、こんにちは。良いリンゴがあるんだけどおひとついかが?」
「よおフレールちゃん、チーズはどうだい!いらない?そんなこと言わずに、小さいのを一つもらっていってくれよ!」
……あと、こんな感じで市場の人達が食べ物を分けてくれるし!
俺もといフレールは市場の人に可愛がられているので、買い物に出るとこうして物を分けてもらえるのだ。今は妹のおかげで食べ物には困らないようになったけど、もらえると嬉しいのでありがたくいただいている。
太る一方だろうって?やめてください。
フレールの平凡な顔にデブという属性をつけるのは本当に忍びないから、そろそろダイエットも考えないとな……。
「はいっ、ありがとうございます」
お礼を言って、もらったものを紙袋に入れていく。
さすがに妹と接する時のような口調で他の人と話すわけにはいかないから、女の子らしい口調を心がける。いつまでたっても背中がむずむずするけど、だからってバリバリの男口調で話したら不審がられるので我慢するしかない。
雇っているメイドが男口調で喋ると、ルクスリア家の品格?品位?的なのにも影響しちゃうからなあ。
「女の子って不便だ」
小さく溜息をつきながら歩いていると、路地裏に続く道が目に留まった。
……ここをまっすぐ行けば、ルクスリア家のお屋敷まであっという間なんだよな。
人目がつきにくいから女になっている俺が歩くには適さないけど、まあこの平凡フェイスだし。市場の人と話が弾んだからいつもよりちょっと時間かかっちゃったし。
そう言い訳をしながら、俺は路地裏へと足を向けた。
とはいえ見つかったらお小言待ったなしなので、早足で進んでいく。
既に何度か使った通り道。曲がり道がある時は誰かが来てないか注意するくらいで、それ以外のところに気なんて遣わない。
「……うおっ!?」
だからこそ足元に転がっているものに気づくはずもなく、俺は盛大に躓いた。
「ふんっ!」
そのまま前のめりに倒れると紙袋の中身が散乱するので、根性で体の向きを変える。代わりに後頭部と背中を打ちつけたが、食べ物は守られた。
「いてて……」
後頭部をさすりながら、体を起こす。
(一体何に躓いたんだろ。結構でかい感じだったけど)
そう思いながら歩いてきた方に目を向けて、ぴしりと固まる。
視線の先では、人が転がっていた。正しくは倒れていた。
(ぎゃあああああ!?)
悲鳴が口から出なかったのは奇跡に近い。
えっ、死体?死体!?
「……ぅ」
「あっ、生きてた!よかった!」
恐れおののく俺の前で、倒れていた人が小さく呻き声を上げた。
心の底から安堵しながら、近寄って勢いよく助け起こす。垢や泥なんかで顔がだいぶ汚れているが、少年っぽいのはわかった。
医者じゃないから断言はできないけど、なんというか、弱っている。
脱水症状とか栄養失調とかそういう感じの弱り方だ。
人を呼びに行くのが一番なんだろうけど、何もしないでそのままヘルプしにいくと死んじゃいそうな雰囲気があって動くに動けない。戻ってきた時に死んでましたはちょっとこう……困る!
「えーっと……なんか食べられそうなもの……」
悩みかけたところで、さっき庇った紙袋の存在に気づく。
そうじゃん、俺買い物してきたばっかじゃん!
紙袋の中に手を突っ込み、果物屋のおばちゃんからもらったリンゴを取り出す。ありがとうおばちゃん、サンキューおばちゃん。今度何か買いに行きます。
恰幅のいい果物屋のおばちゃんに感謝しながら、リンゴを軽く齧る。
甘酸っぱくてうまい……じゃなくて。柔らかめの実の部分が露出したのでそこに指を突っ込み、無理やり真っ二つにした。正確には真っ二つには程遠いいびつな割れ方だったけど、割れたのでよし。
自分の歯型がない方を向けて、割れたリンゴを少年に差し出した。
「ほら。これ、柔らかいところ食べてみ……て?」
食べてみなと男口調で言いかけたので、女の子っぽく言い直す。
むず痒くなるのを我慢して小首を傾げて無害アピールもしてみたが、そんな俺の努力も虚しく、少年はリンゴを受け取る気配がなかった。
食べたいのはわかる。目が明らかに物欲しそうにしているし、何なら喉も鳴っている。
でも食べない。それどころかリンゴから目を逸らして、俺から離れようと身じろぐ。
これあれだ、餌をやろうとしても警戒して近づいてこない野良猫。
野良猫なら根気強く餌を上げ続ければ心を開いてくれるが、今はそんな悠長なことをできる状況でもない。
「大丈夫。悪いものじゃないよ?」
「……」
「ほら、さっき私も食べたでしょう?変なものは入ってないから」
「……」
「ね?おなか空いているでしょう?」
「……」
ぷつっ。
「……いいから素直に食べろ!意地張るな馬鹿!」
「っ…!? ぅ、むぐぅ」
俺はキレた。
女の子口調も忘れて、リンゴを無理やり少年の口にねじ込む。少年はいきなり大声を上げた俺にびっくりしたらしく、存外すんなりいった。
一度舌先で果汁を感じてしまえば、やせ我慢も続かないらしい。
少年はねじ込まれたリンゴを夢中になって食べ始める。そのがっつきたるや、鬼気迫るものがある。むせないように背中をさすってやりながらもう片方も差し出せば、そっちの方もがつがつと食べてくれた。
「うまいだろ、リンゴ。おばちゃんがやっている果物屋の果物は全部うまいんだ」
「…っ」
笑いかければ、少年はこくこくと頷く。
その様子がなんだか微笑ましくて、つい頭を撫でてしまった。
「……」
「……あ、悪い!」
少年にジッと見つめられ、慌てて手を離す。
そうだよな、このぐらいの年齢だと母親にだって撫でられるのも微妙だよな……。俺だったら見ず知らずの女の子に子供扱いとか穴に入りたくなってしまう。
申し訳なく思っていると、少年は小さく首を横に振った。
……気にしてないってことかな?
「……ふ、はぁ」
そうこうしているうちに、リンゴは全部少年の胃袋に収まった。
満足そうに息をついている少年の口の周りは、リンゴの汁ですっかりべたべたになっている。垢や泥と混じって、余計にひどい。
思わずハンカチで拭おうとして、いやいやと首を振る。頭撫でるよりも残酷な仕打ちをする気か俺は。妹じゃないんだぞ。
代わりに取り出したハンカチを少年の手に握らせると、すくっと立ち上がった。
「ちょっと待ってな。今人を呼んでくるから」
「…ぁ」
「すぐ帰ってくるからー!紙袋見ててくれよなー!」
そう言って、俺は急いでその場を後にする。
早いとこ大人に声をかけて、彼を保護してもらわねば。
しかし、大人を連れて戻ってきた時、少年の姿はもうなかった。
ぽつんと紙袋と芯だけになったリンゴが放置されていて、肝心の少年は影も形もない。辺りを探してもらっても、見つかるのは浮浪者くらいだった。
……あの野郎!待ってろって言ったのに!
手伝ってくださった皆さんに頭を下げてから、俺は憤慨して屋敷に戻った。
その後コロッケ作りが大変だったのもあり(電子レンジで蒸すとかできないし)、気づけば俺の中からその時のできごとは綺麗さっぱり消え去っていた。
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