第6話:兄妹、がんばる

 王子様もとい、アサシン来訪当日。

 その日は朝から屋敷中の空気が浮ついていた。

 お目汚しがあってはならないと、普段は身なりを整える暇もお金もない下男や下女も当主様の采配でこざっぱりしている。皮脂でべたついていない髪を嬉しそうに結んだり編んだりしている下女のみんなは、それはもう可愛かった。

 女の子は可愛い。

 窓から見下ろせる世界の不変的真実を、スールの部屋で噛みしめる。

 本当なら近くで見たいところだが、生憎とそれは「作戦」が許さなかった。


「お兄ちゃん、そろそろアサシンが来る時間よ」

「……おう」


 声をかけられ、俺は名残惜しく窓から離れる。

 アサシンが来るって、改めて聞くとすごい言い回しだな……これからバトルアクションでも始まるのか?俺も妹も戦闘能力なんてないから、始まってもらっても困るけど。


「お父様に話して、フレールとは私の部屋で会ってもらうことにしたわ」

「よくオッケー出たなそれ」

「むしろ快諾よ。だって、私ともしっかり顔を合わせるってことだし」

「あー」


 納得の声を上げる。

 確かに当主様としては、家の誰かが売った恩で王子様に近づけるのも大事だが、それ以上に娘を気に入ってもらうことの方が遥かに重要だ。何せ一目惚れでもしてくれたら、娘は晴れて王子様のお嫁候補である。

 スールはどえらい美少女だから、当主様がそれを期待するのもわかる。

 昔のスールなら王子様さえ察しがよければひん曲がった性根を感知するだろうけど、今は妹のおかげで性悪がアンインストールされているから問題ないしな。

 妹曰く、スールが一目惚れされることは絶対にないらしいけど……。

 俺みたいに近親という心理的障壁(いや、今は血繋がってないけど)がないのに、この美少女顔に惚れないとか男としてどうなの。


「さて、お兄ちゃん」


 そんなことを考える俺の思考を、妹の呼びかけが現実に引き戻した。


「やるわよ。フラグ回避作戦、オペレーションナンバー1を!」

「作戦とオペレーションが地味に被ってない?」

「細かいことは言いっこなしよ!」


 そう言って、妹はテーブルの上に置いてあるものを手に取った。

 ……うまくいくかなあ、これ。




 コンコン。


「スール、ジャン=クリストフ様がいらしたよ」


 ノックの音とともに、当主様の声が扉の向こうから聞こえてきた。


「はい、お父様。今開けますわ」


 応じるように、妹がお嬢様モードで応対する。

 もちろん、扉を開けるのは妹ではない。スール付きメイドたる俺はゆっくりと扉に近づくと、部屋の外で待つ彼らを招き入れるように扉を開けた。

 顔は見られないよう、お辞儀で伏せたままにしておく。

 ここで当主様に俺の顔を見られるわけにはいかないのだ。

 顔をしっかりと上げて客人を出迎えるメイドの方が変なので、俺の様子が不思議がられた気配はなかった。第一段階クリアーである。


「ではジャン=クリストフ様、どうぞごゆっくり」

「ああ。案内感謝する、ルクスリア公」


 そんなやりとりをしてから、王子様っぽい足が俺の隣を横切り、部屋に入っていく。それに付き人っぽい足が続いた後、俺は顔を伏せたままさらに深くお辞儀をして扉を閉めた。


「お初にお目にかかります、ジャン=クリストフ様。わたくしはルクスリア家が娘、スール・ルクスリアと申します。お会いできて光栄ですわ」

「ジャン=クリストフ・スペルビアだ。気張らず楽にしてくれ、スール嬢」


 お嬢様モード全開の妹に、思わず鳥肌が立った。

 何度か聞いちゃいるが、何度聞いても慣れない。長文バージョンとくればなおのことだ。

 こっそりと腕をさすりながら、そっと顔を上げる。俺の様子を窺っていた付き人がぎょっとするのがわかったが、素知らぬふりで妹の傍らに歩いていった。


「……そのメイドが、貴方付きのメイドか?」

「はい。私の身の回りの世話をしております、フレールと申します」


 二人のやりとりに合わせて、くるりと客人達の方に振り返る。


「フレールと申します。お会いできてこうえ、い、で…す……」


 礼儀正しく挨拶をしようとして、半分失敗した。

 いや、半分は成功したことを褒めてほしい。というか俺は褒める。よくやった!



 どえらいイケメンが、目の前にはいた。

 肌は少し浅黒く、少し長めの髪は鴉みたいに黒い。目つきの悪い三白眼も、王子属性とのギャップでイケメン度を上げるパーツになっていた。

 当然のように声はイケボである。耳が孕むとか言われるやつ。

 昔はイケメン滅ぶべしと思っていたフツメンの俺だが、その主張を撤回する。

 このイケメンは国宝級だ。国の文化財として保護すべきである。

 正直、俺の魂が女の子だったら一目惚れだった。

 これに耐えて優雅に貴族風挨拶をした妹、すごすぎる。


 っていうかこれがあの時の少年?嘘だろ!?

 確かに顔は整っていた気もするけど、ここまでじゃなかったぞ!

 男子三日会わざれば刮目して見よって格言あるけど、一年でこのビフォーアフターはちょっとずるでは?


「…………」


 そんな国宝級のイケメンが、俺の顔を見て大変難しい顔になっていた。

 イケメンだから様にはなっているものの、それでもまぬけな感じは否めなかった。

 俺のせいでイケメンにこんな顔をさせているのかと思うと、大変心苦しい。


 さて、そんな俺だが。

 顔中にべったりと白粉を塗りたくって、唇には分厚く口紅を引いていた。



 そう、これこそが妹の作戦。フラグ回避作戦、オペレーションナンバー1。

 その名も「厚化粧で顔をわからなくしよう!」だ。

 当主様に見せられないのも納得がいくだろう。ばれた時点で雷である。

 妹曰く、フレールの平凡顔が好みなのだから厚化粧には間違っても一目惚れをしないだろうとのこと。全員と面通しがすんでいるから(面通しって言うなよなと突っ込んではおいた。犯罪者じゃねえんだぞ)もう一度来る口実には使えず、もしアサシンが察しても「顔を隠すくらい訪問が迷惑」ということをアピールできる。

 一石二鳥ならぬ一石三鳥の完璧な作戦。とは妹の談だ。

 俺としては侮辱罪でしょっぴかれるんじゃないかと気が気ではなかったが、肝心のアサシンは難しい顔はしていても今すぐキレるような様子はない。ホッと息をついてから、俺は仕切り直すように深々と頭を下げた。


「お初に、お目に、かかります」


 初対面だということをそれとなく強調する。

 ……うわー。

 感じる。後頭部に物言いたげな視線をひしひしと感じる。

 妹さんちょっと!これ明らかに納得してないんですけど!

 抗議するように、ちらっと妹の方へと視線を向ける。

 さっきまでの王子と同じく難しい顔をしていた妹は、俺の視線に気づくと目を軽く瞬かせる。そして、向かい合っているアサシン達に不自然に思われないように、しかし俺にはわかるように唇を動かした。



 が ん ば れ



 ……ちくしょう!無視すればいいんだろう無視すれば!

 俺は兄ちゃん俺は兄ちゃんと自分を鼓舞しながら顔を上げる。そして、難しい顔から不満そうな顔にシフトしているアサシンに向かって満面の笑みを浮かべた。

 俺達は初対面。いいね?


「……」


 笑顔の圧を向けること数分。

 アサシンは小さく息をついた後、妹の方に顔を向けた。


「公務の合間を縫ってやってきた身。慌ただしくて御身には大変申し訳ないが、我々はそろそろ帰城させていただく」

「わかりました、ジャン=クリストフ様。お手を煩わせてしまい、わたくしどもこそ申し訳ありません」

「……一年前のことだ。彼女が覚えておらずとも、仕方ないことだろう」


 うっっっっっ。

 イケメンの残念そうな溜息で罪悪感がやばい。俺の良心を攻撃するんじゃない。

 それでも妹の手前、鋼の心で申し訳ないという気持ちを顔に出さないようにする。代わりに浮かべるのは、おいたわしやって感じの謙譲語同情だ。

 そんな俺をアサシンが一瞥してきたが、そしらぬ顔で目を逸らした。




 それからいくつか言葉を交わした後、アサシンは部屋を去った。

 あまりにも早い退室だったためにスールやフレールが何か粗相をしたのではと当主様が血相を変えて部屋に来たので、妹がハンカチを見せて応対。追い返すことに成功する。

 俺はもちろん隠れた。白塗りの顔を見られたらクビになるわ。


「なんか、悪いことしたなあ」


 当主様が帰った後、ベッドの下から這い出ながらぽつりと零す。


「これも全てはお兄ちゃんの貞操もとい、破滅フラグを回避するためよ」

「貞操って言うのはやめてくんない?」


 まあ、俺の貞操もそうだが妹が破滅する可能性とやらを回避できるのはいいことだけど。


「……私としては、よくあんな大根演技で納得してくれたかが謎なんだけど」

「なんだって?」


 よく聞こえなかったので聞き返すと、妹はそっと目を伏せた。

 ……えっ、ここって哀愁を漂わせるところ?


「アサシンが納得してくれてよかったって言っただけ」

「そりゃあそうだろう。我ながら迫真の演技だったからな!」

「……」


 胸を張ると、妹は静かに目を逸らした。

 なんで目を逸らすのかがわからない。ここは俺の演技を褒め称えるところでは?

 しばらく首を傾げたが、褒めてもらいたくてやったわけじゃない。意識を切り替え、完全にベッドの下から這い出た。

 よいしょと立ち上がりながら、思い出すのは部屋を出る時のアサシンの顔。

 ソローな顔に、またも良心が痛む。

 ……やっぱり、なんか悪いことしたよなあ。

 罪悪感に背を押されるまま、俺はでかい溜息を吐き出した。




 しかし、俺も妹も甘く見ていた。

 ジャン=クリストフ・スペルビアの、一年越しの執念を。

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