きょんちゃん小話 ―バイトで魔王のお守りを命じられました―


 花の女子大生。憧れのキャンパスライフ。

 解放感いっぱいの大学一年生の春だというのに、飯田恭子は難しい顔のままキャンパス内を無言で歩いていた。

 大学生になったからといって、とくに着飾るでも、お化粧をするでもない、ごく自然な出で立ち。小柄な身体とクセッ毛のポニーテールも手伝って、彼女は少々幼く見える。

 しかし実のところ、現在の恭子は、とてつもなく凶悪なモノを持ち歩いていた。

『少しくらい愛想を振りまいたらどうだ、小娘』

 彼女の耳、いや、頭にだけ響く声。

『厭われたいわけでもあるまいに』

 語りかけ続ける声に恭子は小さく呟く。

「静かに」

 そして彼女は、トートバッグから覗いているウサギのぬいぐるみを軽く睨んだ。

 白いふわふわの布。目は、片方がピンクもう片方が黒のボタンで出来ていて、口はバツの刺繍になっている、可愛らしいウサギのぬいぐるみだ。

 しかし、何故だかぬいぐるみの首には黒い革の首輪がつけられ、それは鎖でつながれている。

 どこかサイケデリックな雰囲気すらあった。

『どうせお前にしか聞こえないのだから、静かにしようとしまいと、同じことだろう』

 意地の悪い声は恭子に囁き続ける。

 あぁ、早くこの声を消してしまいたい。そう思っても、恭子にはそうできない事情があった。

『にしても、異世界対策課も酷なことをする』

 クツクツと笑いを漏らすソレに恭子は何の反応も返さない。

 ソレの狙いは、恭子が動揺すること。その動揺につけ入り、己の行動範囲を広げることだ。

 恭子はその手には乗らない。乗らないからこそ、ソレのお守りを任されることになったのだ。

 もっとも、異世界対策課の課長である遥斗は苦々しい顔をしていたが。

 しかし、このウサギ―いや、ウサギのぬいぐるみに封じられている魂―が恭子の身体、正確には血に反応してしまうことは止められない。

 恭子の姉である飯田頼子の身体に、半分とはいえ融合していたソレは、恭子と縁で結ばれてしまった。

 ソレを完全に消し去ることは、今の遥斗には不可能なのだそうだ。縁を断ち切ることも。 

 ちなみに、勇者の聖剣でも無理とのこと。実体がない、核すらもない、ただの魂に打つ手がない現状。という説明だった。

 できることは、封じ込めること。管理し続けること。

 魔力はほとんど残っていない魂だが、腐っても元が魔王だ。しかも厄介なことに、その魂は恭子を介することができてしまう。

 苦肉の策として打ち出されたのが、恭子ごと魔王の魂を管理する、というものだったわけだ。 

 厳重な封じを施されたぬいぐるみは、しかし皮肉なことに異世界対策課でバイトを続ける恭子に思わぬ能力を授けることになってしまった。

 遥斗の頭痛はいかばかりか、と、恭子は少し心配にすらなる。

『おや、通りすぎるぞ』

 囁かれた言葉に恭子はぴたりと足を止めた。

「嘘じゃないでしょうね」

『嘘であれば、お前にはすぐに分かるであろうが。阿呆だな。我は無意味なことなどしない』

「…………………で、どこ?」

『そこの建物の突き当たりだ。この大学の敷地内が罠だと気付いているな』

 辺りを確認し、恭子はスマホを取り出すと画面をタップした。すると地面にすぅっと魔方陣が浮かび上がる。

 パシュッと四方に飛んだ光を目で追って恭子は尋ねた。

「目標にはとどいた?」

『ああ、捕えた。が、どうやら、お前にご立腹らしい』

 愉快そうなソレに、恭子は油断なくじっと前方を見つめる。

 角にゆらっと影が揺らめいた―――と思ったら、男性が一人そこから躍り出た!

『小娘!』

 叫ばれなくても恭子は自分が何をすべきかなんて分かっている。

 トートバッグからウサギのぬいぐるみを手に取ると、自分にむかって走ってくる男にそれを思い切りぶん投げた。

 シャララララララッと鎖がトートバッグから伸びていく。その鎖に手を添え、もう片方の手にはスマホを持ち、恭子は呟いた。

「魔力を付与。敵を止めよ」

 鎖を伝ったのは魔力。それがぬいぐるみに到達するやいなや、ぼこっ、ぼこぼこっとぬいぐるみが膨れ上がり―――――ブチブチィッという布が千切れる音と共にウサギの口が裂け、そこに鋭い牙が現れた。

 小さくて狂暴な獣に、ウサギの被り物を無理やり着せた、そんな姿だった。

 その、ぬいぐるみの皮を被った化け物が、鋭い爪で男を切り裂く!

「ギャッ!!」

 ばりっと男の腕が裂けたが、そこから血がしたたることはない。

 めくれ上がった皮膚の下には鈍く光る鱗が覗いていた。

「大人しく捕まってください」

 静かな声で告げる恭子を男は憎々しげに睨むと、吐き捨てるように言った。

「嫌だね」

「…………では、力ずくで捕まえます」

 ふっと息を吐き、恭子はシャラリと鎖を緩ませ命じる。

「捕縛せよ」

 鎖に繋がれた化け物はニタァと不気味な笑みを浮かべた。

『大人しくしていれば、痛い思いをせずにすむというのに』

 だがその声の響きは、愉悦たっぷりだ。

『さぁ、足掻け』

 化け物が鋭い爪を閃かせ跳躍する。男は素早くそれをかわすが、しなる鎖が逃げ道を塞いだ。

「ぐ、あっ!」

 鎖がぐりっと男の身体に巻きついて、バランスを崩した男に、容赦なく斬激が襲い掛かる。

『ほらほら、どうした? まだまだ本気を出しておらんぞ?』

 相手をいたぶるのが楽しくて仕方がない、そんな口調に恭子は眉をひそめる。この声は男には聞こえていない。

 しかし伝わるものはあるだろう。恭子は化け物の残酷な戯れを早々に終わらせるべく、鎖をぐいっと引っ張った。

「ぐぁっ!!」

 苦しげな男の悲鳴に恭子は心のなかで謝罪する。

「捕縛完了。魔力、剥奪」

 恭子の言葉にウサギは舌打ちしたが、みる間にそれは萎んでいき、最終的には無惨な姿のぬいぐるみがぺしゃりと地に落ちた。

『これからが良いところであるのに』

 それはぶつぶつと文句を言っているが、恭子はこれ以上聞く気はない。

 トートバッグから封じ用のガムテープを取り出すと、ぬいぐるみの残骸をぐるぐる巻きにする。

 そうすると恭子の頭に響いていた声が徐々に小さくなり、ついには消えた。

 そこでやっとほっと息を吐くと、恭子は男から距離をとり、スマホで事後処理班への連絡をする。

「大人しくしていてくださいね」

 鎖が巻き付いた身体を横たえた男は、もう動こうとはしなかった。

 ただ、自分を恐怖のどん底に追いやった女を見上げて小さく呟くだけ。

「……………悪魔」

 たいへん不本意だが、元魔王の魂を従えて仕事をする恭子の悪名は、着実に高まりつつあった。








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