第30話 談笑

      30


 数々の儀式を、僕たちは驚くほどの勢いで消化していった。紙を人型に千枚切り抜く面倒な作業だって半日で終わってしまって、今日のシチューを作る儀式に関してはちょっとしたキャンプのご飯作りのようになってしまっていた。

 台所に立つ僕と春葉は、白いルーのぐつぐつと煮立っている鍋を見つめる。

「……これ本当に私達が食べちゃ駄目なのかしら?」

「神様が食べるらしいよ。だからまあ、どれだけカピカピに乾いても魔方陣の中に二時間は放置しなきゃいけない」

 僕は濡れ布巾を間に挟んで鍋の取っ手を持ち、横においてある魔方陣を描いておいたテーブルクロスの上にそれを置いた。

「後残ってる儀式って幾つぐらいだ?」

 リビングで一人テレビを見ていた正広が僕に尋ねてきた。

「んーと……あと十くらいかな、前切り抜いた人型千枚を魔方陣に置いた鍋で燃やしたり、焚き火の前で踊ったり、僕のお腹に魔方陣描いてお祈りしたり」

「随分とヘンテコな儀式だよなあ。小学生が遊びで作ったみたいな儀式だ」

「確かに。まあ代用品ばっかり使ってるってのもあるけどさ。羊皮紙じゃなくてルーズリーフ燃やしてるのとか。魔方陣とかも普通にマジックで書いちゃってるしね」

「――ねえ朝日」

「ん?」

 リビングに出てきていた僕は顔だけを台所の春葉に向ける。

「最後、朝日のお腹に魔方陣を描いてお祈りするって言ったじゃない? 今まで魔方陣の上に置いてた物を朝日は儀式で捧げてきたでしょ。まさか最後は、朝日を捧げるってこと?」

 春葉の声がみるみる曇っていくので、僕は大慌てで春葉の疑問に答える。

「違う違う! 別に僕は死んだりしないよ」

 しかし、ここで嘘をついてしまえるような度量が自分には備わっていない事を、僕は十分自覚していた。

「――ただ、僕の一番大切なものを捧げなきゃいけないらしい」

「大切なもの……って、何?」

 春葉は不安げな目線を僕に向ける。

「……僕も分からない」

「じゃあ朝日が俺達の事を一番大事とか思ってたら俺達が消える、っつーことかよ?」

 正広はいつも通りの何も気にしていないような口調だった。

「あー、それはないかな」

「なんでだよ」

「お前らは別に一番大切とかそういうのじゃないから」

「寂しい事言ってくれるなあ。はるばる青野乃の地に駆けつけたってのに」

「別に腐れ縁みたいなもんだろ、僕たち」

「そりゃそうだ」

 テレビに向き直った正広。僕と春葉もリビングのテーブルに座った。二人分の席が部屋の入り口側とテレビ側にあって、正広がテレビ側の一席に座っている。僕が春葉の隣に座ってしまうとなんとなくばつが悪かったので、正広の隣に流れるように座った。

 テレビをぼさっと見ながら、僕の一番大切なものって何だろうかと考えてみた。

 正広? ――違う、さっきも言ったようにただの腐れ縁だ。昔から僕の事を知ってくれてはいるけど、そんな重い関係とかではないつもりだ。

 春葉? ――いや、彼女への恋心はもう残っていないといっていい。そりゃあ友達としては大事だけれど。

 僕自身の命とか? ――でも別に死んでも良いかとかたまに思ってたしなあ。自分の身が危険に晒されるような土壇場になってみないと、どのくらいの優先順位なのか分からないけど。

「朝日はさ、それでいいの?」

 無限ループのような問答でいっぱいの僕の思考を遮ったのは、春葉の声だった。

「大切なものってことは、本当に自分にとって無くちゃいけない宝物みたいなもの、ってことじゃない? でもそれを無くさなきゃいけないって……本当に辛いと思うの」

 春葉の言葉は、僕にもなんとなくだけど分かった。心配をかけているんだな、とも思った。

「大丈夫、では多分居られないかな。僕は心が弱いからさ……」

 僕の心に不安は常に付きまとっている。それでも僕が歩みを止めずにいられるのは綿雪さんの事があって。

 そして僕には、友達もいるから。

「だから、また適当に遊んだりしてくれればありがたいかな。そうすれば、そのうちその事も忘れて生きていけると思う」

「……そっか」

 春葉はどこかまだ納得がいっていないような様子の気もする。すると、いつの間にかテレビからこちらに顔を向けていた正広が僕に話しかける。

「でも正直、この時期遊んでる場合じゃねーよな。一応受験だし」

「正広からそんな台詞出てくるとは思わなかったけど、確かにそうだな。帰ったらまた勉強漬けにならないと」

「じゃあ、遊びに行くとしたら受験後の春休みよね。三人でカラオケとかどう?」

「ん、そもそもそれは……いいの?」

 僕が正広の方を向いたら「気にしすぎなんだよ」と怒られた。

「……じゃ、カラオケで」

「おっけー、決まりね。だからまずは今やってる事すぐに全部終わらせて、帰ったら勉強! そしたら遊ぶ!」

 春葉がそうまとめると、テレビを見ている正広が「うーす」と張りの無い返事をする。僕は笑いながら、いつの間にか空っぽになっていた鍋を洗い始めた。

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