第27話 コメンテーターのなずなさん
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雨が強く僕の持つ傘を打つ。それでもおばさんの折り畳み傘は割と大きくて、旅行鞄を濡らすことなく運ぶことができている。
「いうてもすぐそこやわ。自分目ぇ悪くないんやったら、前にもう看板見えとるやろ?」
歩きだして二分も立たない間に、その看板は見えていた。鮮やかな緑と赤の文字で、〔民宿 四季〕と書かれており、その文字にはデフォルメされた葉っぱが添えられていた。その文字を見て泊まるところがあるのとやっと実感出来たのか、重い鞄が少し軽くなったような気がした。
ただ、なんだろう。僕はこの看板に見覚えがある気がする。
「しかし、自分あれか? もしかして家出か?」
「おばあさんにも同じこと言われました」
「そら誰が見ても言うわ。中学生にしか見えへん子供がこんなアホみたいに大きい荷物持って電車乗ってんねんから」と、おばさんはカラカラ笑う。
「別に自分、法に触れたとかそんなんやあらへんねやろ? さすがに殺人鬼匿ったとかなったらウチの民宿ホンマに潰れてまうからな」
「殺人鬼じゃないのでよろしくお願いします」
「ほいほい。――そう言えば、まだ名前教えてへんかったな。アタシはなずなっていうねん。よろしく。ほんで君は?」
「日浅朝日です」
「なんや早口言葉みたいな名前やな。なんか聞いたことあるかもしれへんけど忘れたわ」
「……そうですか」
「とか言うてる間に着いたで、入り。ここがウチや」
僕は和風の、一般の家にしては大きい民家の中に案内された。木張りの床がオレンジの蛍光灯の光を弾いてつやつやと輝いている。玄関には靴が一足も無くて、他には誰もいないようだ。
「まあ一旦こっちおいで、中の案内するわ」
なずなさんは履いていた草履を脱ぎ捨て、ずんずんと奥に進んでいく。僕もスニーカーを脱いで並べてから、大荷物を抱えて慌ただしくおばさんの後を追いかけた。
「トイレ、風呂、洗面所、ダイニングルームは共用で全部一階。洗濯機は二台置いてあるから、宿泊者用の一台勝手に使うて。ほんで、ご飯は部屋で食べてもろてもいいし、うちらと一緒に食べてもらっても構わん。メニューはアタシが勝手に決めてしまうけど、その辺は堪忍な」
てきぱきと説明を進めるなずなさん。関西の人ってやっぱり皆喋るのが上手かったりするんだろうか? そんなことを思ってる間に、僕の前に現れたのはまあまあ急で幅の狭い階段だった。手すりがない。下るときが落ちそうで少し怖いかもしれない。
「で、ここが階段。次は二階な。朝日くんが泊まる和室は二階や」
U字型の階段を上りきって右手側に部屋があった。中に案内されたのは、思っていたよりも広い、畳の香りがする和室だった。ここなら、落ち着いて儀式をこなすことが出来そうだ。
僕は部屋の角に荷物を置き、部屋をぐるりと見渡した。腕組みをしているなずなさんは、どこか誇らしげな表情だった。
「良い部屋ですね」
「褒めたってさすがにこれ以上安く出来へんで?」
「というか一泊幾らなんですか? 安くしてくれるとは伺ったんですけど」
「えー、おばあちゃん割引せなあかん? ……ほんなら一泊三食付で四千円にしといたろ」
「それって安いんですか?」
「めちゃめちゃ安いわ! 大赤字もええとこやでホンマに! 気になるんやったら自分、今度他の民宿の料金とかネットで見てみ? ウチとか比にならん高さやから!」
ということらしい。一泊が四千円で生活の予算が十六万円だから、まあ一ヶ月と少しぐらいはここで儀式をこなすことが出来そうだ。ありがたい。
なずなさんが白いレースのカーテンを開けると、外は変わらず雨が降り続けている。
「ほなとりあえず、お昼ご飯食べよか。朝日くんもお腹空いとるやろ?」
「あ、はい。頂きます」
ずんずんとダイニングルームに向かうなずなさんの背中を、僕は小走りで追いかけた。
「じゃあ朝日くん適当に座っとってくれる? すぐカレー温めるわ」
言うなりなずなさんは台所に行ってしまって、部屋は随分と静かになってしまった。ガスが燃えているしゅー、という音だけが聞こえてくる。スパイスの香りがつんと僕の鼻を突いた。
「なずなさん、テレビとか点けても良いですか?」
少し大声で言うと、台所から大きめの声が返ってきた。
「ええけど今の時間おもろいテレビとか何もやってへんで? ワイドショーばっかや」
「大丈夫です」
僕はテーブルの片隅に雑に置かれていたリモコンを拾い上げ、適当にチャンネルをザッピングし始めた。僕の日常に関わりのあるような話題なんてまるでなく、評論のおっさんが芸能人の不倫に関して持論をくっちゃべってるような番組ばかりだった。
「不倫かあ……」
「ん? 朝日くん不倫したん?」
いつの間にかカレーの皿を持って台所から出て来たなずなさんが、僕を見て悪そうな笑いを浮かべている。
「なわけないでしょう。僕は一途ですよ」
「ホンマかあ?」
「好きな子だっていたことありますよ」
自分で自分の傷口を抉るのは僕の悪い癖だ。
「そう言うって事はアタシが色々訊いてもええっちゅーことか?」
「……嫌です」
「天邪鬼やなあ自分で話出しといて。はいカレー。口火傷したらアカンで」
なずなさんは僕の前にカレーの平皿を置くと、四人がけテーブルの僕の正面に座った。
「うちの旦那も浮気性でなあ。クラブの名刺がコートのポケットとかからよー出てきよんねん」
「怒らないんですか?」
「怒る怒る。で許す。旦那が最終的にこっちに帰ってきたらアタシの勝ちやからな」
「優しいんですね」
なずなさんは正広に似てるな、と少しだけ思ったりした。
「まあぴちぴちした若い子がエエのはアタシも分かるからなあ。ウチも旦那よりテレビのイケメン俳優見てる方が断然エエもん。今度ホストクラブとか行ってみたろかな……」
「でも、最終的には旦那さんのところに帰るんですよね?」
「そらアタシも旦那もお互いがおらんと生きていけんくなってしまったからな。ホンマ人生失敗したわあ……」
「いやそこまで言わなくても……」
大げさに頭を抱えるなずなさんにそう突っ込む。カレーをスプーンでひとすくいして口に含んでみると、ウチのよりも辛かった。
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