第16話 答え合わせ
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正広が今にも校門を出ようとしてる所に、汗だくの僕はようやく追いついた。
「……ん。なんだ、結局一緒に帰るのかよ」
息を切らす僕を振り返って、正広は何事も無いように言った。僕は正広の顔を睨んだ。
「正広、お前どうしたんだ? なんか変だぞ」
「何が?」
「とぼけるなよ。さっき、春葉にもちょっとキツく当たっただろ」
「ん、そう……か。そう見えちまったんなら悪い。今度謝る」
正広もやはり、指摘されてみると心に引っかかるものはあるらしい。
「やっぱり、まだ金曜日のこと引きずってるのか?」
「――そうだな。正直、まだちょっとしんどい」
何故かタメを作った正広。
「……なあ正広。ちょっと、公園に行かないか?」
「いや、だから――俺には用事が」
「嘘ならつく必要は無いぞ」
僕は問い詰めるように少しキツめの口調で言う。
「……分かったよ」
観念したというように、正広は眉間を掻いた。
あの日、春葉を泣かせた公園のベンチで、僕と正広は並んで座った。公園までの道中、ピリついた雰囲気だった僕達は一言も喋らなかった。いつもの帰り道とは比べ物にならないくらいに、重く、苦しい空気が僕達にまとわりついていた。
「前々から、ずっと訊きたかったんだ」
僕は単刀直入に、そう切り出した。
「何をだよ。改まったみたいに」
「実際改まってるんだよ。――お前、こないだ僕に訊いたろ、僕と春葉に何かあったのかって。僕は今までと同じって答えた。昔と変わらない、幼馴染のままだって」
自分のことは棚に上げて。
「じゃあ、僕は逆に正広に訊きたい。『お前と春葉、何かあったのか?』って」
「……」
「もしかすると正広は、春葉のことが好きなんじゃないのか?」
「……」
好きなら好きで、正直に言ってもらいたいなという思いはあった。だが、それはそのまま自分にも言えることだ。勝手なエゴでしかない。
でも、正直に言ってもらえた――その時には。
「――ああ。そうだよ」
正広は答えた。
「……嘘じゃない、よな」
「俺が嘘つくの苦手だって、朝日はよく知ってるだろ」
「まあ、十年以上の付き合いだからな」
正直、戸惑いがないといえば、嘘になる。
「――やっぱり、そうだったのかよ」
僕の言葉に正広は力無い笑みを浮かべる。
「あいつの……春葉の事を考えるとさ、胸が張り裂けそうになるんだ。息がしにくくなって、頭の中がそれだけでいっぱいになる。頭の悪い俺でも、これが片思いだってすぐに分かった」
僕は黙っている。正広は続ける。
「でもさ、俺、馬鹿だしさ。頑張ってた野球だって負けちまったし、図体ばっかでかくて頭空っぽで。多分、俺じゃ春葉とは釣り合わねえ……そんな風に、感じちまってさ」
正広の話は全く頭に入ってこなかった。言葉が右耳から入って左耳に抜けていくような感覚。西日がじりじりと僕の頭を焼く。
それでも、僕は正広の言葉を受け入れて、答えを決めなきゃならない。
「……釣り合わない?」
辛うじて耳の隅に残っていたワードを、そのまま正広に投げ返す。
「あいつさ、やっぱりかわいいだろ。そこに芋臭い俺なんかが……告白してもさ」
芋臭い俺。そのワードを聞いた瞬間、沸々と湧いていた感情が、どっと溢れ出した。
これは――怒りだ。
「ぐちぐち言ってねえでさっさと行けよ!」
「……は?」
「告白だよ! 不似合いかどうかなんて自分で決めるもんじゃねえだろ! 馬鹿? 野球で負けた? 芋臭い? 春葉がそんなこと気にするような奴だと思ってんのかよ!」
自分に言っているような気分だった。
全てを後回しにしてきた自分に怒るように、僕は正広に言いたいことを全てぶちまける。
「しょうもねえこと気にすんなよ! 振られようが何だろうが全力を尽くすのがお前だったろうが! ハートで生きてるんなら好きなんだって心から言えるだろ! 不似合いとか、幸せに出来ねえとか、この感情が好きで合ってるのかとか、どうでもいいんだ! 自然と春葉のこと見つけちまうんだろ!? 好きだから素っ気なくしちまうんだろ!? 自主練とか言って野球を逃げ道にして春葉と会わなかったんだろ!? だったらっ……!」
言葉が次げなくなって、沈黙。僕の切れ切れの息遣いだけが、公園の空気をかき混ぜる。多分、人生で一番大声を出した。説教に交えて、自分の鬱憤までぶつけてしまった。
「……ごめん、取り乱した」
「いや、俺こそ悪かった。らしくなかったよな」
「――正広の良くて悪いところは、考えないところなんだから」
「サンキュ」
信じられないくらい丸かった正広の背筋が、伸びた。
「朝日がここまで怒ってくれたんだ。うじうじしてねえで、頑張らないとな」
「――ああ」
これが僕の答え。僕自身のことは、棚に上げたままにしておくこと。
「でもさ、朝日」
「何」
「いいのかよ」
まだ、そんなことを言うのか?
――いや、違う。正広が言いたいことは、多分僕の本当の思いを察してのことだ。
「行けよ」
中途半端な僕の衝動が、揺らがないうちに。
「……悪い」
正広はそれだけ残して、スカスカの鞄を肩に担いで公園を飛び出していった。
公園に残された僕は、大きく息を吐いた。
自分の部屋に帰ってきてすぐ、荷物を放り出してふらりとベッドに倒れこんだ。疲れたわけではないが、なんとなく倒れこみたい気分だった。うつ伏せに寝転んでいると、心臓が今もずっと一定のリズムを刻んでいるのがよく分かった。布団は一日を終えた僕の体をふわりと包み込む。すぐにまどろみがやって来そうだった。
ここ数ヶ月はとても色々なことがあったように感じられる。特に、三年生になってから、僕の周囲はめまぐるしく変化した。
綿雪さんの謎の儀式を手伝っている。交換日記も始まった。
春葉とよく喋るようになって、久しぶりに泣かせたりもした。
テストで学年三位以内を取るために必死で勉強した。
あんなに眩しかった正広の挫折と恋を知った。
あいつなら春葉のこともよく知ってるし、今日の悪印象もすぐに取り払えるから、上手く付き合っていけるだろうと思う。そうなれば、僕はとうとう失恋してしまうわけか。いつ頃から春葉との友情が片思いに変わってしまったのかはわからないけど、淡い恋だったもんだ。
せめて、告白ぐらいしておけば良かっただろうか。
――違うな。僕は告白できなかったんだ。
そばで春葉が笑っているのを見るだけで満足してしまっていた。それ以上踏み込むことを恐れてしまっていた。その笑みが僕に向けられなくなってしまうことが、とても怖かったのだ。正広に春葉を譲ったのも、その逃げの結果だった。友人に想い人を譲って自分は一人センチメンタルに――なんて茶番だ。自分に自信がないから蓋をしただけだ。そうした方が楽だからだ。無限ループで心を拗らせずに済む、そう思ったからだ。
だが実際はどうだろうか。僕はこうして親友に嘘をついて、幼馴染との恋を諦めて、悶々とベッドに伏している。嫉妬と欝を抱えて、独り相撲で勝手に土俵上をのた打ち回っている。
春葉に「俺、お前のこと好きだったんだ」とか言ったら、春葉はどんな顔をするだろうか。
――馬鹿か、僕は。邪魔に決まってるだろ。ストーカーにでもなる気かよ。
ベッド上に適当に転がっていた枕を手元に引き寄せて、顔をうずめた。目をつぶった時の闇は、僕の今の心情を表しているようだった。春葉を泣かせたときと同じ、醜い感情が僕の中でどろどろと渦を巻いている。
自分の事ながら気持ちが悪い。
呼吸が荒くなってくる。心臓が脈打つ感覚が僕の気分を更に悪くする。徐々にこみあげる吐き気が僕の空っぽの胃を叩く。後悔とかもう遅いんだ。上っ面でそんな事を思い浮かべるけどそんなもの意味がない。これが僕の本心。人を羨み妬むだけで、自分は何も出来ない。
正広の眩さは僕が影のようなものだから感じていたものだったんだと気付いた。
「朝日、ご飯出来たわよ!」
突然母さんが僕の部屋に入ってきた。
「母さん、ノックぐらいしてよ……」
「その前から一階で呼んでたけど反応してくれなかったし――あら、なんだか調子悪そうね」
「いや、大丈夫。すぐ降りるから」
「熱があったらちゃんと薬飲みなさいよ」
「大丈夫だってば……」
僕が鬱陶しさをこめて言うのを聞いてから、母さんは出て行った。僕も体を起こそうとしたけど、心がついていかなかった。何か別のことを考えたくなって、荒っぽく日記帳を鞄から引っ張り出して、綿雪さんからの返信を確認する。
*
七月九日(水)
おめでとう! 学年二位なんてスゴいよ! 今の朝日くんなら受験だって楽勝だね!
それに比べて私は……どうしよう。実はまだ行きたい学校すらも決まってないんだ。(笑)
朝日くんはどこの学校に行こうかなんて決めたりしてる?
華
*
日記の中では、今の僕を知らない綿雪さんの返信が書き連ねられていた。
何をすればいいのか分からない僕は、ふとなんだか泣きそうになった。しかし、泣こうにも泣き方が分からない。だから、僕は体を起こしたままノートを見つめるしかない。
結局、僕は翌日学校を休んだ。
人生で初めての仮病だった。
*
七月十日(木)
どうにも食欲が湧きません。色々やる気が起きません。……テストの反動かなあ。(笑)
志望校は、まだ決まってません。
朝日
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