第9話 夕景、背中
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本来なら正広と一緒に帰っているはずだった夕暮れの坂道を、僕は春葉と一緒に上っていた。夏が少しずつ近づくこの季節、道の脇の雑草は一層青く、たくましく育っている。
まさか正広が僕に気を遣ったのかと思ったりもしたが、そもそも正広は僕が春葉を好きだと知らないはずだった。だからまあ偶然だろう。
「しかし変なこともあるもんだな……正広が先に帰っててくれって。僕今まで一緒に帰る約束してて、こんな風になったこと一回も無かったのに」
「やっぱり総体も近づいてきてるしね。運動部はどこも引退試合にならないように必死なのよ」
「正広の総体っていつだっけ?」
僕が述べた疑問に、春葉はどこか遠い目線から見ているように意見を述べてくれた。
「野球部のトーナメント初戦は七月四日じゃなかったかしら。確か金曜日だったけど、どこの部活も試合だから運動部じゃない私たちは休みだった覚えがあるの」
「僕はずっと帰宅部だからね……。春葉は吹奏楽部だったっけ?」
「入ってたけど、ずっと前に友達と上手くいかなくて辞めちゃった」
「そっか……。女子って噛み合ってるときは楽しそうだけど、噛み合わないときは最高にギスギスしてるもんな」
「それは男子も似たようなものじゃない?」
「いや、男子は嫌いな奴をわざわざグループに入れたりはしないからね。嫌いな奴は大抵嫌いだって態度で示すし、その辺はハッキリしてるよ」
僕はクラスの女子が陰口を言っている場面を思い浮かべながら話す。
「女子はなんであんなに関係がどろどろしてるの? 仲良いフリまでわざわざしなくても良いと僕は思うんだけどな」
「なんて言うか――女子って、皆見栄っ張りなの。誰かと仲悪いの見られるのも嫌がったりね」
「春葉もそういえば見栄よく張ってるよね」
「私はいちいち自分を飾ったりしないよ?」
「いや……例えば保育園の頃に僕と結婚するとか宣言して、その理由が僕が一番背が高いからとか言ったの覚えてる? その方が見栄えが良いからって」
急に春葉の笑顔が面白いくらいにぎこちなくなる。
「え? 私そんなこと言ってたの?」
「言ってた言ってた。その頃は今の春葉の言う、僕に恋するオトメってやつだったんだろうね」
「九割見栄え重視だけどね」
「うるさい」
残りの一割は何なんだよ。
さすがに喉につっかえてその言葉は出てこなかった。
「うん……まあ、あれだね。私、今はそんなに高身長男子が好きとかはないよ」
「そりゃ十年近く経ったら好みも変わるよな」
「変わったよー。本当に」
そう言って前を見つめる春葉は、夕日に照らされて綺麗だった。このオレンジを反射する春葉の綺麗な目が、保育園の頃みたいに僕を見つめてくれることはあるんだろうか。見栄え重視だって構わないのに。あ、でも身長低いんだ僕。
「……人の顔まじまじと見つめないでよ」
「へっ? ――ああ、ごめんごめん」
「朝日の家って、この交差点を左に曲がったところよね」
「そうだよ」
気付けば、そこはいつも正広と別れる交差点だった。
「私は真っ直ぐだから、今日のところはここでお別れね。楽しかったわ」
「そうだね。僕も結構楽しかったよ。……どうせ僕は図書室に入り浸るから、来週の木曜日にはまた会えるよ」
「それもそうね。――じゃあ、また学校でね」
春葉は夕日を背にして僕に手を振る。僕がそれに手を振り返すと、春葉は満足したように自分の家に向かって行く。
その背中を見て少しだけ、焦った僕がいた。
「あのっ。春葉……さ」
突然後ろから声をかけられて、跳ね返ったように春葉が僕の方を向いた。
「今度、正広の試合、一緒に応援に行かないか?」
少し考える素振りをしてから、春葉は僕の台詞に「いいよ」と返してくれた。
「二人で正広の背中、押してあげよっか」
そう笑う春葉の笑顔は、とても眩しかった。
*
五月二十九日(木)
正広っていう野球部員の友達がいるんだ。背が大きくて、運動が出来て、明るくて、いつも皆のことを気にしててね。僕は正広みたいになりたいっていつも思ってる。
僕はよく正広と約束をして一緒に帰ることがあるんだけど、今日はこれまでの中学生活で初めて、一緒に帰る約束をしておきながら一緒に帰れなかったんだ。アイツが約束を守りきれないほど忙しいってことにびっくりしたし、やっぱり、大会でちゃんと勝ちたいんだろうなあ。
僕も勉強頑張らなくちゃなって思った。
朝日
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