第8話 勉強の日々と図書室の来客
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「へえ……賭けなんてやってるのね。最近図書室に来ても、本も漁らずに机に向かうから何事かと思ったわよ」
図書カウンターで教科書とにらめっこしながら、春葉は僕にそう言う。ここ最近は僕が週に二、三回図書室に入り浸って勉強するようになったこと以外特に変わったことは無く、図書室には相変わらずほとんど利用者もいない。だから毎週木曜日に僕と春葉が図書室で喋るのがお決まりの流れになっていた。
「賭けに勝ったら何があるの? お小遣いアップとか? ――でも朝日ってお金で釣られるようなタイプじゃないわよね」
綿雪さんのことは――なんとなく言いたくない。
「その辺は内緒」
「えー、ケチ。教えてよ」
僕は春葉の文句を聞き流して英語のワークを一ページめくった。春葉は僕の話を続ける。
「じゃあその話を聞く限り、今朝日がやってるのは期末テストの勉強ってこと? まだ五月下旬だから一ヶ月以上先じゃない」
「勉強始めるのは早ければ早いほどいいよ」
「でも、三位以内ってさすがに厳しくないかしら。いつも学年トップのくんで九教科八百八十点くらいだって聞いたことあるわよ」
「凄いなもう化け物みたいだ……。まあ僕でも頑張ればどうにかなるよ。多分……」
「もう自信なさげよね」と、春葉はくすくすと僕を笑う。
「学年三位以内はさすがに未知の世界だからね……ちょっと歯が立つかどうかわかんない」
「頑張れ。図書室なら開けといてあげるから」
「ありがと。頑張るよ」
しばらくの間、僕たちはシャーペンを無言でひたすら動かし続けて、気付いたら四時くらいになっていた。学校の木製椅子は背もたれが固くて背中が疲れる。僕は立ち上がって大きく背伸びをした。春葉の方をふいと見た僕の目線が、春葉が顔を机に向けたままちらりと僕に向けた目線と、たまたまぶつかってしまったので咄嗟に目を逸らす。
ちょっと休憩することにした僕は、席を離れていつものように本棚を漁り始めた。カーテンを閉めていなかったから、本から反射しても眩しいくらいに陽光が強く差し込んでいた。
僕が本を探し出して少し経ってから、本棚の向こうのカウンターの方から春葉の声がした。
「そうだ、朝日」
「ん、何?」
「最近、勉強の合間に本を読むようになったの。何かいい本があったら教えてくれない?」
「図書室なんか使い出したの最近だから、あんまり良い本読んだこと無いんだけど……」
「じゃあ本屋さんとかにある本でも良いわよ」
「ジャンルは?」
「何でも良いけど、泣けたりする本とかあったら嬉しいな」
「泣ける本か。僕本は読むけど本で泣いたことないからな。切なくなるとか、ああいう感じ?」
「そんなのそんなの」
話を聞いてから、頭の中で最近読んだ本のサーチをかけていく。そもそも好みが冒険ファンタジーだったり、ミステリーだったりするのでその辺りはよく読むけど、青春とか恋愛とかそういうジャンルのものはあまり読むことが無い。でも折角なら春葉の希望に合わせてあげたい。何か良いものは無いか――と思い出す範囲を小学生の頃にまで広げようとする直前に、丁度一冊の本を思い出した。綿雪さんと出会った日に読んでたあの本。
「じゃあ【エンディング=ガール】って本なんてどう?」
「それってどんな感じなの?」
「えっと……、アニメっぽい絵が所々に入るライトノベルってタイプの小説なんだけど、中身が結構色々詰まってるんだ。ライトノベルは僕たちくらいの年齢が読みやすいように作品を書くことも多いんだけど、あれは読みやすい上に大人が読んでも凄く考えさせられる作品になってると思う。良ければ最後まで読んで欲しいな」
それを聞き終えた春葉が突然笑い出した。僕は途端に恥ずかしくなって尋ねた。
「僕何かおかしなこと言った?」
「いや、朝日が本の話になると急に口数が増えたから……やっぱり本が好きなんだなって」
「……確かに凄い勢いで喋ってたね僕」
本の紹介をするときだけ、やけに自分の言葉に勢いがついていた気がする。引かれたかな。
「朝日の本好きってやっぱり筋金入りよね」
「おかげで友達がびっくりするくらい少ないけどね」
「だいじょうぶ。私が友達でいてあげる」
「そりゃどうも」
本棚の向こうで春葉が笑ってから、話を続ける。
「ありがと。じゃその【エンディング=ガール】って本、また本屋で探してみるね」
「僕が持ってるから貸しても良いよ」
「――せっかくの提案なんだけど、やっぱり自分で持っておきたいかも」
「ふーん……分かった。じゃあまた読み終ったら感想とかまた言い合おうよ」
「あ、そういうの好き」
そんな話をしてたら、図書室の引き戸からノック音がした。正広だろうか? それでも部活が終わるには早すぎるし、正広が開けるならノックなんてすっ飛ばして壊れそうな勢いで引き戸をスライドさせるはずだ。となると、先生辺りだろうか。僕は本棚の陰から引き戸を見た。
「どうぞ。開いてますよ」
春葉が普段より少し大きめに声を出すと、引き戸が大人しく、からからと音を立てて開いた。そしたらそこに、水色のノートを抱えた綿雪さんがいた。
ビックリして咳き込んだら、その様子に気付いた綿雪さんが僕の方を向いた。
「……どうしたの朝日?」
「いや、別に……」
こっちを向く春葉に何もないフリをする僕。はち合わせして欲しくない二人だった。
当の綿雪さんはと言うと、春葉に軽く会釈をしてからなんと僕の方に歩いてきた。僕はわざとらしい咳払いをしてからこっちにやって来る綿雪さんに話しかけた。
「えっと綿雪さん、ちょっと外で話そっか」
「え? 別にここで話してくれても良いわよ?」
余計な茶々を入れてきたのはもちろん春葉だった。普段喋ったりできるのは嬉しい限りだけど、今ばっかりはその言葉がとても恨めしかった。
「いや、ちょっと個人的な話が混じってるから……。ね、綿雪さん」
僕が振った質問に、綿雪さんが合わせて頷いてくれた。それを受けて、僕は不自然に見えない程度に出来るだけ速く、綿雪さんを連れて廊下に出てきた。引き戸を閉めてから、僕は図書室内に聞こえない程度の小さな声で、綿雪さんに話しかけた。
「えっと……どうしたの?」
春葉の前では使いたくなかったのか、はたまた出すまでもなかったのか分からないメモ帳を使って、綿雪さんはいつものように筆談を始めた。
『これ。渡すの忘れてた』
綿雪さんが差し出したのは、胸に抱えられていた交換日記用のノートだった。
「そういえば終学活後にもらうの忘れてたね……ごめんね、わざわざありがとう」
『どういたしまして』
「――もしかして、大分探してくれた?」
考えてみると、綿雪さんが来てくれた時間も大分遅い。今日は五時間の日だったはずだ。けれどもう終学活が終わって一時間半以上経っている。
『ちょっとだけ』
そう伝えてくれる綿雪さんは、いつもの無表情な綿雪さんだ。
けれども、ちょっとずつだけど、綿雪さんの心が分かるようになってきた気がする。
「ありがとう。また、明日返事返すね」
僕の言葉に綿雪さんは頷いて、廊下に置いていた通学鞄を手首に提げて帰って行った。
若干の気まずさを抱えたまま、僕は図書室に戻った。
「今の子可愛かったよね。もしかして彼女?」
「違う」
これから厄介な問答が始まるのか……と思った直後のことだった。
入り口でべらべらと喋っていた僕の背後で、引き戸が叩きつけられるように開かれた。図書室に衝撃音が響き、びっくりした僕は背中全体に嫌なものが走った。
「朝日! 居るか!」
予想通りというか当然というべきか、背後にいたのは正広だった。苛立った僕は声を荒げる。
「いきなりうるさいよ正広!」
「二人ともうるさい。ここ一応図書室だよ」
冷静な春葉の声が差し入れられる。
「あーっと、悪い悪い。――じゃなくて朝日、えーっと……今日なんか部活が延びて大分遅くなっちまいそうから、先に帰っといてくれ!」
そう言うなり正広は、さっき言ったことも忘れたのか、引き戸を荒っぽく閉めた。ばたばたと騒がしく廊下を走っていく音が、徐々に遠のいていった。
「大丈夫かあいつ……」
閉じられた引き戸を向いたままの僕は、ぽつりと呟く。すると背中から、ひょいと僕の中に言葉が投げ込まれた。
「ねえ朝日。じゃあ今日珍しく一緒に帰ったり出来るんじゃない? 私たち」
放り込まれた言葉の意味は、何秒か経って飲み込めた。
*
五月二十七日(火)
忙しくて返すのが少し遅れちゃいました……。勉強進んでますか? 私に手伝えそうな教科はないけど、すみっこの方でひっそり応援しています。というか深夜抜け出しの事は完全に私のせいだよね、ごめんなさい……。
最近、私はコーヒーが飲めるようになりました。でも砂糖もミルクもたくさん入ってるやつが好きで……これってもうカフェオレなのかな。(笑)
なんだか、ほっとする苦味ですよね。今までずっと飲まず嫌いだったんですけど、日浅くんにカフェオレを貰ってからすっかり好きになってしまいました。今日はもうこれで四本目です。
華
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