第10話 違和感
10
カレンダーは六月に突入し、プール開きも迫ってくる季節となった。制服が移行期間となり、教室に夏服の生徒と冬服の生徒が入り混じる衣替えの時期でもある。ちなみに僕は半袖が嫌いなので冬服を未だに着用している。暑い。
昼休みになり、僕は綿雪さんの机に向かう。近づく僕の姿に気付いてくれたようで、綿雪さんは読んでいた文庫本を閉じてこっちを向いた。手元にはいつものメモ帳があった。
『どうしたの?』
「僕たち今日が日直なんだ。仕事、良ければ手伝ってほしいんだけど……」
僕たちのクラスの日直は、二人組で順番にこなすことになっている。男女をそれぞれ出席順に並べて、若い番号の男女がペアになっていく。そして日直を任されたペアは、黒板の管理、日誌の記入、集配物のチェックなど、いわゆるクラスの雑用をやらされる。僕と綿雪さんのペアは四月の中旬に一度日直を担当したのだけど、この頃はまだ綿雪さんと繋がりがなくて、助けを求められず一人で全部こなしてしまったのだった。その後、何度もやり直しをくらったペアがいたりして、僕たちは今回が二回目の日直だった。
『ごめん。全然手伝ったことなかったね』
「いやいや、大丈夫だよ。前は僕が話しかけなかったのも悪いし」
職員室前で右往左往していると、野球部の先生に話しかけられた。名前すらも知らない、日に焼けた初老のスポーツ刈りの先生だ。正広と一緒に帰るのをよく見かけているからか、時々僕も話しかけられる。
「重そうだなあ。正広の奴に任せたほうが良いんじゃないか?」
「このぐらいなら僕と綿雪さんの二人で大丈夫ですよ。あいつ、最近は毎日の練習に延長も重なって疲れてるみたいですし」
「延長? あいつ自主練なんてやってるのか。なかなか感心だなあ」
「……え?」
自主練?
引っかかった僕は思わず訊き返す。
「野球部全体で延長練習してる、みたいなことはないんですか?」
「いや、さすがに総体前の運動部でも下校時刻は守らなきゃいかんから、六時以降の時間の練習は各個人での自宅練習ってことにしてるよ。もっと長い時間グラウンドで練習させてやりたいところだが、俺も一応監督である以前に教員の端くれだから、学校のルールは守らなきゃな」
野球部監督の先生は快活に笑いながら職員室に戻っていった。
ちなみに、普通の生徒の下校時刻は六時きっかりだ。一緒に帰れないわけがない。
ぼーっとしていたら肩を突かれていることに気付いて、見てみると綿雪さんが『大丈夫?』とメモを持って僕を心配そうに見つめていた。
「ん、ああ。ごめんごめん、行こうか」
僕たちは職員室前に積み上げられたノートの束を半分ずつ抱えあげた。複数の教科が一緒になっているようで、その重さはなかなかのものだった。これを持って僕たちのクラスがある三階まで上がらなければならないのだから、女子には結構な重労働だ。
「綿雪さん大丈夫?」
階段を上がりきった綿雪さんに声をかけると、彼女は笑って小さくうなずいた。
さて、教室までもう一息だ。そう思って、廊下を進み始めた矢先の事故だった。廊下を走っていた数人組の男子の一人が、綿雪さんと派手に衝突してしまったのだ。勿論、綿雪さんはバランスを崩して、抱えていたノートは廊下のそこら中に散らばる。
「っ!」
固い床に勢いよく腰を落としてしまった綿雪さんは、痛そうに顔を歪めた。
「綿雪さん!」
ノートを廊下に置いて、僕は綿雪さんのもとに駆け寄った。
「悪い日浅! ぶつかっちまった!」
そう言った他クラスの男子は、手早くノートを拾い上げて、僕が地面に置いていたノートの上にそれらを積み上げた。
「いや、僕じゃなくて――」
綿雪さんに謝ってくれ、と言おうとしたのだが、男子は先に行ったグループを追いかけてどこかに行ってしまう。
僕の中に沸々と怒りが湧くのを感じた。でもそれより先に湧き上がった疑問。
なんでアイツは僕に謝ったんだ?
怒りを包み込む違和感。ぶつかったのは綿雪さんだって認識できていたはずだ。
考えを巡らせる僕の手に、メモ帳が差し込まれた。
『私は大丈夫だから』
*
六月四日(水)
アイツ、なんで綿雪さんじゃなくて僕に謝ったんだろう。適当さに腹が立ちました。
綿雪さんは大丈夫だった?
朝日
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます