第6話 清くあるために

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 綿雪さんが元気になってから初めての儀式の日。

 あの日持ち帰った日記帳には、ゴールデンウィーク分の日記と合わせて、次回の儀式場所が書かれていた。集合場所は学校近くの公園の砂場。

 持ち物の欄には、〔バスタオル、下着も含めた着替え〕とあった。


 深夜一時頃。集合場所に綿雪さんと思われる、タブレットと着替え袋を携えた影があった。これまで儀式のたびに綿雪さんを待たせる形になってしまっているから、これからは家をもう少し早めに出るほうが良いのかもしれない。

「ごめん、待たせちゃった」

『大丈夫』

「……今日は体操服なんだね」

『これなら汚れても良いから』

 そう画面で示してから、綿雪さんは手招きをした。

「え、ここで儀式するんじゃないの?」

『うん』

 次の瞬間、綿雪さんは僕の手を取る。

「へっ?」

 体中の毛が逆立ったような感覚が、一瞬で僕を駆け巡った。しかし彼女の手の柔らかく温かい感触は、それらが過ぎ去った後も残ったままだ。

 手を繋いだ彼女と僕は、薄い電灯だけの夜を、喋らずにどこまでも歩き続けた。彼女はずっと前を向いたままで、僕は彼女の方を向くことができなかった。頭がなんだか熱っぽかった。

 辿り着いた町外れのとある茂みで、ようやく僕たちの手は離れた。工事現場でよく見るオレンジ色の〔立ち入り禁止〕と書かれたフェンスで、その茂みは囲まれている。しかし閉鎖されてからだいぶ時間が経っているようで、フェンスには錆びているところも多かった。

『こっち』

 綿雪さんは屈みこみ、バリケードの一つの網部分に開いている穴を蛇みたいにぬるりとくぐって、その向こうに進んでいった。人一人がなんとか通れそうな、とても小さな穴だ。誰かが悪戯で開けていったのか、もしくは綿雪さんが開けてしまったのかもしれない。

 そんな事を考えながら綿雪さんの真似をしてフェンスをくぐろうとしたら、着ていたジャージのズボンが網に引っかかって裂けてしまった。


「すごい……」

 思わずそんな言葉が出た。

 茂みをかき分けた先で出迎えてくれたのは、こちらを向いて佇む綿雪さんと、闇の中に沢山浮かぶ黄色い光だった。光の一つ一つがとても柔らかくて、淡くて、健気だった。目の前には月明かりを跳ね返す、澄んだ透明な池が広がっている。

『ホタル池。そのうち埋め立てられちゃうんだって』

「こんな所があるなんて、十五年近くここに住んでて初めて知ったよ」

『今からお清め。三十秒頭まで池に潜って、三十秒顔を出す。これを三回』

 最後にそう説明してから、荷物をその辺に放り出した綿雪さんは、濡れるのも構わず池にどんどん踏みこんでいく。

「え、そのまま……? あ、だから着替えが居るのか」

 疑問を抱いたものの、とりあえず僕も着替えの袋を適当な場所に放ってから、池に足を踏み入れた。だが、今はまだ五月も半ば。水温は十度をなんとか超えるくらいだ。

「冷たっ……」

 膝まで浸かっただけでもうこの冷たさだ。肩まで浸かってしまったままだと、結構体力を消耗するかもしれない。肩を震わせながら、ずぶずぶと底の深いところに進んでいく。ふと綿雪さんを見た。面持ちこそ変わらないものの、綿雪さんの体は留まることなく震えていた。

「大丈夫?」

 心配する僕の方を向いて、綿雪さんは勢いよく首を縦に振った。けど、その後も綿雪さんは震え続けている。明らかな見栄だ。

「大丈夫じゃない――よね」

 深い考えはなかった。体が動いたのは自然にだった。少なくとも普段の僕自身は、そんなキャラじゃない。ただ、放っておいちゃ駄目だと思った。僕は綿雪さんの隣に進んで、震えるその右手をとる。綿雪さんが手を取った瞬間、びくりと体を強張らせたのが分かった。

「頑張ろう。――これも、必要なんでしょ?」

 綿雪さんの透明な目が僕の方を向いた。何故か悲しそうに僕を見て、綿雪さんは頷く。

「せーのっ」

 二人で同時に潜った。固く目を閉じて、三十秒過ぎるのを待つ。時間の感覚が曖昧で何秒経ったか分からなくなりそうな一方で、強く握られた手の感触だけが感じられた。


 池から上がると、僕達はすぐに着替えることにした。このまま体を冷やしたままにしては本当に風邪を引いてしまう。隣を見ると、濡れた姿の綿雪さんが僕を見つめていた。瞳が潤んでいるように見えるその姿に僕はドキリとして、ふいとそっぽを向いてしまう。

「だ、大丈夫。着替えは見ないから」

 僕の台詞に頷いた綿雪さんは近くの茂みに行った。

 その間に僕も着替えよう。そう思って着替えを取りに行こうとした時だった。あくまでその気はなかった。綿雪さんの着替えを覗きこんだとかそういうわけではなく、ただ目線を動かした際にたまたま見えてしまった。

 着替えている綿雪さんの、真っ白な腕の肌。そこに――どす黒い痣のようなものが。

 そう言えば、僕は綿雪さんが半袖を着ているところを見たことがない。


 綿雪さんの言う『お清め』を終え、着替え終わった僕たちは公園に戻ってきていた。体を温めるために、自販機で買ったカフェオレを二人でちびちび飲む。

「今日のお清めには、どんな意味があるの?」

『お清めなしだと日浅くんがこれからの儀式を手伝えないから』

「……これまではただの荷物運びだったもんね」

 思えば石灰だったり花壇の土だったり、結構な重さのものを沢山持たされて来た気がする。言うなれば材料を必要な場所に運ぶための僕であって、正直僕以外の人間に頼んだ方が良いんじゃないか、と思ったことも何度かあった。

「じゃ、ここからは僕も儀式に参加するのか」

『儀式は神様との契約なの』

「体が清くないと、とかそういうこと?」

『そう。これから忙しくなる』

 何かを覚悟したような目で、綿雪さんはカフェオレを一気に飲み干した。

『最後の一歩手前までで良い。手伝ってくれる?』

「――うん。乗りかかった船だし」

 僕もそう言ってカフェオレの缶を空にする。

 綿雪さんの言う『世界崩壊』と『崩壊を止めるための儀式』。一体綿雪さんの目的が何なのか、僕には多分いつまでも理解は出来ない。

 でも、きっと、最後まで行けば何かが分かる。それまでは、ついていこうと決めた。


      *


五月十三日(火)

 今日水冷たかったですよね、ごめんなさい……。でも、儀式には必要なことなので協力してくれたこと、凄く感謝してます。体が凍えてしまいそうだったけど、朝日くんのおかげで頑張れました。ありがとう! 

 カフェオレ、あったかかったです。

 華

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