第5話 綿雪家に行こう

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 ゴールデンウィークが過ぎた五月七日のことだった。毎週水曜日の六時間目はクラスでの学活の時間で、各クラスが自由に使える時間となっている。皆が早く下校できるようにと帰りのホームルームを先に済ませることになったのだが、問題はそこで先生が発した一言だった。

「今日綿雪が休みなんだが……誰か家が近い奴、プリントを届けてやってくれないか?」

 瞬間、クラスがしん――と静まり返った。先ほどまでの男女のわいわいとした雰囲気が嘘のように。皆がお互いの空気を数秒ほど計りあった後、至る所で小さなひそひそ声が上がりだす。「お前行けよ」「やだよ。俺綿雪の家知らねえし」「つーか綿雪の家知ってる奴いるの?」「確かに」「森の奥とか住んでるんじゃね?」「魔女かよ」と男子が茶化しあい、しまいに不快で陰湿な笑いがちらほらと湧く。教室の隅で聞いていた僕はうんざりしてしまっていた。

「参ったな……先生もこの後会議があるからなあ。……誰か、優しい奴は居ないか?」

 そんな小学生みたいなやり方で手を挙げる奴なんか居るわけない。先生も、うっすら面倒だと思っているんだろうか。先生の台詞が頭の中で反復されて、勝手に僕はイライラした。

 皆が綿雪さんを押し付け合っている、この空間が凄く嫌だった。

「――僕が行きます」

 僕が言ったら、クラスのざわつきが一瞬で無くなった。一斉に視線が刺さるのを感じる。 

 なんで朝日が? ああ、でもあいつら最近仲良いもんな。なんて声が聞こえる気がする。

 目立つのは嫌いだ。だけど、綿雪さんが腫れ物のように扱われるのは我慢ならなかった。

「良いのか、朝日?」なんて先生が律儀に僕に確認を取ってくる。

「大丈夫です。どうせ放課後は暇なんで」

「そうか。じゃあ、これ頼む」

 先生はにっこり笑って、僕にファイルを渡してきた。僕は笑わずにそれを受けとった。


 綿雪さんの家は、僕が学校から帰るのとは真反対の方向にあった。一度家に帰るのも手間なので、下校ついでにそのまま向かうことにした。学校裏の踏切を越えて、ドラッグストアのある交差点を右に曲がる。そのまま直進して行き、車通りの多い三つ目の交差点を左に曲がれば、その一軒家は見えてきた。距離にすると、一キロと少しといったところだ。

「あの白いのがそうだな……」

 僕は足を止めた。

 二階建ての大きな一軒家だった。庭は綺麗に整えられていて、見たことのないような草花が所々に見受けられ、父親か母親がガーデニング好きなのだろうと分かる。僕は郵便受けの横にあるカメラ付きインターホンを押した。なんとなく顔を映したくなくて、カメラのレンズの死角っぽい所に逃げた。少ししてから、お母さんらしい声が聞こえてきた。

「はい」

「あ、綿雪さ――華さんのクラスメイトの日浅と言います。連絡とプリントを持ってきました」

「え?」

 戸惑ったような声だ。インターホンから続けて声が届く。

「――あの、もしかして華の友達ですか?」

「えっと……まあ、そんなところです」

 一瞬自分がどう名乗るべきなのか分からなかった。儀式の手伝いって言うのもまずいし。

「じゃあ、上がっていってください。華も、顔を見せてあげたほうが喜ぶと思うので」

「えっ……あ、はい。お邪魔……します」

 ドアを開いて玄関に入ると、綿雪さんの母親が出迎えてくれた。親子だからやっぱり、どこか綿雪さんに似た雰囲気の顔で美人だった。何より若く見えて、姉と言っても差し支えないくらいの見た目だ。違うところと言えば、綿雪さんとは対照的に明るそうなところだろうか。

「わざわざ来てくれてありがとう。家は近いの?」

「いえ、そんなには……まあついでなんで」

「ごめんね。華は体が弱いから」

「えっ? そうなんですか」

「あの子よく学校を休むから……とにかく上がって。華なら二階に居るわ。多分、体調も朝よりはずっと良くなってると思うから」

「はい。分かりました」

 ぺこりと一つお辞儀をしてから、靴を脱ぎ揃えて二階に向かった。U字型の階段をゆっくりと上る。右手側の部屋が綿雪さんの部屋とのことだったので、教えられたその部屋のドアを三度ノックした。ドアが奥に引かれ、ひょこりと見えた綿雪さんの顔。

「あの、綿――」

「――っ!」

 声にならない悲鳴と共に、叩き付けるようにドアが閉じられた。まるで化け物扱いだった。

 部屋の中が女子一人だとは信じられないくらい荒々しい音が耳に届いた後、数センチだけドアが開いて、隙間から千切られたメモ帳が一枚生えてきた。

『どうしてここにいるの』と辛うじて読める文字に明らかな動揺が出ていた。ミミズがのた打ち回っているような字だった。

「プリントを届けに来たんだ。君のお母さんが顔を見せたげてくれって」

 また隙間からメモが飛び出す。

『今パジャマだから』

「……恥ずかしいってこと?」

 デリカシーの無さがにじみ出ている台詞だった。その台詞を受けてドアの蝶番がきいと小さく鳴いて、綿雪さんが僕を部屋に招き入れてくれた。

 水色が基調の、予想していたよりもずっと女の子らしい部屋だった。壁には制服と一昨日のローブがハンガーにかけられていて、数匹のぬいぐるみが優しく柔らかくベッドに寝かされていた。一方で学習机の上はシンプルで写真立て以外に物が無く、さっきの手紙を書くために咄嗟に広げられたらしい筆記用具とメモ帳が布団の上に乱暴に放り出されていた。

「ごめんね急に。寝てたりしてた?」

 僕の質問に、綿雪さんは首を横にふるふると振った。学校では額を覆っていた長い前髪が二本のヘアピンでまとめられていた。ピンクのパジャマ姿で表情のよく見える綿雪さんはなんというか、おうちスタイルの女子って感じで、彼女の顔がはっきり見えるのはとても新鮮だった。綿雪さんは自分の部屋なのに正座で何故か座っていて、僕もそれに合わせて正座で座った。

「思ったより元気そうで良かったよ。――はい、これが溜まってた分の連絡とプリント」

 僕はよれよれの鞄からファイルを差し出す。綿雪さんがぺこりと会釈してそれを受け取る。

「体が弱いだなんて初めて知ったよ。今までそんな素振りなかったから」

 僕の言葉を聞いた綿雪さんは、少し悲しそうな目をしてしまった。しまった、またデリカシーの無い発言をしてしまったのかと、すぐに罪悪感に襲われた。

「なんかごめん」

『大丈夫。体の弱さは昔から』

 とにかく話題を変えたかった。儀式のことでも話そう。

「――ところで、今度儀式をやるのは、いつぐらいになりそう?」

『来週の火曜日に。それまで特には何も』

「分かった。じゃあ綿雪さんも、それまでに元気になってね」

 そこで綿雪さんは何かを思い出したようで、突然立ち上がって机の方に向かった。引き出しを開けて、中から取り出した交換日記を、素早く書いたメモと共に僕に差し出した。

『ゴールデンウィーク分の日記』

「ありがとう。また返事書くよ」

 僕の言葉に綿雪さんは笑って頷いた。日記帳を受け取って、僕は開きっぱなしだった鞄にそれをしまい、立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ帰るね。また、学校で」

 綿雪さんは笑って手を振って、僕を見送ってくれた。僕は思ったよりも元気そうなその姿を見て少し安心して、ドアを静かに閉めた。

 ところが、階段を下りて玄関へ向かおうとしたときに、綿雪さんママに呼び止められた。

「はい?」

「ちょっと休んでいかない? 美味しい紅茶があるの」

「……え」

 予定外は、まだ続いた。


「ごめんなさいね呼び止めちゃって。華の母の叶絵かなえです。いつも娘がお世話になってます」

「クラスメイトの日浅朝日です。こちらこそ、いつもお世話になってます」

 リビングに連れて行かれ、促されるがままに椅子に座った。視線を机の上にやると、目の前には湯気の立ち上る紅茶と品のありそうな焼き菓子の袋。目線をあげれば、僕の正面でにこにこ笑顔の叶絵さん。状況に戸惑う僕は、とりあえず無言で紅茶を啜った。

「美味しいでしょ。以前主人が飲んでたのを私も飲んでみたら気に入っちゃって。それからずっと飲んでるの」

「はい、美味しいです」

 棒読みの返事を受けてシニカルに笑う叶絵さん。

「そんなに固くならなくて良いのに」

 いや無理です。と言うのも無理なので、下手くそな愛想笑いを返す。多分僕の苦手なタイプだこの人。春葉を数段人懐っこくしたみたいな人という第一印象だ。「なんというか……大きな家ですよね」と、言葉に困った僕はあろうことか家の大きさに話を向けてしまった。

「あら、そんなことないわよ。フフフ」

「旦那さん、結構凄いお仕事してらっしゃるんですか?」

「えっと……主人はね、離婚しちゃったのよ」

「あっ……その、すみません」

「別に良いのよ。もう一年も前のことだから……」

 多分二度と会わないしね――そう言った叶絵さんの表情は明らかに曇っていた。自分の会話センスの無さが嫌で仕方がなかった。

 少し俯いていた叶絵さんは僕に向き直った。

「華のためにプリントを届けに来てくれた子って、日浅くんが初めてなの。今までは、ずっと先生が届けてくれてたから」

「そうなんですか」

「だから、多分あの子にとって君が初めての友達――じゃないかしら。そう思ったら、なんだか色々と訊きたくなっちゃって」

 確かに綿雪さんが友達と楽しそうに喋っている姿は、記憶には無い。

「それに、君のその鞄のノート、華との交換日記でしょ?」

 叶絵さんが指差すのを見て、僕は通学鞄のチャックが開きっぱなしだったことに気付いた。

「え。見たんですか」

「机においてあったからつい……最初のページだけね。〔好きな食べ物は何ですか?〕って返信はちょっとどうかと思うんだけど」

「放っといてください!」

 叶絵さんにニヤニヤ笑われる。恥ずかしいったらありゃしない。

「じゃあ、いろいろ質問させてもらうわね。答えられる範囲で答えてくれたら嬉しいな」

「……はい」

「始めに、学校であの子はどうしてる? 休み時間とか……放課後とか」

「えっと……」

 こういう場合、本来の事を伝えるべきなのだろうか。しかし叶絵さんの前で堂々と彼女は本ばかり読んでいて友達とは一言も話さない、などと言ってのける勇気は僕にはない。交換日記は一ページ目しか読んでいないと言っていたから、儀式のことは知らないはずだ。なら、綿雪さんが『見られたら困る』という儀式に関してのことはあまり言わない方が良いのだろう。

「ずっと、本を読んでいます。休み時間もずっとですし、放課後は日が暮れるまで」

「そうなんだ……やっぱり、あの子友達少ないのかしら?」

「そんなこと――ないと思いますよ。彼女、喋っていればよく笑ってくれますし、人当たりも良いですし……」

「――そっか。あの子、ちゃんと笑うんだ」

 叶絵さんが安堵するような表情をしたことの意味が、僕にはよく分からなかった。その事が僕の顔に出てしまったのか、叶絵さんは続ける。

「家ではね、あの子、全然笑わないの。学校でのことも話してくれなくて……。だから少しずるいかもしれないけど、友達の日浅くんならあの子のこと、教えてくれるかなって思ったの」

「僕もまだまだ知らないことばかりなんですけどね……」

 僕は紅茶を少しだけ口に含む。

「実はあの子、この間深夜に家を抜け出しててね。メールを送ってみたんだけれ――」

 紅茶を吹き出してしまった。

「きゃっ! だ、大丈夫!?」

「……だ、大丈夫です」と言いつつ、僕の咳は止まらない。

「ちょっと待ってて、布巾取ってくるから」 

 叶絵さんは素早く台所から戻ってきて、吹きだしてしまった紅茶を綺麗に拭き取ってくれた。

「まだ制服の季節でよかったね……白シャツに飛んでたらシミになっちゃうところだったわ」

「すいません落ち着きがなくて……」

「いえいえ。落ち着いて飲んでね」

 叶絵さんは自分の席に座りなおして、自分の紅茶をちびりと飲む。僕はなるべく感情を込めずに笑うことしか出来なかった。

「じゃあ、朝日くん。次は君にお願いをしてもいいかしら?」

「あ、はい」

 少し油断していた体が自然とまた強張った。

「……華のことを、ちゃんと見てあげてて欲しいの。華が間違えそうになった時、道を踏み外しそうになった時、君がちゃんとあの子を導いてあげて」

「僕が、ですか」

「親の私がいうのもあれだけど、私じゃ力不足だから……」

 親が導けなくて誰が子供を導くというのか。そんな疑問が頭をよぎったけれど、叶絵さんに面と向かって言えるわけもなく、僕はただ黙っているだけだった。

 叶絵さんは一度深呼吸をして、僕を見据える。とても真剣な表情だ。

「お願いしても、いいかしら?」

「出来るだけのことはします」

「……自信、あんまり無い?」

「――任せてください」

「それでよし」

 叶絵さんの表情からふっと力が抜けて、笑った。僕は一つ息を吐いて、紅茶を飲み干した。

「華のこと、宜しく頼むわね」

 叶絵さんはそうにこやかに僕に告げた。


      *


五月五日(月)

 ゴールデンウィークも終わりに差し掛かってきました。日浅くんはどんな風にゴールデンウィークを過ごしていますか? 私はというと、お昼寝してばかりです。布団がすごく気持ちよくて……。三度寝ぐらいして、おやつの時間には目が覚めまず。一日中パジャマでいることも珍しくなくなってきました。すっかりダメ人間ですね私。(笑)

 ところで、ちょっと謝らなくちゃいけないことがあります。実はお母さんに、日記の一ページ目を見られてしまいました。お母さんは「見たのは一ページ目だけ」と言っていたので儀式のことはバレてないと思うんだけど……。今度から日記帳に鍵をつけようかな……なんて思ったりしています。見られちゃったら、やっぱり恥ずかしいもんね。

 華


      *


五月七日(水)

 こんばんは。僕はゴールデンウィークの間、ずっと積みっぱなしだった本を消化してました。今回特に良かったのは【さよならネバーランド】って作品でした。子供達だけが生き、子供のままで死んでいく世界で〈大人〉とは一体何なのかということを問う作品でした。

 僕もこの本を読んでから、〈大人〉って結局何なんだろうな……って思いました。考えてたら結局頭こんがらがってきて、「じゃあ僕もう子供のままでいいや」ってなっちゃったけど。(笑)

 綿雪さんも、そう思いませんか?

 朝日

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