第4話 初めての交換日記

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 正広と別れ、家に帰ると午後五時半過ぎ。晩御飯を食べるまでには少し時間があるし、かといって宿題やらゲームやら何をするにもあまり気乗りのしない中途半端な時間帯。普段ならベッドで適当に転がって時間を潰すけど、今日の僕には帰って真っ先にやりたいことがあった。

 リビングでテレビを見ている母さんに雑な「ただいま」を投げつけ、手洗いうがいを手早く済ませて僕は二階に駆け上がる。制服をベッド上に脱ぎ捨て、部屋着に着替え終わると通学鞄から一冊のノートを取り出した。

 水色の布カバーで覆われたノート。綿雪さんが渡してきた、交換日記用のノートだ。今日のホームルーム後、綿雪さんに無言で突き出された。

 ベッドに座り込んでノートを開くとき、心臓にそっと手が添えられたような感覚があって、そこから全身が脈打つのを感じた。緊張してるんだな僕と、なんとなく認識できた。

 そわそわとしながら、水色の表紙を開いて一ページ目。


      *


四月二十三日(水)

 改めて、初めまして日浅朝日くん。中学校で一緒のクラスになったのは初めてですね。小学校の頃にはもう何回か一緒になったことがあったけれど。

 私は訳あって人と話すという行為ができないので、日浅くんとはタブレットやメモ帳を使った筆談の形で、いつもは色々とお話をします。そのため、普段あまり面と向かって話したりはできなかったり、言葉が色々と素っ気無くなってしまいますが、この日記では言いたいことをいっぱいに、ノートに書いていきたいと思います。日浅くんも、書きたいこと、訊きたいこと、何でもいっぱいに書いてくれると嬉しいです。

 よろしくね。

 華


      *


 添えられた最後の一言が、ぐっと僕の肺を突いた。

 綿雪さんの隠れていた一面がこの日記帳には書かれていて、もっと知りたい、と思った。

 春葉に対して抱くのとは違う感情を、僕は彼女に感じた。多分好奇心のような何かの類、だとは思う。でもこれも、僕の春葉に対する思いと共通していて、複雑で濁ってて、でもワクワクしていると断言できるこの感覚。

 この日記と、謎の儀式が、僕と綿雪さんを初めて結びつけた。

 僕はすぐさまシャープペンシルを筆箱から引っ張り出した。返信用の日記を早く書きたくてたまらなくなった。僕は字が汚いから丁寧に書かなきゃいけないな。どんな話題を振ろうか。そういえば〝小学校でクラスが一緒だったなんて初めて知った〟し、そのことでも良いかもしれない。でも話題を振るにしても、あまり深い所に今は突っ込んでいくべきじゃない。その辺りも含めて、今後の綿雪さんとの距離感を図りつつ、もっと綿雪さんの色々なことが知ったり出来る返信がベストだ。

 散々悩んだ挙句、僕は綿雪さんの「よろしくね」の二行下に、日付と挨拶に続けて文を書く。


 翌日。教室はホームルームを終えて時間が随分経ったので、皆は部活に行ったり下校したりしており、教室には僕と綿雪さんしか残っていない。夕暮れとまでは行かないけれど、それなりに日は傾いて来ていて、西日が僕らを窓の外から強く照り付けていた。

 僕は本を読んでいる――フリをしている。綿雪さんの席の後ろで、自分が交換日記を渡す踏ん切りをつけるためだ。教室にはシャーペンが何かを書いていく音だけが鋭く鳴り続けている。

 若干、心臓の鼓動が速まっているのが分かる。頭がカッカと熱っぽくなって、息をするだけで口から何かが漏れ出そうになる。目線だけをちらりと、綿雪さんのほうに向けてみた。彼女はどうやら宿題をこなしているようだった。一昨日の魔方陣作成みたいな事はしてなくて、机の上には数学の教科書が開かれている。

 一昨日綿雪さんに馬乗りされてしまった状況が、どうしてもフラッシュバックしてしまう。

 チキン、と春葉に昔呼ばれたことがあったけれど、仕方が無いのかもしれない。実際、僕は今綿雪さんに声をかけることですら異常なほどに躊躇ためらっているのだから。一昨日の僕はどうやって綿雪さんと話してた? なんて問答も始めてしまえば脳内で無限ループだ。

 僕は無意味に開かれていた本を閉じ、座ったまま口を開いた。

「わ、綿雪さん」

 彼女の腕が動きを止め、くるりとこちらを振り向いた。感情の宿らない瞳の、いつもの冷たそうな綿雪さんだ。握られていたメモ帳には『何?』と少ない文字が書かれている。

「あの……あれ。その、日記帳を持ってきたんだけど……」

 それを聞いた綿雪さんの目と口が、少しだけ開かれた。そしてすぐ、僕が見てもそうと分かる笑顔に変わった。僕はかばんの中に手を突っ込んで、布の手触りがしたそれを引っ張り出し、彼女の元に歩み寄って差し出した。

「また、返信ちょうだい」

 綿雪さんは、嬉しそうにその言葉に頷いてくれた。僕もぎこちない笑みを返した。

 毎日交換し合えるわけでもない、ちょっとした繋がり。忙しかったりうまく会えなかったりして、きっと日数が開いてしまうこともあるだろう。

 それでも、僕にとって間違いのない大切な繋がりになるだろうと、そう思った。


      *


四月二十四日(木)

 えっと……こんばんは、こっちは夜です。僕もその、交換日記って初めてなので、何言っていいか分かりませんけど、これからよろしくお願いします。

 ところで、綿雪さんの好きな食べ物はなんですか?

 朝日

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