第2話 綿雪さんの秘密

 端的に言うと、綿雪さんは大魔法使いだった。――いや、全く信じていないけれども。

 その日の深夜二時、辺りは言うまでもなく真っ暗で、草木まですっかり眠りこけているこの時間。市立枕木まくらぎ中学校にたどり着いた僕は、校門前で佇む綿雪さんを見つけた。

 そこに居た黒い長髪の少女は、間違いなく綿雪さんだった。だったんだけれども。 

「こんばんは……綿雪さん」

『こんばんは』

 いつもの物静かな綿雪さん。タブレットに文字を打ち込んで筆談をしている。夕方に慌てふためいてたのが嘘のように無表情で、背中にははち切れそうなリュック。ただ僕が気になって仕方が無いのは、その物静かさでも挨拶が打ち込まれたタブレットでも、無表情さでも、綿雪さんが背負うパンパンに膨らんだリュックでもなくて。

「そのローブ姿はどうしたの」

『正装』

 制服の上から黒い大きなローブを羽織り、魔女のような三角帽をかぶった綿雪さんはどこか恥ずかしそうだった。目がさっきから全然合わない。多分、恥ずかしい自覚はあるんだろう。

 突込みどころは沢山あるけれど、どこに触れてもおそらく地雷。そんな気がする。

 綿雪さんは中学校を人差し指で示した。しかし、当然校門は閉じられている。かといってその高さは約一・八メートル。僕にそんな高さの門をよじ登る体力などない。でも、綿雪さんは構わず言う。

『入ろう』

「門閉まってるよ?」

『じゃん』

 お披露目と言うにはあまりにも無の面持ちで自信を示しながら、彼女がポケットから取り出したもの――真鍮しんちゅう製と思しき金属製の鍵を僕は見つめる。鍵の穴を通る紐からぶら下がるプラスチックのプレート。[マスターキー]の六文字。どこのマスターキーかは言わずもがな。

「……綿雪さん、結構無茶苦茶なことするね」

『行こ』

 綿雪さんは校門に向かって歩き出した。僕もその後を追いかけた。


 窓から入る月明かりのお陰で、廊下の視界は全く利かないというほど暗くはなかった。夜の学校はとても不思議な雰囲気で、恐怖なども何故か感じない。

 僕は夕暮れまで学校に居る事はあっても、暗闇に包まれるまで居座ることはない。僕たちのように放課後に教室に居残っていた生徒や、練習を終えてクタクタの運動部が、先生たちに急かされて校門を目指す。そんな風景が完全下校五分前なんかによく繰り広げられる。でも、今は深夜二時過ぎ。ほぼ間違いなく僕たち以外に人は誰もいない。昼間あれほどまでに騒がしかった教室も、人がせわしなく行き交った廊下も、今この瞬間ばかりは空っぽなのだ。

 そんな空間に、僕たちの足音だけが響く。廊下の隅の非常口のランプが、緑色に怪しく光る。

 なんだか、僕たちは暗い海の底なんかを漂っているみたいだった。

 といった不思議な感覚に浸ってたのも最初のうちだけで。

「綿雪さん……、僕そろそろ限界……」

『休憩しよっか』

 僕は抱えていた二十キロの石灰の袋を廊下に落とした。どすり、という重い音。続いて僕も廊下に尻餅をつくように腰を下ろす。

 校庭の体育倉庫からくすねたものをここまで運んできた。これを運ばされるために僕は呼び出されたのだろう。明らかにか弱い女子に持てるような重さのものではなかった。僕でさえこんなにへろへろなのだから、綿雪さんの細い腕なんて折れてしまうかもしれない。

 ちなみに綿雪さんは空っぽのラインカーを持っている。事前に洗っておいたので、石灰が僕らの歩いた道の目印になっているような、ヘンゼルとグレーテルのようなことは起きていない。

「これ、屋上まで持っていくんだよね」

『うん』

 綿雪さんも引いていたラインカーを近くに置いて、廊下にへたりと座り込んだ。張り詰めた背中のリュックが少し邪魔そうだった。まだ二階上まで階段を上らなければいけないという道のりの果てしなさを感じて、僕は少しここに来たことを後悔した。インドア派には結構キツイ。

 休憩の間、僕は綿雪さんと雑談をすることにした。

「綿雪さんは、いつもこんな感じなの?」

『?』

「何というかこう……不法侵入を繰り返してたのかなって」

『夜中に学校でやるのが、多分一番誰にもバレないから』

「ふうん……」

 あっという間に喋ることがなくなってしまった。そもそも接点の薄いクラスメイトなのだから、当然と言えば当然だった。

 ころろん、とメールの着信音のような、木琴の音。僕は携帯の類は持ちあわせていないので当然綿雪さんの物だ。こんな深夜に誰からだろう。彼女はタブレット端末とは別にスマートフォンも持っているようで、ポケットから取り出してスクリーンをぽちぽちと弄り始めた。

 僕は、目の前の窓から差し込む朧ろげな月明かりを、ただ眺めるだけだった。疲れも相まって僕の意識はどこかはっきりしなくて、眠気が少しずつ僕を脱力させる。廊下の壁に体重を任せると、ひやりとしたコンクリートの壁が心地よかった。窓の外の月や星を眺めながら、明日の一時間目はなんだっただろうか――と考える僕はいつの間にかまどろんでいて、意識がすうっと、自分のもので無くなっていくのを感じた。


 少しずつ、真っ暗だった意識が揺り戻される感覚。脳の片隅で僕は廊下で寝てしまっていたことを思い出し、閉じていた瞼が自然と開く。

「眩しっ」

 顔を思わず覆った。目元を、タブレットの光で照らされていた。筆談しているときよりもはるかに強い画面の明るさだったようで、周りの暗さも相まって相当眩しく感じた。視力が少しくらい下がったかもしれない。

「ごめん、僕どのくらい寝ちゃってた?」

 てけてけと液晶を叩く音の後、タブレットの画面に『七分』と示された。思ったよりも短かったらしい。それでも、僕のまどろんだ意識の覚醒には十分な仮眠時間だった。

「ごめん、待たせちゃって」

『うん』

 綿雪さんは立ち上がり、ラインカーをがらがらと引き始めた。僕は重い石灰の袋を引きずりながら、その後ろを必死に追いかける。


 僕らの中学校は、屋上は基本的に立ち入り禁止だ。そのため、近づく生徒がそもそも少なく、階段が埃まみれになってさらに近づきたがる生徒がいなくなって……という無限ループのもと、この学校の屋上とそこに続く階段は生活空間からほとんど除外されている。

 屋上では少し温かめの風がゆったりと吹いていた。本来なら気持ちが良いはずだけれど、僕は石灰を運び終わって今はへとへとだった。

「思ったより綺麗だね。もっと鳥の糞まみれかと思ってた」

『三日前の嵐』

「なるほど」

 僕は石灰を屋上の床に下ろして一息ついた。明日は筋肉痛だろう。

「後は黙って見てればいいかな?」

 綿雪さんは頷いて、ラインカーに石灰を注ぐ。石灰を袋の三分の一ほど注げば、ラインカーは満タンになった。立派なマントが白くなっても気にする素振りはなかった。

 僕は彼女がせっせとラインを引いて動き回る様子を眺めていた。彼女は放課後に描いていたのと同じ、魔方陣のような丸い模様を屋上いっぱいに丁寧に描く。やがて二十キロの石灰は、屋上一面に広がる仰々しい魔方陣になった。石灰は使い切れず余ってしまったのだが、どうせバレないだろうということでラインカーともども屋上に置き去りにすることにした。

 魔方陣を描き終わった彼女は背負っていたリュックサックを下ろし、それをぱんぱんに膨らませていた中身――大きな鍋を取り出した。

「……ん?」

 何か煮込むのだろうか。ただ、煮込むなら、明らかに鍋の中身があの魔方陣ルーズリーフなのはおかしいだろう。

 ことり、と静かな屋上に描かれた魔方陣の、真ん中に鍋が置かれた。そしてポケットからマッチを取り出し、火をつける。

「――にえをここに捧げよう。そして衆生しゅじょうの救済を。世界の安寧を」

 綿雪さんはそう言って、火のついたマッチを鍋の中に投げ入れた。煙を上げて、燃え盛るルーズリーフはあっという間に灰になった。

『これで、二十七個目の儀式はお終い』

「……結局これって何なの?」

『世界が崩壊を免れるための、大切な過程』

「はあ」

 思ったよりも危険だったのかもしれない。奇妙なことを至極真面目に行っている綿雪さんも、それをうっすら分かっていながら首を敢えて突っ込んだ僕も。

「えっとつまり……綿雪さんが世界を救おうとしてるって解釈で良いの?」

 困惑だけで出来たような僕の言葉を、綿雪さんは頷くことで肯定する。解釈もヘッタクレもないし、鵜呑みに出来る方がどうかしてる。

 百聞しても一見しても、分からないものは分からない。


 屋上の欄干越しに見下ろした夜の町。こんな深夜でもやはり明かりが点いている所には点いていて、やっぱり町は人間がたくさんいる空間なんだという実感をなんとなく得た。

『ノストラダムスっていう預言者、聞いたことある?』

「うん」

『彼の予言は王族なんかにも信頼されていて、予言を外せば死刑にだってされる可能性があった。その彼が試みたのが、予言の現実化』

「その結果が、今起こりつつある世界の崩壊だってこと?」

 普段と違って饒舌な綿雪さんが、自信に満ちた表情で頷く。

「……そっか」

 綿雪さんの適当な説明に、喉元で詰まってしまっているような返事を返すことしか出来ない。

 信じろというのが土台無理な話だ。

 世界崩壊ってなんだ。地球に巨大隕石が衝突したりするのか?

 儀式ってなんだ。さっきのルーズリーフを燃やすだけの作業が?

 でも、それを見つめる綿雪さんの目は凛としていて。胡散臭さとか奇妙さとか呆れとか感心とか、全部が全部入り混じって僕の頭の中でよく分からない形にもつれ絡まる。

「それ、僕は信じられない」

 正直にそう告げたら、綿雪さんはどこか遠くの方を見つめた。ちょっと間があって、月明かりに照らされた表情が少し笑った。

『信じなくていいよ』

 綿雪さんは少し遠くを見つめて息を吸い込んだ後、またタブレットに文字を打ち込んだ。

『お願いがあるの』

「何?」

『私と交換日記をしてくれないかな』

 微笑が消えて、また無表情になった。夜のわずかな光を反射して輝く綿雪さんの目が、じっと静かにこちらを見つめていた。

「――え」

 今日放課後の教室で感じた、ぞわりとした気持ちの良いような悪いような感覚が、僕を再び包み込む。

 きっと、僕の心のようなものが震えているのだと思う。

 とても曖昧で、僕自身にすら分からない。

 奇怪なことも含めたここまでの展開を全て受けた上での、綿雪さんの交換日記の申し込み。告白としてはいささか奇妙な気がする。交換日記をしたいなら普通に頼めばいいのに。

 でも綿雪さんはあえて、自分のしている事を僕に見せたのだ。理由は何だろうか。自分のことを分かって欲しかったからとか、その上で自分を受け入れて欲しかったとか、あるいは僕を何かに利用しようとしているとか、あるいは。

 ……考えても、分からない。僕たちは中学生だから。

 いや、大人にだってきっと不可能だ。人の気持ちを考えて行動しろよ、と先生によく言われたけれど、人の気持ちなんて分からないのは当たり前なんだ。人の気持ちが分からないから人は人を虐めるし、何の気無しに人を踏み台にしたりできるんだ。

 僕は綿雪さんの気持ちを理解できない。

「わかった。いいよ」

 それでも僕は、彼女のことを分かろうとしたい。

『ありがとう』

 綿雪さんがにこりと微笑む。

 次の儀式の日取りを決めてから、夜中の三時過ぎに僕たちは別れた。

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