第237話 一枚の壁

「──良かった……これでひとまずトゥナを助けられる」


 エーテルを授かった俺達は、キサラギさんの案内で集落の出入り口に到着した。


「馬車は集落の外に準備してある。帰りにぬしが迷わぬよう、道案内もつけよう」


 そう言うと、キサラギさんの指に七色の蝶が現れた。──魔法で作られた蝶なのだろうか?


「キサラギさん、大丈夫ですよ。俺には頼もしい仲間が居るんですから。彼女が居れば、帰り道も迷子になることなんか……」


 俺は集落から足を踏み出し答えた。

 しかしハーモニーが無言のままだったので、俺は振り向き彼女の様子を確認することにした。


「……ハーモニーどうしたんだよ、早くいこうぜ? トゥナが待っているんだから」


 彼女の手を引く為、俺は手を伸ばす──しかし、その手は見えない硝子の様な何かに阻まれたのだ。

 キサラギさんを見ると、彼女の回りに魔方陣の様なものが引かれていた。


「……あの時、魔物を足止めした魔法の壁か? これはどう言う事なんだよ。ハーモニー? キサラギさん?」


 レクスボアーを足止めするために使われた透明な魔法の壁。それが、俺とハーモニーの間をさえぎり行き来することを拒む。


「カナデさん──ごめんなさい~……」


 俯いたハーモニーは、不意に謝罪の言葉をのべた。

 しかし、俺には彼女から謝られる理由に覚えがない。 


「ごめんなさいじゃ分からないだろ? いいから少し離れてくれ、こんなもの俺が斬ってやるから」


 無銘を握り抜刀の構えを取った。例え魔法の壁だろうと、俺と無銘なら斬れるかもしれない!


「カナデさん、やめてください!! 私は、もうそちらには行けないのです~!」


 ……ハーモニー? 一体何を言ってるんだ?


 彼女の突然の告白に疑問は残るが、俺は無銘から手を離し話を聞くことにした。


「奏よ、すまぬ……実のところ、ハーモニーはこの集落の子じゃ。エルフは余程の理由がなければ、成人するまで生まれた場所から出る事を禁じておる。エルクシルを……この子らを守るための仕来しきたりなのじゃ」


 もしかして……ここに来るまでハーモニーの様子がおかしかったのはこの為か。


「そんなの……そんなの聞いていないぞ!? 何で黙ってたんだよ、なんとか言えよハーモニー!」


 俺は膝をつき、魔法の壁を何度も何度も叩いた。

 言いあらわせない心のもやもやを、ぶつけるかの様に、手から血が出ようとも何度も……何度だって……!


「カナデさん……止めてください! 私の夢はここに戻ってくることだったのですよ~? お忘れになりましたか?」


 それだけ言うと、彼女は俺に笑顔を向けた──。


「連れてきてくれて、ありがとうございます」──と、言葉にしながら。


「でも黙っている必要は無かっただろ? それにトゥナの事が無かったらここに来るって言い出さなかったじゃないか……それって俺達と一緒に居たかったってことだろ?」


 俺の言葉を切っ掛けに、ハーモニーの笑顔は崩れていき、瞳の奥からは涙が際限なく溢れる。

 涙は頬を伝い、抑えきれない感情が流れ出た様にも見えた。


「……そうですよ。なんでこんな時だけ察しがいいんですか? 私の気持ちは知らんぷりしてるくせに」


 ハーモニーが魔法の壁に近づいた。しかし、何れだけ手を伸ばそうと彼女の細い指に触れることは出来なかった。


「大丈夫ですよ、カナデさん……成人したらここを出れます。その時は、必ず貴方に会いに行きます。約束しますから~……」


「ハーモニーの成人って……何年後だよ?」


ハーモニーは静かに指を五本立てた。それが俺の問いに対する答えだと一目で分かった。


「後五年……か? 長いな……分かった! その時はお前の気持ちに真っ直ぐ答えるからな?」


「本当ですか……? 約束……ですよ?」


 どちらとからもなく、透明な壁越しに手を合わせていた。

 気が付けばハーモニーの顔がすぐ近くにある。

 俺達はしばらく見つめ合い、吸い寄せられる様にゆっくりと顔を近づけ唇を重ねた。


 ──実際に触れた感触なんてない、それでも彼女の息遣いは分かる……。

 途切れ途切れに聞こえる嗚咽おえつとも取れる、彼女のその音を聞きながらも、俺達はゆっくりと離れていく。


 ハーモニーのあおい瞳と視線が交わった。

 雫が溢れ、朱色しゅいろに高揚した頬に一筋の痕を作り出し流れ落ちて行く。

 それは心にむようで、見ているだけで俺の胸は彼女の事で一杯になった。──しばらく続く沈黙は胸を絞めつけ、同時に焼けるように熱くした。


「──カナデさん……トゥナさんを助けてください。もう彼女を助けることが出来るのは、貴方だけなのですから」


「こんな時にも……他の人の心配かよ」


 あぁ、このたった一枚の壁がもどかしい。

 気丈に振る舞う彼女が、とても愛おしい……今すぐ、その小さな身体を抱き締めてやりたい!!


 ──しかし、今はもうそれは叶わないのだ……。


「約束する、今度は皆で笑顔で再開しよう」


 ……気付くのが遅すぎたんだ、今の俺に出来ることは彼女の決意を無駄にしない。ただそれだけだ──。


 魔物が倒した木々の隙間からは虹が見える。

 御者席に乗りこみ、一人で来た道を帰った。


 小さな──小さな、心強きエルフの少女に見送られて。


 俺はそんな帰り道、声をあげることもなく、人知れず……ひっそりと涙を流すのであった。

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