第120話 早朝訓練

 あの馬鹿騒ぎから数日後。


 自分が使わせてもらっている、船室の布団の上で目が覚めた。

 日が昇り始めているこんな早朝でも気温は高く、若干汗ばむほどだ……その証拠に、今も腹の辺りが濡れて。


「──って、おい……ミコさんよぉ?」


 不意に視線を、仰向けに寝ていた自身の腹部のあたりに持っていった。

 するとそこに、うちの腹ペコ精霊が大きな染みを作って寝てくれていたのだ。──これは、彼女からのこの前の仕返しなのだろうか?


 直ぐ隣のテーブルに置いた、マジックバックに手を触れる。

 この中で、プロテインを吐き出してくれた子がいたため、洗って干しておいたのだ。


「うん、やっと乾いた」


 涎染みも結構ついていたし、丁度いい機会だったかもしれないな。


 ミコを手の平の上に乗せ、マジックバックに運ぶ。

 これだけされても全く起きる気配のない、鈍感精霊様に驚きが隠せない。そんな彼女を見て、これだけは切に思う……。


「こいつ、野生じゃ絶対に生きていけないな……」


 そのまま優しくマジックバックに入れると、早速染みを作ってくれているようだ。──せ、せっかくの乾きたてにシミが……。


「まだまだ……食べれるカナ。ムニャムニャ……」


 この万年腹ペコめ! 夢の中でぐらい満腹になってくれ……。


 そんなことを思いつつも、無邪気で汚れのない子供のような寝顔に、少しだけ癒されている自分に気づき驚く。──これは色々重症だな……。少し気を引き締めにでも行こうか?


 無銘を腰に差し、木刀とマジックバックを持って部屋を出た。


 船内の廊下には火が灯っていなく、昇り始めた太陽の明かりでかろうじて見える程度だ。

 その中を、甲板に向かって歩いていく。──元いた異世界では毎日のようにやってたっけ……早朝訓練。


 廊下を抜け甲板を出ると、雲一つ無い空が見える。

 安全な海域での早朝の為か、甲板にはほとんどの人がいなく、波の音も鳥の声もしない。

 接しているはずの水面すら見えず、まるで空飛ぶ船が、太陽しか存在しない世界にポツンッ……と浮いていているかのようだ。


「これだけ美しい景色なのに、世界に一人っきりみたいで少し怖いな……」


 口にする必要もないのだが、そんな言葉が意識せず、独り言のように口をいて出た。──人は不安になると、つい独り言を言ってしまうのかもしれないな……。


 弱気になった心を強く持つため、両手で自分の頬を叩いた。

 その後、周囲に障害物がない位置までゆっくり移動した。


「さてと、この辺りなら良いか?」


 誰か来てもあまり邪魔にならないように、船の先端に位置する場所で木刀を構える。


「──ふぅぅ~……」

 

 一呼吸つき、木刀を抜刀する……。

 抜かれた木刀は、非常にゆっくりと弧を描き振り抜かれた。

 そして、ゆっくりと鞘に納める……。


 何度も何度もその動作を繰り返し、その度に少しずつ……少しずつ、動きを早くする。

 しかもその動きは、寸分たがわず最初の一振りと同じ動きでだ。


 二十回近く振った所で体に力が入り、少しだけ体制が崩れる。──駄目だ、心がついてこない……。


 魔物と戦闘を繰り返す度に上がっていくステータスで、身体能力は成長しているようだ。でも、それを扱うためのこころがついていかない……。

 一振り一振りに、心を残すことが出来ていないのだ。


「刀を握るのなら、無心に努めろ。刀を握り、心に希望を灯せ。刀を振るえば、斬心を残せ……」


 帯刀流たてわきりゅうの剣術、抜刀術の教えだ。──じいちゃんに指導を受けてた時は、よく言われたな……。


 汗を拭い、呼吸を整えもう一度木刀を構える。──無心に……無心に。


 再びゆっくりと、木刀を引き抜いたその時。


「──カナデ君? 何してるの?」


 後ろから聞こえた、聞きなれた可愛らしい声に俺の無心は霧散した。

 どうやら彼女には、これが訓練をしているようには見えないみたいだな?


「どう見ても朝練だろ? 見えないかな……」


 振り向くと、そこには声の主であるトゥナ以外にも、ハーモニーとティアが立っていた。


「トゥナさんが言ってるのは、そう言うことじゃないと思いますよ~?」


「そうですよ、カナデ様が余りにも珍しいことをしてらっしゃるので、フォルトゥナ様は、天変地異が起きるのでは無いかと心配しているのですよ?」


 え、えらいトゲのある言い方を……。


 もしかして、料理対決のアレに怒っているのか? ほら、大好きなフォルトゥナ様が「そ、そこまでは思って無いですよ……」って、困ってるぞ?


「俺も、前の世界では毎日のように朝練してたんだよ。信じてもらえないかもしれないけどな? それより三人こそ、こんな朝からどうしたんだよ?」


 言うと、三人は木剣を取り出し見せつける。


「私達は今もほぼ欠かさず、毎日早朝トレーニングを行っているんですよ。カナデ様と違って」


 それだけ言うと、拗ねるようにそっぽを向くティア……ご機嫌が直るのには少々時間が掛かりそうだな、これは?


「二人は分からなくも無いけど、ハーモニーは非戦闘員だろ? 余り無理をしない方がいいんじゃないか?」


「──私だって、守られてるだけじゃ嫌なんです~!」


 そう叫ぶ彼女の発言と瞳からは、強い意思を感じる。──どうやら、今のは失言だったかもしれないな……。

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