第91話 海中の赤い悪魔

「か、海中の赤い悪魔ですか?」


 彼女の顔をみれば分かる。俺と同じ、自分の知識にない未知の存在に不安を感じている顔だ。──ティアも知らないのか……。ギルド職員である彼女の知識にも無い魔物か。


「あぁ、海中の赤い悪魔。即ち、レクス・オクトパスさ!」


 その名前を聞いて「レクス・オクトパスですか!」と驚くティア。


 海中の赤い悪魔って別称かよ! でも、そんな風に呼ばれるほどの魔物ってことだよな?


──ってあれ? オクトパスってタコだよな……?


「それより君達は安全な所に! いくら英雄の諸君でも、海中の相手には手を出せまい。なぁ~に、この船は世界最速だ! 逃げ切って見せるさ」


 次第に強くなっていく雨の中、決め台詞を残し船長が去っていく。──波も高くなってきている……これは嵐の予感だ。


「カナデさん、船長さんが言うように、私達もひとまず避難しませんか?」


「そうだな。今回は本当に何も出来そうにないし、場をわきまえないのは命知らずがする事だ。船の人の邪魔にならないところに避難しよう」


 船内に向かう中、トゥナだけその場で立ち止まり魔物が現れたと言われる方角を見つめる。


「どうしたんだよ、トゥナ? この船の人達の邪魔にならないところに移動しようぜ」


「え、えぇ、そうね。移動しましょう」


 上がってきた階段を下り、エルピスの女性陣が使っている部屋まで移動した。

 船の左側に位置するこの部屋なら、窓から戦況を確認することが出来るかもしれないと思ったのだ。


「こんな時、何も出来ないって言うのは歯痒いですね。この雨風の中では、私の風の魔法では霧散してしまいますし……」


 ティアの発言を聞き、窓の外を眺めると外は豪雨になっており、波はさらに高くなっている。風もかなり出てきたな……。


 俺は不意に、気になった事を質問した。


「さっき言ってた、レクス・オクトパス……だっけか? それっていったい、どんな魔物なんだよ」


 俺の言葉に、みんなに見えるように図鑑を広げるティア。彼女が描いた絵だけを見ると、普通のタコのようにもみえるのだが……。

 そんな俺の疑問に答えるように、ティアが説明していく。


「オクトパスと言うのは総称名で、足が主に八本ある海中の魔物です。強力な吸引力を持つ吸盤を有しており、クチバシは鋭利なので注意が必要ですね……。あ、基本毒は有りませんよ? ごく稀に毒持ちもいますけど」


──タコじゃねぇか!


「レクスってことは……王種ってことよね?噂にしか聞いたことがなかったけど」


 トゥナの発言に頷くティア。説明を聞いても普通のタコだろ? 俺には食材のイメージしかないな。


「それって希少の中の希少種じゃないですか! 本の中でしか見たことがありませんよ? 本当についてないですね~……」


──おい、ハーモニー。ついてないって言いながら、俺を見るのはやめてもらおうか?


 皆は焦っているようだけど、それって驚異になり得るのか? タコって群れで動くイメージもないし、王様だから大群引き連れて……って訳でもないよな? 考えれるとしたら……やっぱり大きさか?


「ほら、あそこ! 今見えましたよ~!」


 ハーモニーの指を指す方を見ると、水面が盛り上がるように海中から赤い悪魔が姿を表した。


「──な、なんだよ、あれは!」


 これだけの豪雨でも姿が分かる。それほどに、姿を現した魔物はおかしい。夢でも見ているのかと思った、それほどまでに大きすぎるのだ!──だから、なんでこの世界の生き物は、大きい方に進化するかね!


「過去には軍艦がレクス・オクトパスによって海に沈められ、部隊が半壊させられたと聞いたこともあります……」


 マジかよ! そんなのとタイマンでやり合うとか、無理も良いところだ! 逃げの一手……船長の判断は正しいな。


「この位置関係では本当にギリギリね、何とか逃げ切る事が出来れば良いのだけど……」


 俺達が乗っている船は、レクス・オクトパスの側面を抜け、逃げようとしているみたいだ……しかし。


「──カナデさん、アイツどんどん近づいてきてますよ~!」


 魔物の巨体が徐々に近づいてくる、その度に波が起こり船が大きく左右に揺すられる。


「──左舷バリスタ、放て!」


 船長の掛け声が船内にも響く、オールアウト号から無数の矢が放たれた……。

 しかし雨の為か、風の為なのか……。矢の命中精度は芳しくないようだ。当たったとしても、外皮に矢が滑るように弾かれてしまう。


「──お前達の筋肉が飾りじゃ無いところを見せてやれ! ドンドン放て、何とか足止めをするんだ!」


 鑑定眼を発動して、レクス・オクトパスを確認した。しかし船からか放つ矢は、ダメージを与えるには到っていない。──嫌がっている素振りは見えるんだけどな……効果はいまひとつのようだ。


 それでもいくらかは減速させる事に成功しているのか? オールアウト号は、何とかやり過ごした様に見えた。


「カ、カナデさん~、逃げ切ることが出来たんですかね~?」


「分からないけど……そう期待するしか無いだろう」


──ガクン!


 しかし、そう上手くは行かなかった様だ。突然の振動に俺達は転倒した。


「──っつ! いててて……」


 今までの、波による横揺れとは明らかに違う! まるでなにかに急に引っ張られたような、激しい前後の揺れだ。


「あ~もう、嫌な予感しかしないぞ!」

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