第55話 MOTHER

 目の前にいる聖母様はハーモニーの声に気づき、その場でひざまずいたまま振り向いた。


「ハモニ? あらあら、皆さんまで」


 俺達にも気づいた聖母様は、ゆっくりと立ち上がりこちらを向く。そして膝のホコリを払うような仕草をした後、深々と頭を下げた。


 それを見た俺も、慌てながらも彼女につられるようにお辞儀をする。


 彼女はこちらに近づきながらも、手で自分の口許をそっと隠す。──何やら嬉しそうにも見えるけど……。


「ふふふ。ハモニとカナデ様が、一緒に此方にお越しになられると言うことは、結婚の挨拶でしょうか? あらやだ……私、御召し物がこれしかありませんわ……困りましたわね」

 そう言いながら口元に置いていた手を頬に当て、聖母はオロオロし始めた。──何て言うか……近所のお婆ちゃんみたいだ。


「聖母様~違うんです! 誤解なんです!」


 ハーモニーが小さい体を大きく使い、手でバツ印を作りながら否定の声を上げた。


「あらら? それではもしかして、コチラで挙式をなさりに? 私嬉しいです……。実の娘のように育ててきたハモニが、勇者様と精霊様に祝福されながら愛を誓う日が来るなんて……」


 そう言いながら両手で顔を隠し、聖母様は泣き出してしまった。


 ハーモニーはそれを見てか、俺に助けを求めるような視線を送って来る。──何とかしてくれ……って事なんだよな? きっと。


──ことの発端は俺だ、仕方ないか。


 重い深呼吸の後「聖母様、誤解です。俺達は結婚しません!」と、単刀直入に言った。

 遠回しに言っても、どうせまた要らぬ誤解が増える気がするしな?


 俺の言葉を聞き、両手を下ろす聖母様。


「あら? ヤッパリ駄目でしたか?」


 泣いたと思われていた彼女は、ケロッとした顔を俺達に向けたのだ……。──あれは嘘泣きだったのか……。


 俺は疑惑の眼差しを聖母様に向けた。言いたいことを察したのか、彼女はゆっくりと口を開く。


「違う事は分かっておりました。しかし、優しいハモニの事なので、私達を気遣って出てくとは言わないと思ったので、一芝居うってみたのですが……やはり勢いだけじゃダメなようですね?」


 彼女は、淡々とした口調でとんでもないことを口走る。──一芝居で娘のように思っていたハーモニーを押し付けるって……。俺の人生まで狂うだろ!


 傍観していたトゥナも、あまりの事に「本当に勢いで結婚してたらどうするつもりだったんですか?」と、タメ息混じりの呆れ顔で答えた。


「それならそれで、私は構わなかったのですよ。カナデ様はとても優しい方ですから」


 そう言葉にして、俺に向かって微笑む聖母様。──なるほど、聖母様と言うだけあって、見る目はあるようだ。


 しかし、それを聞いた女性二人が、何やら微妙な顔で俺を見るのだが……。──何でそんな顔でこっちを見るんだよ。


「それに、精霊様と繋がっている方に悪い方は居ませんよ。本日はそちらのバックの中に居るのですね?」


 突然の発言に慌ててマジックバックを確認するが、別にミコが顔を出しているわけでもない。──ばれてる……? この人には分かるのか……。


 ばれてる以上隠してても意味はない。俺はマジックバックを開け、ミコに声を掛けた。


「ミコ、出てきていいぞ」


 すると、マジックバックから顔だけ覗かせるミコ。──周囲を警戒しているのだろうか?

 今まで警戒を見せなかったミコの成長に、俺はチョットだけ泣きそうになった。


「こんにちは。ミコちゃんと言うのですか? 勇者様と魔王を打ち倒した精霊様と同じ名前ですね」


 とても優しい声と共にマジックバックを覗き込む聖母様。


 それに対して「こんにちわカナ! ボクがその精霊様なんだシ」とマジックバックから体を出し、胸を張るミコ。


 しかし、残念かな?


「そうなの? ミコちゃんすごいわ」と、軽く聞き流す聖母様。──これは信じてもらえてないな……残念なやつだ。


 ミコとの挨拶を終え、聖母様は、ハーモニーを見つめる。


「ハモニ……貴方が私達の事を思ってくれて嬉しく思います。しかし、私は貴方の母として、ハモニが……自分の子が成したいことに協力できないのは、とても辛いのです」


 優しい口調で語りかける彼女の瞳には、うっすらと涙が溜まっている。


「聖母様……」


 ハーモニーの声は震え、唇を噛み締める。涙を流さないよう必死でこらえているようだ……。──別に、素直に泣いてもいいと思うんだけどな。


 泣きそうなハーモニーの頭を、俺はぐちゃぐちゃっと撫で回す。──お節介かもしれないが……少しだけハーモニーの背中を押すか。


「聖母様、改めてお願いがあります。ハーモニーが嫌でないのなら、俺達と共に旅をする事を御許しできないでしょうか?」


 二度目のお願いと共に、深々と頭を下げた。


「私からもお願い致します。私が必ず守ります! だから大切な友人と、世界を見て回る機会を与えてください」


 そう言ったトゥナは、絨毯に片ヒザを付くと、まるで騎士の様に頭を垂れた。彼女なりの決意のあらわれなのだろう。


「ハモニ? 彼らは頭を下げてまで、あの様に言っていますが、貴方の意思はどうなのかしら……?」


 ハーモニーの手は強く握られる。俺達の姿を見て、彼女の瞳からは我慢していた涙が星屑の様に次々と姿を現した。


 そして、涙を流しながらも力強い声で、覚悟を口にした。


「わ、私。この方達と一緒に、外の世界が見たいです!」


 聖母様はハーモニーの言葉を聞き「そう……そうなのね……」と、瞳から流れる涙を指で拭う。──彼女も長年、母のように過ごしてきたのだ、離れることが辛くないわけがないよな……。


「カナデ様。出発は何時を予定しているのでしょうか?」


「今作業をしてる腐葉土は、明日確認したら今後は親分さんにやり方を説明して任せるつもりですけど……」


 それだけ言うと俺はトゥナを見る。俺は用事がないからな……出発は彼女任せだ。


「予定していたより長居してしまったので、早ければ明日のお昼過ぎには、遅くても明後日の朝にはこの町を出ようかと思っています」


 そうだよな。俺も指名手配されてる手前、もう少し長居をしようとも言えないし……。


「それではひとつだけ、お願いがあるのですが……」


 聖母様は両手を胸の前で組み、まるで神にでも祈るように目を瞑り、ゆっくりと口を開く。


「今から一晩だけでいいのです。聖母としての立場を無しに、母と娘としての時間を頂くことはできませんか?」


 俺は、そう言いながら頭を下げる一人の母の姿に、感動と、自分が経験したことのない親子関係と言うものに、ほんの少しだけの焼きもちを感じた。それと同時に胸の中が熱くなる。


 当然その申し出を断る理由もなく、俺とトゥナはハーモニーの背中を押した。


 一晩だけの母の腕に、力強く抱き締められたハーモニーは「マザ……ママ……ママ~」と声を上げ、人目をはばからず涙する。


 そこに居るのは誰から見ても間違いなく、一人の母と娘の姿だった……。


 俺とトゥナは、母娘ふたりをその場に残し、教会を後にすることにした。

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