第45話  過去

 真剣な面持の彼女の口から、思いがけない願いの言葉が漏れた。

 彼女の願いを叶えることは難しいことではないだろう。俺達が頷くだけで良いのだから。


 しかし、彼女の震える声が俺は気になった。

 ただ勇気を出して、俺たちに伝えた。それだけでは無い様な気がしたからだ。


「私もハーモニーと一緒に旅が出来たら嬉しいわよ? カナデ君はどうかしら?」


「俺も賛成だよ。絶対にその方が楽しい。ミコもそう思うだろ?」


「当然カナ! 当然カナ!」


 その気持ちに嘘はない。ハーモニーと一緒に旅ができれば、絶対に楽しいと思う。


 しかし、俺達がそう答えると、寂しそうな笑顔を見せながらも「ありがとうございます……」と、何故か首を左右に振るハーモニー。


 その表情は暗く、何処か悲しげにも見えた。


「少し長いですが、私の身の上話をしてもいいですか?」


 ハーモニーの身の上話か? 正直少し興味があるな?


「もちろん聞くさ、話してくれよ」


 トゥナを見ると首を縦に振る。きっと彼女も、俺と同じことを感じたに違いない。

 ハーモニーが自らの願いを拒否する理由が、ココにある……っと。


 真剣な表情で、ハーモニーは自身の身の上話を語り始めた。


「私には、血のつながった二人の妹がいるのです。実は私達は、十年ほど前に、隣国から奴隷として、このグローリア国に船で運ばれてきました~……」


 予想外の告白だったのだろうか? トゥナが慌てる様にハーモニーへと詰め寄った。


「──ちょっとまって! もう200年近く前に、奴隷制度は禁止になっているはずよ!」


 勇者の様になりたいと、先ほど語ったトゥナが大きな声を出した。彼女にとっては、信じられない出来事だったのだろうか?


 文明的にも、奴隷とか普通にありそうな感じなんだけどな?

 俺はむしろ、道徳的な思想が世界的にルールとして浸透していることの方が、正直驚きだ。


「はい、表立っては……。しかし、私達姉妹と、共にいた同胞は、人身売買を行っている闇奴隷商に捕まり、この国に連れて来られたのですよ~……」


 ハーモニーの話を聞きながら、トゥナは信じられないような、そして何とも言えない悲痛な面持ちをしている。

 俺も、目の前の少女が元奴隷で、自らそれを口にしている姿に戸惑いを覚えている。


「それでも私達は、運が良かったのでしょうね? この国で運ばれている最中に、偶然動いていたギルドの冒険者様に助けられ、保護されました。その後は、ギルドから簡単な仕事も斡旋あっせんしていただき、何とかもう少しで故郷に帰れるって所まで費用が貯まったのです~」


 彼女は自身の辛い過去を淡々と語り続ける。

 それはまるで、自らに溜まっていた、何かが溢れ出したかのように……。止まることはなく。


「──しかしその矢先、体の弱かった妹が二人とも、病におかされてしまったのです……。私はその時一緒にいた、最年長だった同胞に、今まで稼いだお金をすべて渡し、故郷に戻るようにお願いしました。エルフの病はエルフの医者が一番理解しているので……」


 彼女は妹達のために一人、たくましく生きる道を選んだのか……。


「そして、私は色々あって教会の孤児院で、お世話になることになりました。今お世話になってる孤児院がそうなんですよ~?」


 なるほどな。それが彼女が孤児院にいる経緯な訳だ。こんな幼いのに、辛い過去を歩んできてるんだな……。


「それで、ここからがお断りした理由になります。今の孤児院は寄付金も減っており、野菜の売買が生活の基盤となっているのです……。私が居なくなると、子供たちが生きていけないのです~」


 だから、お世話になった恩返しに教会に居続けてるわけか……。幼いのに、なんてしっかりしてるんだ!


「長くなってしまい申し訳ありません。ですので皆様のお気持ちは嬉しいのですが、私は行くことが出来ないのです~」


 何かを吐き出しスッキリとしたかのように、急に笑顔に戻るハーモニー。でも、俺は彼女のその笑顔は、どこか寂しげにも見えた。


「同年代の大好きな友人と世界を巡り、妹達と出会い、思い出話しを聞かせるのが私の願い……夢なのかもしれませんね?」


 そう言った彼女は、自分の近くにあった石を拾いおもむろに湖に投げた。


「でも私は。私を育ててくれた、あの孤児院も大切なのですよ~。あそこに住む皆も、今では大切な家族ですから~……」


 湖に投げ込まれた石は放物線を描き、彼女が口に出せない思いを代弁するかの様に水面に音を響かせ、石は湖の底に沈んでいく。


 俺は彼女の思いを聞いて、居ても立ってもいられない気持ちになり「でも、ハーモニーはそれでいいのか?」と彼女に声をかけた。その時だ──


「──綺麗……」


 トゥナが突然、湖を見ながら溜め息をもらすかの様に、静かにそう呟いた。


 その声につられ再び湖を見ると、先ほどハーモニーが石を投げ込んだ所を中心に、少し遅れて青白い光がまるで波紋の様に広がっていき、少しの間美しい輝きに魅せられた。

 その後、まるで夢から覚めた様に輝きは消えていく。


「スゴいカナ!」


 湖に向かい飛び出したミコは、水面に片手を当てながら反対岸に向かい、真っ直ぐ飛んで行く。


 ミコが触れた所を中心に、湖が青白い輝きに裂かれ、そして──また、あわい夢のように消えていく……。


「こんな綺麗な光景知りませんでした……。町から、そんなに離れてないのに~……」


──本当に綺麗だ……。


 しかし、その光景は、綺麗なのに何処か切なくさえ感じてしまう。


 反対岸から飛んで戻ってきたミコが「へっへ~、ボク専用のダンスステージみたいカナ」と、水面を足場にするかの様に踊り出した。


 ミコが水面を舞う度、その足元に青白い波紋を広げ、心に感動を植え付けていく。時には激しく輝きを見せ、時には緩やかに……瞬く間にその表情を変えていった……。


「綺麗です……。こんなの、綺麗すぎですよ~……」


 右手で口元を押さえるハーモニー。そんな彼女の瞳は青白く輝き、頬を伝うしずくは雨粒の様に大地を湿らせる。


 俺は、目の前の焚き火を消し立ち上がり、月明かりの中、同じようにトゥナも立ち上がったのが見えた。


 俺達は、ハーモニーを挟み込むように座り、抱き締めながら頭を撫でるトゥナと、ハーモニーの手を握る俺。


「お母さんや、お父さん……妹達に会いたいよ……。離れ離れは、もう嫌だよ……」と、ハーモニーからは、必死でこらえていた感情が溢れ出す。


 涙を流しながらもうつむく事はなく、ハーモニーは目の前の光景を瞳に焼き付けるように見続けている。


 月夜の湖で半透明の羽を広げ、舞い踊るミコはとても神秘的だ。

 水面を滑るように大きく弧を描き進むと、彼女が通りすぎた後を追うように青い光が広がる。


 音と言葉を失った世界に、一人の少女のすすり泣く声だけが響き渡る。


 そんな少女の為なのだろうか? 水面で青白い輝きに姿を映すミコから、ハーモニーに向けて一つのプレゼントが送られた。


「これを見て、元気を出すかな!」


 突如スケートのトリプルアクセルを見せたミコが、水面に着地した。


──その瞬間!


 水の上に見えていた光が、空へと舞い上がり、青い雪のように湖に降り注いだ。


「なんだこれ……。魔法みたいだ……」


 ミコが手を振ると、その方向に光の粒が舞い、反対に振ればそちらに舞う。


 光を指揮するかの様に、自在に動かすミコの姿は、誰も疑うことの無い──まさしく光の精霊、そのものであった。


 縦横無尽じゅうおうむじんに動く光の粒は、ミコの指揮によって、花火のように空高くに昇り、夜空に青い花を咲かせた。

 そして、はかなくも光の粒は、水面へと向かい落ちていく。


 俺はそれにつられ、空から視線を落とし湖を見ると、フィーデスの教会にあった彫刻の精霊が、水面の上で服の裾を少し掴み、こちらに向かってお辞儀をする姿が見えた。


 驚き手で目を擦ると、ソコには美しい精霊様はいなく、いつもの愛らしいミコがいた……。──今のは幻覚?


 トゥナに抱きしめられていたハーモニーを見ると、いつの間にか泣き疲れて眠ってしまったらしい。

 彼女の頬を伝って落ちた涙は、暗いながらも星の様に輝き、俺の手の甲に落ちてきたのだった。

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