第9話 需要を感じない文化祭会議


 時とは早いもので、テスト週間が終わってGWが終わって、あ、しゅごい。私学校生活満喫してるかもしれない! リア充とはこの事を言うんだぜ! いえい、いえい! なんて思っていたら、あっという間に早めの文化祭会議が始まる。


 私とかなちゃんはパンフレット・広報係になり、にやつく。


「まる氏、我々の画力を発揮する時が来たでござる」

「さよう。ここで使わずどこで使うでございまする」

「しかし油断してはならんでござる。ここは可憐な乙女達が集まるGL学園。漫画漫画したイラストはNGでござる」

「では、どうするでありんすか」

「簡単でござる」


 好きなキャラクターが身に着けているお花や宝石を描くでござる!!


「これなんてどうでござるか!」

「これは! 皆憧れ桐ヶ谷君の75層時のソード! エリュシデータにダークリパルサー!」

「これもかっこいいでござる!」

「はわ! ユーキちゃんのマクアフィテル!! 完成度たけえな! おい!!」

「ちなみに、某、同人誌持ってるでござる」

「どっきんこ」

「CPはもちろん……ひそひそ」

「ぴゃああああ!!!」

「まる氏になら↑、貸してあげても↑、いいでござる↑」

「かな氏ぃぃいい!!」


 こんな会話が繰り広げられるが、パンフレットのサンプルを見てクラスのチラシを作らなければいけないため、放課後の時間に私が代表で会議室へと向かう。


「失礼します」


 扉を開けると、数人の係の代表のお嬢様と、生徒会のお嬢様達。私の顔を知っている先輩からは、ぎらりと睨みつけられる。


「まる!」

「何しに来たの!」

「貴様、なでしこ様に会いたくて、係の代表に!」

「この野良猫!」

「あー……違いますよ……。係一緒の子が、もう一つ係を担っているので、そっちで忙しくて……」


 否定すると、先輩たちが顔を青ざめた。


「こいつ! なでしこ様に会いたくて係の代表になったというのを、否定しやがったですわ!」

「お前! なでしこ様を何だと思っておいで!?」

「恥を知れ!」

「この野良猫!」


(えー! 否定しても怒られるんですかー!?)


「ところで先輩達、まだ会議が開かれないんですか?」

「今はなでしこ様待ちよ。まるも大人しく座ってお待ちなさい!」

「はーい」


 持ってきた筆記用具をテーブルに置いて席に座る。スマホを弄りたいけど、流石にこの空気では弄れなさそうだ。


(なでしこ先輩待ちかぁ。先輩何やってるんだろう)


 ふわあ、と欠伸一回。生徒会の先輩達は両手を握ってなでしこ先輩を待つ。


「ああ、それにしても、待ち遠しいです。いつもあの方のお姿を見ているはずなのに、なでしこ様を待っている間は、いつだってどきどきしますわ」

「ああ、早く会いたい」

「そういえば」


 女子というのはお嬢様でも噂話が好きな生き物だ。周りからなでしこ先輩の話題でいっぱいになり始める。


「なでしこ様って完璧に仕事をこなすけれど、恋人はいらっしゃるのかしら」

「あら、知らないの? 美園さん。なでしこ様の恋人は、外国人だという噂がありましてですわよ」

「杏里さん、それは違いますわ。私が聞いたお話では、なでしこ様には既に素敵な婚約者がいらっしゃるとか」

「美香さん、それはただの噂ですわ。嘘の方の噂です。私がお友達から聞いたお話では、なでしこ様はこの学園の先生と、愛を誓い合う関係だとか」

「まあ、禁断の恋でございますか!?」

「ただの噂ですわ。私は失恋したお話を聞いてます。カリフォルニアで結婚を誓い合った恋人がいたのだけれど、日本に来る事になって、泣く泣く別れてしまったと…」


(カリフォルニアかあ……。なっちゃん元気かなあ)


 窓辺の暖かさに、欠伸二回目。噂は引き続き行われる。


「年上の恋人がいて」

「ずっと片想いしている人がいて」

「大統領の息子様と恋に落ちた仲だった」

「実はもう結婚している」

「相手はエリート社長」

「相手は凄腕の医者」

「相手はFBI捜査官」

「恋人がマフィアに心臓を撃たれて亡き人に」

「んんんんん……!」


 先輩方が欠伸をしていた私を囲む。


(ん?)


「ねえ、まる!」


 皆、さっきとは違って、目をきらきら輝かせて私を見つめる。


「あなた、なでしこ様から何か聞いてないの?」

「そうよ。寮のお部屋一緒なんでしょう?」

「ねえ、何が真実なの?」

「お部屋にたまに遊びに来る男性の人とかいらっしゃらないの?」

「なでしこ様の私生活ってどんな感じですの?」

「まる!」


 先輩達が声を揃えた。


「「なでしこ様の想い人は、どんな方ですの!?」」

「え?」


 私は眉をひそめる。


「先輩の好きな人ですか?」


 私は首を傾げた。同時に扉が開いた。


「なでしこ先輩の好きな人なんか知って、何の需要があるんです?」


 きょとんとして訊くと、周りにいた先輩達が目を見開いて黙り込んだ。会議室にいた係の代表で来ていたお嬢様達も凍り付いた。空気が一気に凍り付く。


(……ん?)


 何、この空気。


(私、変な事言った?)


 私は空気を和ませるために、一言付け加える。


「あ、大丈夫ですよ! 私、なでしこ先輩のそういう事情、全く興味ないので、ご勝手に探っちゃってください!」


 先輩達が更に凍り付く。お嬢様達が凍り付く。私はきょとんとする。


(……ん? なんかおかしいぞ?)


 その時、ぽん、と頭に手が置かれた。


(ん?)


「嫌ですわ。まるさんったら」


 声を聞いて、私は状況を把握した。体が一気に凍り付く。


「人の秘密は暴くから楽しいのではないですか」


 ふふっ。


「でも、探っちゃ駄目。私の秘密は、私だけのものですから」


 会議室に到着したなでしこ先輩がニコニコ笑って、私の頭を撫でていた。私は黙って目を逸らす。


「さあ、変な噂話なんてしてないで、文化祭の打ち合わせをしますよ。準備を」

「は、はい!」

「ただいま!」


 先輩方が慌てて準備を始め出すと、なでしこ先輩の手が私の頭から離れた。私は目を逸らしたまま、文房具を猫の筆箱から取り出す。


(……やばい。頭が上がらない……)


 ホワイトボード見られない……。


(あ、あれー?)


 なーーんか、生徒会長のお席から、痛い視線がちくちくちくーー。


(あれぇぇええ?)


「それでは、我が学園の文化祭についてですが……」


 なでしこ先輩の美しい声が会議室に響く中、生徒会の人達と、私だけ、顔を青ざめていた。



(*'ω'*)



 文化祭のパンフレットのサンプルが配られ、毎回どんな風に文化祭が開催されているかの話をされ、ようやく解散。


(ああ……疲れた……)


 私はずっと下に下ろしていた首をさすった。


(この後帰って、なでしこ先輩と一緒に過ごすんでしょ……)


 ……。


(えーー。やだーー)


 すっごくやだーー。


(気まずーい)


 あの発言をしなければよかったと後悔。


(でも、間違ってないし!)


 しかし、すぐに開き直る。


(だって、なでしこ先輩の恋愛事情なんて本当に誠に興味ないもん!)


 人は人を好きになるし、なでしこ先輩だって同じだ。

 恋人がいたところで、好きな人がいたところで、実は恋人が亡くなってたって、なでしこ先輩の想っている人がいる以上、それは彼女自身の気持ちと話であり、私には全く関係がない。


(興味ない)


 BLフィールドで目をつけた漫画の登場人物達の心情はとても興味があるけれど、


(なでしこ先輩でしょ)


 あの腹黒先輩でしょ?


(……)


 私は頷く。


(うん。やっぱり興味ない。ないない)


「ふわああ……」


 がたんと音を出して椅子を引き、欠伸をしながら立ち上がる。筆箱とサンプルのパンフレットを持って、会議室を出ようとすると、


「まる」


 生徒会の先輩に呼び止められた。


「ん、はい?」

「なでしこ様が生徒会室にハンカチを置き忘れたそうよ。貴女に取ってきて欲しいって」

「え、私にですか?」


 なでしこ先輩は会議が終わって早々、まだやる事があるからと会議室を出て行ってしまった。お仕事多くて大変ですね。お疲れ様です。今日の晩御飯はレトルトカレーになりそうな予感。


「貴女、なでしこ様と同じお部屋なのでしょう? 持って帰ってさしあげて」

「分かりました」

「生徒会室は開いてるはずだから、ハンカチを見つけたら直ちに帰りなさい」

「了解です」

「悪戯しては駄目よ!」

「な、なんで悪戯するの前提なんですか……!」

「お前が野良猫だからよ!」

「私、人間です!!」


 というわけで、私は教室に戻って帰る支度をし、玄関に行く前に生徒会室へと立ち寄った。ドアノブを捻ると、鍵がされてなく、簡単に扉が開いた。


「お邪魔します」


 なでしこ先輩とお昼を過ごしている場所のはずなのだが、一人で入るとなかなか寂しい雰囲気。窓に映る夕日が眩しい。


(えーっと、ハンカチは……)


 生徒会長のデスクに、レースのついたお洒落なハンカチが置かれていた。


「あ、これかー」


 私はとことこ歩き、ハンカチを持った。


(汚したらいけないから、ポーチに入れておこう)


 私は鞄の中に入れているポーチにハンカチを入れる。


(よし、任務完了! 帰ろう! 帰って、BL本を読み漁ろう!)


 ポーチを鞄に入れると、がちゃんと扉の鍵がかけられた。


「え」


 振り返ると、なでしこ先輩が扉の前に立っていた。


「っ」


 私はその一瞬で状況を理解した。


(罠だ!)


 なでしこ先輩の穏やかだった目が鋭くなって、私を睨みつける。声が一気に低くなり、背中からは禍々しいダークホールオーラ! こいつは――やばいやつ!!


「まぁぁるぅぅうう……」

「ぎにゃあああああ!!」


 私は慌てて逃げ道を探す。なでしこ先輩が左に行けば右。なでしこ先輩が右に行けば左。血の気を引かせ、ぶるぶる震える足を頼りに、じりじりとゆっくり左右に歩く。


「せっ! 先輩っ! ひっ! あの! なんか、今日は、顔色が悪いですね! ははっ!」

「ああ。お前の心にも無い発言のせいで、この上なく気分を害した……」


 なでしこ先輩が右に行く。私が左に行く。なでしこ先輩が左に行く。私は右に行く。


「な、なしてですか! 自分の恋路話に興味を持たれたってうざいだけじゃないですか!」

「おい……忘れてないか……? お前は主人である私の事が大好きな猫のはずだぞ……。なのに……なんで私に興味がないなんて……」


 なでしこ先輩の目がギラリと光った。


「簡単に言えるんだ!」

「な、なして、そんなに怒ってるんですか! 意味がわかんないですって!」


 私がじりじり。なでしこ先輩がじりじり。


「そ、そうだ! なでしこ先輩! ハンカチ! 置き忘れてましたよ!」

「ああ、元々お前を呼びつけるために、わざと置いておいたからな」

「は!? な、なんで私を呼びつける事前提なんですか!」

「当然だ。お前が私の事を大好きすぎるから一緒に帰りたいだろうなと思っての配慮だ。心から感謝しろ」

「おい、なでしこ先輩! そいつは色々とおかしいですぜ! 確かに先輩の事は嫌いじゃありませんが、私達は言ってしまえばただの先輩後輩ルームメイト同じ学園の生徒でたまたま人に言えない事情をお互いに知ってしまってお互いに黙ってるってだけの関係じゃないですか!」

「ほーーーお? 私達の関係が、それだけだと?」


 今日のお前の発言はずいぶんと強気だな。


「よく分かった」


 なでしこ先輩の足が動いた。右でも左でもなく、テーブルの端に靴をつけて、勢いのままテーブルの上に上った。


(なっ)


 予想外の動きに目を見開く間にも、なでしこ先輩は構うことなくテーブルに沿って真っ直ぐ歩いてくる。私との距離が嫌でも縮まっていく。


「そうか。お前、反抗期か」


 なでしこ先輩が私を見下ろす。


「理解した」

「ひぇっ!」


 私は慌てて右に逃げる。しかし、なでしこ先輩がテーブルを蹴り、私の逃げる先に飛び、華麗に着地する。


「ひゃっ!」


 慌てて後ずさるが、なでしこ先輩に手首を掴まれる。


「来い」

「ちょっ」


 ソファーに投げ飛ばされる。


「むぎゅん!」

「どうやら躾が足りなかったようだ」


 なでしこ先輩が黒い髪を払い、私の上に乗っかってくる。私は顔を青ざめ、体をぶるぶる震わせ、恐怖体験まっしぐら。なでしこ先輩が微笑んだ。


「丁寧に教えて差し上げましょう」


 なでしこ先輩がにやりと笑った。


「指導だ」

「わーい」


 もうどうにでもなれー!

 にやけるなでしこ先輩から必死に目を逸らし、私は引き攣る笑顔を浮かべる。


「な、な、な、なでしこ、先輩、は、はやく、あの、お疲れでしょうから、はや、早く、帰りましょうや……」

「どこから教えこもうか。まずはお前と私の関係」


 なでしこ先輩の手が、私の膝に触れた。


「ふぇっ……」

「お前は、私の猫」


 するすると、上に上がっていく。


「私はお前の主人」


 耳元で囁かれる。


「お前の躾をするのが、私」


 手が太ももにまで登ってくる。


「そんな私が、お前は大好きでしょうがない」


 太ももを撫でられる。なでしこ先輩の胸が、私の胸に重なるようにくっつく。私の耳に、低い吐息。


「まる」

「んっ」


 ぴくりと肩が揺れる。


「大好きって言え」


 なでしこ先輩の手が太ももを撫でてくる。


「言うまで、辱めてやる」


(ひぇっ!?)


 太ももを撫でていたなでしこ先輩の手が、私のリボンを解く。


(ぎゃっ!)


 シャツのボタンを外される。


「ひゃあっ!」


 なでしこ先輩の手がくわっと開いた。


「ななっ! な、何を!」


 ――あれ? 


「へっ……!?」


 私は気付いた。――ブラジャーとパンツは、いずこに!?


(はっ!)


 なでしこ先輩の手にあるブラジャーとぺんぎんちゃんパンツは、まさか!


「ま、まさか、この一瞬の時で、私の下着を奪っただと……!?」

「ふん! この程度、生徒会長であれば当然の事!」

「先輩、生徒会長は関係ないと思います!」


 窓から風が吹き、私のスカートをなびかせた。


「ひゃっ!」


 私の手が慌ててスカートを押さえる。そして――また気付いた。私の制服が、ちゃっかり元に戻っていることに。外されたボタンも元通り。


(こ、このなでしこぱいせんめ! なんて事しやがる! ノーブラノーパンでちゃっかり制服着てるなんて、変態の極み!)


「な、なでしこ先輩!」


 私は必死に声を荒げる。


「下着返してください!!」

「ねえ、まる」


 なでしこ先輩が私に微笑む。


「私の事、好き?」

「え? ……あー。……はいはい。好きです」

「……」


 なでしこ先輩がポケットからライターを取り出し、私の下着の側で火をつけた。


「もー! なでしこ先輩、大好きです! 大好きに決まってるじゃないですか! 私の最高のご主人様!!」

「へえー。そうかー」


 なら、いいな?


「私の事が大好きなら、私が満足するまでお前に甘えても、構わないな?」

「え、甘えてくるんですか!?」


 なでしこ先輩が、私に甘えてくるんですか!?


「ああ。私の事が大好きなら、甘えさせてくれるな?」

「は、はぁ。甘えられるのは別に構いませんが……」

「言ったな」


 なでしこ先輩の目が光る。


「自分の言葉に責任を持つように」


 そう言って、なでしこ先輩が体重を乗せてきた。


(おわっ!?)


 押し倒される。


(……お、おお?) 


 なでしこ先輩が私の胸に顔を埋めている。


(……あ、甘え……られてる……?)


 私はぽかんと、その光景を見つめる。なでしこ先輩がすりすりしてくる。


(……すりすりされてる)


 すりすり。


「……」


 すりすり。


「……あのー、先輩……?」


 すりすり。


「なんか、その、すごく、言いづらいのですが……」


 すりすり。


「あの、今、下着をつけていないので、その、触り方は、その、どうかと……」


 すりすり。


「えっと、その、それは、ちょっと、電車だと痴漢行為、あ、いや、女同士なので、私は構わないのですが」


 すりすり。


「構わないのですが、あの、ちょっと……」


 すりすり。


「あの、触り方が、あの、あの、えっと……」


 すりすり。


「あれ、なんか、あの、えっと、先輩? あの……」


 すりすりすりすりすりすりすりすり。


「えっと、えっと、えっと、えっと……」


 ――もぞ。


「あっ、まって、まってくださっ!」


 すりすり、すりすり。


「あっ、ぃやっ! まっ、まって、まって! まってぇ!」


 すりすりすりすり。


「あっ、まって、あっ、あっ、はやいです! こんなの、きいてないですってばぁ!」


 すりすりすりすりすり。


「あっ、ぃや、ん! あっ、とめ、とめてくださ、あっ! すりすり、しちゃ、やだ……!」


 すりすりすりすりすり。


「あっ、それ、やぁ、ひっ! んん! ちょっ……」


 すりすりすりすりすりすり。


「すりすりするなら下着返してくださいぃい!!」


 ――その時、生徒会室にノック音が響いた。


「なでしこ様?」

「っ!」


 私は慌てて両手で口を押さえる。なでしこ先輩も『すりすり』を中断し、顔を扉に向ける。扉には鍵がかけられているため開けられる事は無い。だけれど――向こうにいる相手は声で分かる。


(せ、生徒会の先輩だ……)


「どうした?」

「ああ、なでしこ様、いらっしゃいましたか」

「ああ。ハンカチの件で、まるも一緒でな」


 なでしこ先輩の手がゆっくりと動き始める。


(へっ)


 すり。


「……っっ!」


 私は口を押さえたまま、必死に首を振る。なでしこ先輩はにこにこ笑いながら扉の向こうにいる相手と会話する。


「まるが何か、悪さを働きませんでしたか!?」

「いいや。私が落ち着かせて、眠らせている」


 すり、すり。


「〜っ!!」

「おかしな寝言を言う奴でな」

「野良猫を寝かしつけるなんて、流石なでしこ様ですわ!」

「当然だ。生徒会長として、猫一匹寝かしつけられないでどうする。私を侮るな」

「はい! 失礼致しました!」


 すりすり、すり。


「〜ん、んんっ!」


(終わって、早く、早く会話、終わって……!)


 震える手で必死に口を押さえる。漏れ出しそうな声を耐える。


「何か私に用か?」

「はい、その……書類の件でお話が」


 すりすりすりすり。


(あっ、あっ、あっ、そんな、触り方、だめです、先輩、くすぐったくて、声、出ちゃう、やだ、やだ……!)


「今着替えてる。そのまま話せ」

「ええ。先程必要な書類の方が」


 すり……。


(あ……ゆっくりになった……。これなら、我慢、できそう……)


 すり、すり、すり、すり。


(うう……。頭、ぼうっとしてきた……)


 はふはふと呼吸しながら、何とか声を耐える。なでしこ先輩と生徒会の先輩の会話が長い間続けられる。


(も、もう、終わって……)


 すりすり、すりすり。


(はあ、やだ、これ、んんっ、へんな、かんじ、する、はぁ、はあ、やだ、はあ……)


「……なら、明日目を通しておく。今一度そっちで確認してくれ」

「分かりました」

「頼んだぞ」

「かしこまりましたー♡♡」


 嬉しそうに返事をした先輩の足音が聞こえる。どんどん遠ざかっていく。どんどん聞こえなくなっていく。――静かになる。


(………帰ったの、かな……?)


 なでしこ先輩の手も止まる。


(はぁ、と、止まった……)


 ふう、と安堵の息を吐くと、なでしこ先輩がにんまりと笑った。


「おや、まる? まだ余裕があるみたいだな?」


(えっ)


 すりすり!


「やぁああーーー!!」


 すりすりすりすり!


「あっ! あっ! だめっ! はげしっ! あっ! そんなの! ずるいれす! あっ! あっ! あっ! あっ! あっ!」


 すりすりすりすり!


「きゃははは! あはははは! ごめんなさい! まじでごめんなさい! あっはははは!!」

「笑ってるなんて反省してないようだな」

「ちがっ! だって、先輩が、すりすりしてくるから!」

「お前が悪いんだろ?」


 すりすり、すりすり。


「あははは! もう! もう! ぎゃははは!!」

「お前が、大好きであるはずの私に、興味ないなんて言うから」


 言っただろ。私が満足するまで甘やかしてくれるって。

 言っただろ。辱めてやるって。


「ひい、いい、むり、もうむり……!」

「ほら、まる。もっと鳴け」

「あっ」


 すり、すり、すり、すり。


「あ、あ、あ、あ……」

「まる、何か言いたいことは?」

「し、下着、あっ、か、返して……くださ……」

「『なでしこ先輩、大好き』は?」

「は? なで……なんですか?」


 すりすりすりすり。


「ひっ! んっ! やっ、ん!!」

「『なでしこ先輩、大好き』は?」

「にゃ、にゃでしこへんはい……!」


 すりすりされて、舌に力が入らない。でも、言わないと終わらない気がして、必死に舌を動かす。


「はいふひ……」

「は? 何言ってるか全くわからない」


 ――すりっ。


「ひにゃぁあっ!」

「もう一度」

「ひゃ、ひゃへひほ、へんはい!」

「何言ってるんだ?」


 すりすりすりすり!


「ふぃい……!」

「はい。もう一度」

「ひゃ、にゃ、にゃでひこ、へんぱい……」

「お前、今私に変態って言ったか?」


 すりすりすりすり!


「いってにゃい! いってにゃいれしゅぅ……!!」

「イってないだと? 変態はお前じゃないか」

「ぁんっ、やっ、んっ、あぁ、も、やめぇ……!」

「言え。早く。はっきりと。誓え」

「にゃ……にゃで、なで、しこ、しぇんぱ、い、ひゃ、じゃ、い、しゅき……!」

「はっきり言えと言ってるだろ」


 すり、すり、すり、すり!


「んっ、……んっ、……んっ、……んっ」

「もう一回」

「ぁ、にゃ、な、な……」

「ああ」

「な、で、し、こ、せ、ん、ぱ、い」

「ん」


「……だいすき……」


「よく言えました」


 なでしこ先輩の手が止まった。


「やれば出来るじゃないか。まる」


 ちゅう。頭にキスされる。


(ぐっ、ぐぅ、ううう!!)


 私は涙目で素早くパンツを穿く。


(恥ずかしかった!!)


 辱められた!!


(あんな風にすりすりされて! 私! もうお嫁に行けない!)


 ソファーで丸くなる。


「私! このまま消えて無くなります!!」

「何言ってるんだ。お前は」


 なでしこ先輩がブラジャーを手からぶら下げた。


「ほら、早く着替えて帰るぞ」

「無理です!」

「なんで」

「恥ずかしくて起きれません!!」

「知らないのか。猫は興奮したら動きが機敏になるんだぞ」

「こう……」


 私は言葉を詰まらせ、ぐっと力を入れて、叫んだ。


「私は! 人間でしゅ!!」

「はいはい」


 なでしこ先輩が呆れた声で返事して、丸くなる私の背中にぽんぽんと手を当てる。


「まる」

「嫌です。帰りません」

「じゃあ泊まるか?」

「泊まりません」

「我儘猫め」

「どうせ我儘だもん」


 むう、と頬を膨らませる。


「先輩なんて知りません。ふんだ!」

「子供か」

「子供です! 私は! まだまだぴちぴちの15歳です!」

「拗ねるな。お前が悪いんだぞ」

「先輩の恋愛事情なんて興味ないです!」

「……」


 ……。……。……。……。……。


(ん?)


 沈黙。


(うん?)


 静かになる。


(あれ?)


 ぱっと目を開ける。ぱちぱちと瞬きする。視界に、黒い髪の毛が垂れるのが映る。私の耳に、熱い吐息。低い声。


「いるよ」


 なでしこ先輩の声。


「好きな人、いるよ」


 きゅっ、と、抱きしめられる。


「世界で一番愛してる」


 ぎゅっと抱きしめられる。


「私のたった一人の王子様」


 その人だけしか、


「私は心を許さないと、決めている」


 きつく、抱きしめられる。


「誰にも言うなよ」


 私の頬に、なでしこ先輩がキスをした。


「……」


 私はぱちぱちと瞬きする。目玉を上に向ける。なでしこ先輩屈んでいた体を起こした。


「着替えろ」


 私の肩を叩く。


「まる」

「……はい」


 ゆっくりと起き上がる。


「……着替えます」

「ああ」

「……」

「……」

「……えっと……」


 私はブラジャーを受け取り、じろりとなでしこ先輩を見た。


「……あっち、向いててください……」

「……恥ずかしいのか?」

「あ……当たり前じゃないですか」


 シャツ越しから胸を隠すように抱くと、なでしこ先輩が呆れたようにため息を出して窓の方向に顔を向けた。その間に私はシャツのボタンを外して、ブラジャーをつける。


(……なんだろう)


 ――好きな人、いるよ。


(……先輩の声が……離れない)


 生徒会室に、夕日の灯りが零れる。



(*'ω'*)



 なでしこ先輩と並んで歩く。歩幅はばらばら。でもちゃんと並んで歩く。私が人とぶつかりそうになる。なでしこ先輩が私の肩を抱き寄せて避けた。私が電信柱にぶつかりそうになる。なでしこ先輩が私の手を引っ張って避けた。なでしこ先輩が歩く。私が歩く。……なんか、頭がぼうっとする。


(……。……何だろう)


 なんか、


(なんか、胸がもやもやする)


 ちらっとなでしこ先輩を見上げる。なでしこ先輩は私を見ない。


(何だろう)


 ――好きな人、いるよ。


(びっくりしたのかな。衝撃的だったのかな)


 放心状態ってやつだろうか。


(ポカンとしてる感じ)


 なでしこ先輩と私の足が動く。


(なんか、胸がしゅんってなってる)


 落ち込んでる、ではない。ショック、ではない。


(なんだろう)


 よくわからない。


(近いのは)


 そう、近いのは、


(……)


 なでしこ先輩をもう一度見上げる。なでしこ先輩は私を見ない。視線を落とす。


(……近いのは)


 寂しい、ような、感覚。


(友達に彼氏が出来た時に近い感じ)

(遊びを断られた時に近い感じ)


 寂しい。


(変なの)


 さっきまで全く感じてなかったのに。


(なでしこ先輩が急に言うからだ)


 私、多分驚いてるんだ。先輩にも好きな人がいたんだって。


(付き合ってるのかな?)


 王子様って言ってた。世界で一番愛してるって言ってた。


(大好きなんだ)


 そのまま結婚するのかな。


(結婚式、呼んでくれるかな?)


 ちらっと見る。なでしこ先輩は前だけ見てる。


(なでしこ先輩のウエディングドレス、綺麗なんだろうな)


 楽しみだな。


(……)


 私は足を止めた。


「なでしこ先輩」


 なでしこ先輩が足を止めた。


「ん?」


 やっと私に振り向く。


「どうした?」

「あの」


 どうしてだろう。なんでだろう。


(多分)


 私、ママっ子だから、きっと甘えん坊なんだ。


(そうだ)


 だから、甘えたいんだ。


「なでしこ先輩」


 なでしこ先輩を見上げる。


「……手、握ってもいいですか……?」


 なでしこ先輩が黙る。私はきょとんとする。なでしこ先輩が手を差し出した。


「いいよ」


 私は差し出された手を見下ろした。


「……わーい」


 素直にその手を握る。握り締めると手が繋がれる。


「あ、これ、恋人繋ぎですね」


 なでしこ先輩と私の足が動き出す。一緒に歩く。


「なでしこ先輩、今晩のご飯は何ですか?」


 手を繋いだら、寂しかった穴が埋められた気がした。もやもやしてた気分が元に戻る。なでしこ先輩の細い指が、私の丸い指に絡まる。


「煮物」

「わあい。なでしこ先輩の煮物、好きです」

「煮魚もある」

「あ、いいですね。魚を食べたら頭良くなるんですよ」

「お前はもう少し勉強しろ」

「いいじゃないですか。テストも無事終わった事ですし」


 手を繋ぐと、いつも通りに戻った。


「なでしこ先輩、なんか雲行きが怪しいですよ。明日雨ですかね?」

「天気予報見てないのか。明日は雨だ」

「え、私、低気圧弱いんです。嫌だなあ。頭痛くなっちゃう」

「今日は薬を飲んで早めに寝ろ」

「薬無いです」

「鎮痛剤。あれに頭痛止めの作用もあるから」

「そうなんですか?」

「まる、帰ったら勉強だ」

「嫌です!」

「指導してやる」

「嫌です!!」


 手を握り締める。なでしこ先輩は私に付き合う。断ってもいいはずなのに、手を握ってくれる。


(あれ)


 見下ろせば、ぎゅっと手が握られてる。


(あ、そうか)


 私ははっとした。


(分かった)


 気付いた。


(寂しかった原因)


 私、分かっちゃった。


(私)



 なでしこ先輩のことが好きなんだ。



 年上。先輩。『お姉ちゃん』。

 そうだ。……そうだ、私は……。


 ――なでしこ先輩を、お姉ちゃんだと思ってるんだ!!


(お姉ちゃん、欲しかったもんなあ……)


 納 得 し た ! !


「なでしこ先輩」


 暗雲が晴れた心で、手をぎゅっと握って、私はにっこりと微笑む。


「私、応援しますね!」

「……あ?」


 なでしこ先輩が眉をひそめて、私を見下ろした。

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