第5話 お姫様と王子様

――泣き声が聞こえて、僕は走った。


「ぐすん! ぐすん!」


 鼻をすする音を聞いて、僕は走る。走る先にはお姫様。僕は汗も気にしないで、お姫様に駆け寄った。


「なっちゃん!」


 僕はなっちゃんの顔を覗き込む。


「どうしたの? なっちゃん。なんで泣いてるの?」

「ふええええ……!」

「なっちゃん、僕が来たからもう大丈夫だよ。どうしたの?」

「あのね、あのね……」


 なっちゃんが目を潤ませて、僕に顔を上げた。


「かちゅーしゃ……、取られちゃった……!」

「カチューシャ?」


 僕は笑ってみせる。


「それはもしかして、この可愛いカチューシャの事かな?」

「あ」


 なっちゃんが目を見開いた。僕は笑った。


「たける達でしょ。僕、たける達から取り返したんだ!」

「わあ……!」

「なっちゃん、もう泣かないで。ほら、僕がつけてあげる!」


 僕はなっちゃんの頭にカチューシャをつけてあげる。ティアラをつけるように、そっと、優しくつければ、なっちゃんはお姫様のように輝く。


「綺麗だよ。なっちゃん」

「ふふっ!」

「なっちゃん、向こう行って遊ぼう!」

「うん!」


 僕はなっちゃんの手を握り締める。なっちゃんの手はとても温かい。


 お姫様。


 僕の可愛いお姫様。

 僕の一番のお姫様。

 僕の憧れのお姫様。


「この教室でぇー、一緒に、遊ぶお友達のー」


 保育園の先生が、俯いてもじもじするお姫様を皆に紹介した。


「みんなぁー、仲良くしてあげてねぇー!」


 とっても綺麗なお姫様。

 とっても可愛いお姫様。

 絵本から飛び出てきたお姫様。

 一目見た時に、どんな玩具よりも胸が高鳴った。

 僕は真っ先にお姫様に近づいた。


「お名前なんていうのー?」

「な」


 その名前がどうしても言いづらくて、


「なっちゃん」


 僕はそう呼ぶことにした。


「なっちゃん、遊ぼう」

「なっちゃん、おままごとしよう」

「なっちゃんがお姫様ね」

「僕は王子様」


 僕はなっちゃんの王子様になりたかった。だって、王子様はいつだってお姫様の笑顔を見られるから。

 悪の手からお姫様を救い出すのはいつだって王子様だ。

 お姫様が最後に笑いかけるのはいつだって王子様だ。

 王子様になれば、なっちゃんの笑顔が見られる。

 だから、なっちゃんの王子様になりたかった。


「なっちゃん」

「なぁに?」


 いつでもべったりくっついた。


「なっちゃん」

「うん。なぁに?」


 なっちゃんは一つ年上だったけど、小さな保育園は教室を一つにしていたから。


「なっちゃん」

「なーに?」


 なっちゃんはいつも笑ってくれた。それが嬉しかった。なっちゃんは美人さんで、お姫様だから、男の子は構ってほしくて、いつもなっちゃんにちょっかい出してた。


「やーい!」

「ふえええん!」

「やめろって! たける! そういうことしてたら、サンタさん来なくなるんだかんな! 今年のプレゼントなくたって、知らないかんな! 怒ったかんな! 許さないかんな! 橋本かんn」


 何かがある度に、僕はなっちゃんを喜ばせた。


「ほら、なっちゃん、取り返してきたよ」

「ありがとお」

「なっちゃん、これあげる」

「わあ! 可愛いお人形さん!」

「なっちゃん、お菓子食べる?」

「食べる!」

「なっちゃん」

「うふふ」

「なっちゃん」

「なーに?」

「なっちゃん、大好き」

「私も大好き」


 手を握り合う。


「なっちゃん」


 なっちゃんが僕を見つめる。それが嬉しかった。


「僕ね、なっちゃんの王子様になるんだ!」

「王子様になってくれるの?」

「うん!」

「うふふ! じゃあ、王子様、私をお城まで連れて行ってくださる?」

「もちろんです! お姫様!」


 手を握って、おままごと。


「なっちゃん」

「なーに?」

「僕のこと好き?」

「うん。好き」

「えへへ! 両思いだね!」


 玩具を広げて、おままごと。


「ほらほらなっちゃん! お片付けしてる間にお風呂入りなさい!」

「うふふ! はーい!」

「明日はお仕事に行って、稼いでこなくちゃ! なっちゃん! 僕の分のお弁当作ってね!」

「はぁーい!」


 二人でいつでも、おままごと。


「ねえ」


 なっちゃんが見つめてきた。


「好き」


 なっちゃんが頬を赤らめていた。


「好き」


 僕の手を握った。


「好きなの」


 きゅっと、握った。


「好き」


 なっちゃんが笑う。


「あいしてる」

「僕も、大好き!」


 僕は声を張り上げる。


「なっちゃんのこと、あいすてりゅ!」


 肝心なところで噛んだ。


「あいしてる!」


 言い直す。


「なっちゃん、大好き!」

「じゃあ、結婚して」

「うん! いいよ!」

「じゃあ、ちゅーして」

「ん!」


 僕はなっちゃんに顔を押し付けた。なっちゃんが可愛い瞼を閉じた。ファーストキスはなっちゃんに捧げる。唇がくっついて、すぐに離れる。なっちゃんが僕を見つめた。


「もう一回して」

「ん!」


 僕はもう一回押し付ける。セカンドキス。


「もう一回して」

「ん!」


 僕はもう一回押し付ける。サードキス。


「もう一回して」

「ん!」


 僕は何度も唇を押し付ける。お姫様が求めるなら、何度でも。


「なっちゃん」

「なーに?」


 なっちゃんにくっついてると幸せだった。

 なっちゃんと一緒にいると幸せだった。

 なっちゃんと離れたくなかった。

 なっちゃんのことが大好きだった。


 そしたら、お兄ちゃんに言われた。


「お前、しらねーのぉ? 女同士で結婚は出来ないんだぞぉ。気持ち悪ぃーなー」


 僕はしゅんとして、なっちゃんの手を握り締めた。


「なっちゃん」

「なーに?」

「結婚、出来ないって」

「え?」

「女の子同士で、結婚、出来ないんだって。お兄ちゃんが言ってた」


 僕はなっちゃんの頭を撫でた。


「だから、僕、結婚出来ないや。ごめんね」

「だめ」


 なっちゃんが首を振った。


「やだ」

「でも、出来ないんだって」


 なっちゃんが首を振った。


「やだ!」

「ごめんね。なっちゃん」


 なっちゃんが涙を流した。


「やぁぁぁあああだぁぁぁああああああ!!」


 なっちゃんが全力で泣き出した。


「きぃいいやぁぁぁああ!!」

「なっちゃん、ごーめーん。ごーめーん。おーねーがーいー。なーかーなーいーでー」

「きやああああああああ!!」

「よぉしよぉし、泣ーかーなーいーでー」

「やぁぁああだぁぁぁああああ!!」

「ごーめーんーねぇー」

「やだぁぁああ!! うわあああ!!」


 僕はなでなでする。なっちゃんが泣いている。全力で泣いている。


(困ったなあ)


 僕は冷静になっちゃんの泣き顔を見ていた。


(どうしようかなあ)


 あ。そうだ。

 僕はひらめいて、なっちゃんの手を握り締めた。


「なっちゃん、じゃあ、僕、王子様辞めて、猫になるよ」

「きゃああああああああ!!」

「なっちゃん、猫ちゃん好きでしょう? 僕、王子様じゃなくて、なっちゃんの猫ちゃんになる。それなら、結婚しなくても、ずっと一緒に居られるよ」

「きやああああああああ!!」

「なっちゃんがご主人さまね。僕は猫ちゃんだから、ずううっと、なっちゃんの側にいるんだよ」


 なっちゃんが泣き止んだ。


「ずっと側にいるの?」

「うん! ずっといるよ!」

「本当?」

「うん! 猫ちゃんなら、ずっと側にいられるよ!」

「じゃあ、猫でいい」

「うん!」

「じゃあ、王子様じゃなくて、猫ちゃんね」

「ごろにゃん」

「うふふ!」

「にゃんにゃん」

「うふふふふふふ!」

「なっちゃんにゃーん」

「うふふふふふふふふふふふふふ!」


 なっちゃんが僕の頭を撫でた。


「私の猫ちゃん」


 なっちゃんが笑顔になった。


「じゃあ、猫ちゃんの名前つけないと!」


 なっちゃんが僕に名前をつけた。


「これで、ずっと一緒だよ」


 なっちゃんが笑ってくれたら幸せだった。なっちゃんが大好きだった。なっちゃんとずっと一緒にいたかった。でも、捨てたのはなっちゃん。僕は置いて行かれた。


 なっちゃんの、引っ越しが決まった。


「いやああああああああああああ!!」


 僕はなっちゃんに泣いてすがりついた。


「捨てないでぇぇえぇええ!!」

「よしよし」


 なっちゃんが僕の頭をぽんぽんと撫でる。


「元気でね」

「やああああだああああ!!」


 僕はなっちゃんに抱き着いて離れない。


「なっちゃあああん!!」

「ごーめーん。ごーめーん。おーねーがーいー。なーかーなーいーでー」

「やだああああああ!!」

「大丈夫だよ。大きくなったら、迎えにいくから」

「きぃいいやああああ!!」


 なっちゃんが僕を抱きしめる。


「よしよし」

「ふえええん! えええん! えええええん! やだぁああ!! すてないでぇー! なっちゃんのばかぁぁああ!!」

「捨てないよ」

「やだぁああ!! んーー! 僕も! なっちゃんと一緒にいくぅう!」

「一緒に来たら、ママとパパに会えなくなっちゃうよ?」

「やぁああだあぁああ!!」

「うーん」


 なっちゃんが困った顔をした。そんな顔させたかったわけじゃないけど、でも、それでなっちゃんが引っ越すのをやめてくれるなら、困らせてやろうと思って、大泣きした。


「びえええん!!!」

「大丈夫だよ」


 なっちゃんが僕の頭をずっと撫で続ける。


「絶対迎えに行くから」


 僕は首を振る。


「絶対だから」


 僕は首を振る。


「なっちゃぁあん……!」

「こっち向いて」

「ん」

「ちゅ」


 なっちゃんが僕にキスをした。


「ちゅ、ちゅ」


 キスをした。


「ちゅううう」


 しつこいくらいのキスをした。


「ね? 絶対、大人になったら迎えに行くから」


 そうだなあ。


「16歳になったらちゃんと、猫として拾ってあげる」


 それまで待ってて。


「ね? 約束!」

「んんんんん」


 僕は潤んだ瞳をなっちゃんに向ける。


「あだば……また、なででぐでる……?」

「うん!」


 なっちゃんが笑う。


「いっぱい、いっぱい撫でてあげる!」


 僕の頭をぽんぽんと撫でる。


「だから、ちょっと待ってて」


 16歳になるまで待ってて。


「じゃあね。良い子でいるのよ」


 なっちゃんが僕の手を握って、顔を近付けた。


「お別れのちゅーしよ」

「ん!」


 僕となっちゃんが最後のキスをした。なっちゃんがお爺ちゃんの車に乗り込んだ。窓から手を振ってくる。


「さよーならー」

「なっちゃあああああ!!」


 僕は鼻水を出して追いかける。


「なっちゃあああああ!!」


 足が躓いた。


「ひゃっ」


 泥の水溜まりに転ぶ。顔と服が泥だらけになる。後ろにいたママが盛大に手を叩いて爆笑した。携帯で写真撮影を始めやがった。


「きぃいいやああああ!!!」


 なっちゃんが泣き叫ぶ僕に向かって手を振る。


「まるぅー。さよーならぁー」

「なでじごぢゃぁぁああ!!」

「まるぅー。大人になったら、絶対また会えるからー!」

「なでじごぢゃあああああああ!!」

「16歳になってー、また会えたらー」


 次会えた時は、



「もう、絶対離さないから」



(*'ω'*)



「なっちゃー……」


 私はごろんと転がる。お布団から抜け出した。ころころ転がって、壁に激突。


「おっふ!」


 そこで目を開ける。


(あれ? なっちゃん!?)


 辺りを見回す。


「……」


 暗い和室。静かに針が動く時計。こんもりと膨らみのあるお布団。私が抜けた穴の空いたお布団。


(あれ? 今何時だろ?)


 私はごろごろごろんと転がって、またお布団に戻ってくる。穴が塞がれる。時計を見る。朝まではだいぶ時間がある。


「ふわあ」


 欠伸をする。


(眠い)


 私はお布団にもぐる。


(もうちょっと寝よう)


 ――もぞ。


(……トイレ)


 起き上がって、再び布団から抜け出そうとすると、手を掴まれた。


「ひゃ!」


 振り向くと、布団の中から伸びる白い手が、私の手首を掴んでいる。私の顔が青ざめる。


(ひいい! おばけだぁああ!!!)


 もぞ、と白い手が引っ張ってくる。


(ぎゃああ!! 幽霊の世界に連れて行かれるぅう!!)


 私は慌てて手を引っ張ると、その手が私の手首から手に移動し、強く握ってきた。


(ひい!)




「どこに行く」


 少し掠れた声。ぼんやりした声。はっとして、ちゃんと見下ろす。白い手。美しい形の細い手。女性らしい手。お布団の中から伸びて、私を掴んでいる。


(あ)


 これ、おばけじゃない。


「なでしこ先輩」


 私は空いてる手でなでしこ先輩の手を掴む。


「トイレに行ってきます」


 なでしこ先輩の手をそっと退かす。


「起こしてすみません」

「……」

「すぐに戻ります」


 私は暗闇の中で立ち上がり、そそくさと和室から出てトイレに向かう。電気をつければ、照明の明るさに顔をしかめる。


(眩しい……)


 用を足して水を流し、きちんと手を洗ってタオルで拭いて、また暗い和室に戻ってくる。


(ああ、お布団、お布団)


 私はお布団に潜る。


(お布団大好き!)


 お布団の心地よさを堪能していると、もぞりと、影が動く。


(ぷぇ?)


 後ろから抱きしめられる。


(ひゃ)


 細い手が、私を捕まえる。


(あ)


 抱き寄せられる。


(あ)


 なでしこ先輩が、ぎゅっとくっついてくる。


「……」


 私の背中に、なでしこ先輩の胸が当たる。足が絡まる。もう逃げられない。


(わー。なでしこ先輩の抱き枕状態だー)


 私は大人しくじっとする。なでしこ先輩の手が私のお腹に置かれ、なでなでと撫でてくる。


(うはっ)


 優しい手。


(なでしこ先輩のなでなで、好き。なでしこだけに、なでなで)


 言葉に出したら怒られそう。


(黙ってよ)


 なでしこ先輩が私を抱きしめて、そのまま動かない。私もなでしこ先輩に抱きしめられて、そのまま動かない。なでしこ先輩の吐息を感じる。なでしこ先輩の呼吸を感じる。なでしこ先輩の手のぬくもりを感じる。


(あ、そういえば)


 私はそこで、ようやく思い出す。


(体操着、どこにやったんだろう?)


 自分の姿を見れば、きちんとパジャマ姿で、中はキャミソールとパンツ。もう当分Tバックは穿かなくていい。


(……着せてくれたのかな?)


 だとしたら、いやあ、有難い。


(なでしこ先輩、こういうところお優しいんだよなー)

(ずっと優しかったらいいのに)

(あー。怖かったなー)


 目隠しされて、体操着とブルマ着せられて、下着はTバックだけで、何も見えない状態で体の色んなところ触られて、くすぐられて、いやあ、ちょっと、うん。かなり怖かった。思わず泣いちゃったし。


(なでしこ先輩もきっと驚いたよなー。私がパニックになって大泣きしちゃったもんだから)


 なでしこ先輩の手がぽんぽんと私のお腹を撫でる。私はもぞりと動く。なでしこ先輩が私の体をぎゅっと締め付けて、私は潰される。


「うぶっ」

「寝なさい」

「トイレに行って、目が冴えちゃいました」


 もぞもぞと身じろいで後ろに寝返る。暗闇の中、なでしこ先輩が私を真っ直ぐ見つめている。黄色い目を光らせる猫みたいに、じっと、見つめてくる。


(あ、なでしこ先輩の目、綺麗……)


 日本人特有の黒い目。


(綺麗……)


 ぼうっと見つめる。なでしこ先輩が私を見つめる。なでしこ先輩の手が伸びた。私の頬に触れた。


「ん」


 優しく、なぞられる。


「ん、ふふっ」


 くすぐったくて、笑ってしまう。


「なんですか、先輩」

「……」


 なでしこ先輩の指が私の頬をなぞる。つ、と下に向かってなぞられる。


「ふふ、んふふっ」


 顎の下に指が向かう。


「くすぐったいですっ」


 顎の下をこちょこちょ、撫でられる。


「ふふっ、なでしこ先輩、駄目です」


 猫の首をくすぐるように、なでしこ先輩が私にしてくる。先輩、私、人間ですよ。猫みたいにごろごろ言いませんよ。


(うふふ!)


 くすぐったくて、くすくす笑っていると、なでしこ先輩が少しだけ目元を緩ませる。それでも変わらず口角を下げたまま、黙って私を見つめる。


「ふふ。先輩、くすぐったいです……! うふふ!」


 なでしこ先輩の手が、顎の下から、また頬に移った。


「なでしこ先輩?」


 そっと、なでしこ先輩の掌が私の頬にくっつく。指が優しく私の頬の肌を撫でる。


「ふふっ」


 私は笑う。


「なでしこ先輩」

「まる」


 なでしこ先輩が体を動かした。


「じっとして」


 なでしこ先輩の唇が、私の額にくっついた。


 ――むに。


(ふぁっ)


 これは、お休みのキスというやつですかな?


(先輩の唇、やぁーらかぁーい!)


 にやにやしてなでしこ先輩を見ると、なでしこ先輩の手がまた私の頬を撫でる。


「……えらく機嫌が良いな」

「だって、なでしこ先輩、今は優しいんですもん」


 私は撫でてくれる手に、素直に甘える。


「先輩の優しい手なら怖くないので、大歓迎です」


 そういえば、なでしこ先輩は黒いですけど、その手はいつも優しいですよね。


「いつも、優しく撫でてくれますよね」


 えへへ。


「だからですかね。昔、仲良しだったお友達の事、思い出しました」


 なでしこ先輩の手の指が、ぴくりと動いた。


「……友達?」

「はい」


 私はなでしこ先輩と向かい合って、話し出す。


「私の身の上話になってしまうんですけど」


 私、大好きな子がいたんです。すっごく、すっごく可愛い女の子。


「一目見た時に、私、あまりの可愛さに、その子の事、どこかの国のお姫様なんだと思って、感動しちゃって、すぐにお友達になっちゃったんですよ」


 優しくて、可愛くて、泣き虫で、目を離せなくて、とにかく守ってあげたくなる女の子で、


「でも、残念な事に、名前は覚えてないんです。私、本当に小さかったので。その子の顔もあまり覚えてません」


 覚えてる事と言えば、


「毎日その子と一緒にいて」

「毎日その子の側に居て」

「毎日その子にべったりで」

「毎日その子と遊んでて」


 名前は覚えてないんですけど、


「私、なっちゃんって呼んでたんです。その子の事」


 な、がついた名前だったから。


「なっちゃんって、呼んで、一緒に遊んでました」


 なでしこ先輩が黙って私を見つめる。


「当時は、私がおままごとで遊ぶのが大好きで、よく、なっちゃんに付き合ってもらってました」


 ああ、そうそう。


「私、その頃、12チャンネルのアニメに影響されて、僕っ子だったんですよ。自分を僕って呼ぶのが、なんか、かっこよくて」

「だから、おままごとでは、私、自分を僕って呼ぶママでした。で、なっちゃんもママなんです」

「おかしいですよね。でも、ママが二人いて、私は稼ぎと片付け担当のママで、なっちゃんは、家事全般をしてくれるママ」

「あと、お姫様と王子様ごっこもよくやりました」

「私、なっちゃんの王子様になりたかったんです」

「だって、なっちゃんがお姫様だったから」

「お姫様が笑顔を向けるのって、いつだって王子様じゃないですか。だから、王子様になったら、なっちゃんがいつまでも笑ってくれるのかなって、安易に考えて」

「それくらい、私、なっちゃんの事が大好きでした。もう、本当に、とにかく大好きだったんです。ずっと一緒にいたくて、離れたくなくて、べったりくっついてて、まるで金魚の糞ですよ。全く離れないんです」

「でも、なっちゃんはとても優しい子だったので、こんな私に付き合ってくれてました」


 私がなっちゃんって呼んだら、なーに? って、にこにこしながら訊き返してくれるんです。


「でも、ある日、なっちゃんのお家で、引越しが決まっちゃったんです。それで、離れ離れになって、それっきりで」


 すごいんですよ。なっちゃん。


「カリフォルニアに行ったんです。確か」


 後からうちのお母さんから聞いたんですけど、なっちゃんって、相当なお金持ちのお嬢様だったらしくて、私がいた保育園には、お家の事情で期間限定でいただけだったらしいんです。


「その間、何も知らない子供の私が、なっちゃんと毎日遊んでたって」


 いやー。恐ろしいですねー。


「なっちゃんは空想のお姫様じゃなくて、本物のお嬢様だったんですよ」


 今考えると恐れ多い。


「でも、今考えても」


 私は思い出す。


「優しかったな。なっちゃん」


 私は思い出す。


「沢山、頭撫でてくれました」


 私は思い出す。


「優しいお姉ちゃんでした」


 私は笑った。


「ふふっ。なんか、懐かしくなっちゃいました。なっちゃん元気ですかねぇ。今、どこで何してるんだろう?」


 なでしこ先輩が、私の頭を優しく撫でた。


「私の一つ上なので、なでしこ先輩と同い年ですよ。ふふっ。きっと、先輩くらい美人になってるんだろうなぁ」


 なでしこ先輩が、私の頭を優しく優しく撫でた。


「……」


 ふわふわしてくる。


(先輩の手……。落ち着く……)


「まる」


 私の頭を撫でながら、なでしこ先輩が私に声をかける。


「新しい友達は、どうなんだ?」

「あ、そうなんですよー」


 私はふわふわしたまま、にやける。


「すごく馬が合う子がいて」

「お前と気が合うなんて、変わってる娘が紛れ込んでたな」

「そうなんですよー。本当に、運が良かったです」


 くすくす笑う。


「お庭でお弁当食べながら、大好きな話題で盛り上がったんですよ」

「そうか」

「なでしこ先輩も、たまには外で食べてみてください。お花が綺麗だったんですよ。景色がきらきらしてて、春の風が吹いてて、気持ちよかったです」


 なでしこ先輩の手が私を優しく撫でてくる。


「学園って広いですね。あんなお庭もあったなんて」


 あ、そうだそうだ。


「なでしこ先輩って理事長先生のお孫さんなんですね。その子から聞きました。だから寮の最上階なんて住めるんですね」


 あ、そうだそうだ。


「私、頭悪いのに、特待生制度で受かっちゃったんですよ。だから、テストでいい点取らないと、退学になっちゃいます。勉強しないと」

「私が見るから、心配するな」

「え、先輩、見てくれるんですか?」

「ああ」

「あ、でも、私の頭の悪さ、甘く見ない方がいいですよ。本当に理解力ないんで……」

「私は生徒会長だ。出来ない事などない」

「先輩、生徒会長は関係ないと思います」


 なでしこ先輩の手が優しく私の肌をなぞった。


「ふふっ。そこ、くすぐったいです」


 身じろぐと、なでしこ先輩の口角が薄く上がる。


「ふふっ。やめてくださいよ」


 頬を軽くつねられる。


「やーあ」


 ふざけて笑うと、なでしこ先輩の手がもっと優しくなった気がした。


「ふふっ、なでしこ先輩……」


 喋り出す前に、なでしこ先輩が身を起こす。


(ふぁ)


 私の額にキスを落とす。


(ひゃっ)


 私の頬にキスを落とす。


(お、おうっ)


 私の瞼にキスを落とす。


(ふぉい!)


 顔中にキスをされる。


 ――ちゅ。ちゅ。ちゅ。ちゅ。


「な、なでしこ先輩」

「有難く思え」


 なでしこ先輩の鋭くても、優しい声が耳に聞こえる。


「私からのキスなんて、なかなか受け取れないんだぞ」


 上から優しく抱きしめられる。


「まる」


 優しく、締め付けられる。


「ごめん」


 頭をとんとん撫でられる。


「泣かせて悪かった」

「ああ」


 私の手がなでしこ先輩の背中をぽんぽん叩いた。


「でも、連絡を忘れた私がそもそも悪いんで、はい」

「月曜日から水曜日までのランチは、お前の友達と過ごせ」


 でも、


「木曜日から日曜日は、私と過ごせ。いいな?」

「なんですか。そのシフト制……」

「弁当も私が作る。それ以外を胃の中に入れるな」

「大丈夫ですよ。お昼くらいは売店で安いものを……」

「私の言う事が聞けないのか?」

「はーい」


 私は素直に従う。乗っかってくるなでしこ先輩の背中をとんとん叩く。


「なでしこ先輩、そろそろ潰れます」

「そうか」


 なでしこ先輩が上から抱きしめてくる。


「なでしこ先輩、私、潰れちゃいます」

「そうか」


 なでしこ先輩が退かない。


「なでしこ先輩」


 ――ちゅ。


「んっ」


 ちゅ、ちゅ。


「せんぱ」


 むちゅ。


「あの」


 むにゅ、ちゅ。


「ん」


 ちゅ。ちゅ。ちゅ。


「あ、なで……」


 なでしこ先輩が私の首に顔を埋めた。


「ん」


 ちゅ、むに、ちゅ。


「……あ……」


 右の手首が優しく押さえつけられる。


「ん……」


 左の手首が優しく押さえつけられる。


「……ふっ……」


 なでしこ先輩の唇が、私の首を小さく挟んだ。柔らかい唇が、はむはむと挟んで遊ぶように、繰り返してくる。


「ん、ん……ん……」


 はむ、はむ、はむ、はむ。


「ぁ……」


 絡み合う足も、押さえつけてくる手も、唇も、全部、優しくて、


(溶けちゃいそう……)


 このまま、とろとろに、お布団に吸い込まれていきそう。


(優しい)


 なでしこ先輩の背中に手を添える。


(優しい)


 ちゅ。


(優しい)


 耳裏にキスされる。


「あ」


 耳を咥えられる。


「ひゃっ」


 頬をキスされる。


「ふわぁ……」


 また首にキスされる。


「……ふぇ……」


 手が上に上がっていく。


(あ)


 手の指同士が、絡み合う。


(なでしこ先輩、指細いなあ)


 ぼうっと、絡んだ指を見つめる。


(綺麗な手)


 その手を握ってみる。


(えへへ……)


「まる」

「はい?」


 顔を向けると、――なでしこ先輩の唇が、私の唇にくっついた。


「んむ」


 唇が塞がれる。


(硬い)


 キスって硬い。私の知識が活かされる。


(レモンの味はしない)


 なでしこ先輩の味がする。


(あったかい)


 これだもん。ボーイとボーイは盛ってしまうだろう。


(ぽかぽかしてきた)


 瞼を下ろす。なでしこ先輩の唇を感じる。


(……長いな)


 そっと離れる。


(あ、離れた)


 瞼を上げる。なでしこ先輩が、じいっと、私を見下ろす。


(わお、美人)


 目が合う。でも、言葉は発しない。黙ったまま、なでしこ先輩が絡めた左手を離して、私の頬に手を添えた。


(ふへ)


 また顔が近付く。


(あ)


 また口にキス。


(あったかい)


 なでしこ先輩って、意外とスキンシップが好きですよね。


(あったかい)


 これは仲直りのキス?


(だったらいいな)


 なでしこ先輩と喧嘩したままなのは、嬉しくない。


(なでしこ先輩、私、もう怖くないですよ)


 きゅ、と手を握る。


(そんな事しなくても、怖くないですよ)


 だって、こんなにあったかい。


(もう、怖くないです)


 なでしこ先輩を見つめる。なでしこ先輩が見つめてくる。唇が離れる。こつんと、額同士がくっついた。


「……寝る」

「はい」


 なでしこ先輩が私の上から横に移動する。横から腕が伸びてくる。


「まる」


 正面から抱きしめられる。手は握られたまま。私の脇腹に手を置く。


「もっとこっちに来い」

「はい」


 少しだけ距離が近くなる。


「お前も寝なさい」

「はい」


 もぞもぞ、枕にすがりつく。


「なでしこ先輩、お休みなさい」

「お休み」


 なでしこ先輩が私を見つめる。私は早々に瞼を下ろす。すやぁ、と深呼吸する。暖かい温もりに包まれて、眠りにつく。



 なでしこの手が動く。優しく、まるの頭を撫でてみる。


「……まる」


 眠る彼女を見つめる。考えて、ため息をつく。まるの誕生日はまだしばらく先だ。


「まる」


 この子はまだ15歳だ。


「ねえ」


 手を優しく握りしめる。


「お城まで連れて行ってくれるんだろう?」


 自分の王子様を見つめる。


「まる」


 自分の猫を見つめる。


「もう、離さない」


 手を握りしめる。


「離せない」


 胸の鼓動を隠すように、優しく、まるの瞼にキスを落とした。

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