日
風呂から上がると母さんが目に見えて落ち込んでいるので、髪の毛を適当に乾かして、俺はまたスマホでゲームを始める。地面に潜って鉄鉱石を探す。この間島をぐるり一周するトロッコのレールを作ったから、今鉄資源が不足していた。血眼になって鉄鉱石を探しているときでも、ダイヤモンドをみつけると上がる。マイクラの世界でもダイヤモンドは貴重だった。日に何個も見つかるものではない。焦って取ろうとするあまり、不注意で溶岩に落としてロストしたこともある。地下に潜るときは、地上の数百倍慎重さが必要だ。洞窟の中にはときどき深い竪穴が開いていて、うっかり滑り落ちて死んだり、飛び降りたはいいものの、深さを見誤って瀕死の重傷を負ったり、ゲームの中だと俺は三百回くらい死んでいると思う。死んでもマイクラの中だとベッドの上で元通り。ラピスラズリで色づけた羊毛のベッドは藍色だ。底抜けに晴れた空の一番深いところの色。俺の一番好きな色。母さんは俺の隣でごろごろしている。猫みたいに床の上をぐるぐるしてる。さっき担任に啖呵切ったばっかで、気まずいんだと思う。母さんはどことなく浮ついた声で、いつもどおり、みたいを装って聞いた。俺はそのわざとらしさに、気がつかないふりをしておく。
「ねー、またマイクラ?」
「んー」
「良く飽きないねー」
「飽きない」
「悪い奴じゃねんだけどな」
母さんの元カレの中で一番まともな健太の言っていたことを思い出す。健太はときどき俺とキャッチボールをしてくれる。自分の子供が女の子だから、と言って、健太はこっそり俺をひいきする。俺は健太が嫌いじゃない。母さんと健太は高校の頃の同級生だというので、健太が俺の父親かもしれない、って疑ったこともあった。似てる似てないはあんまりわかんない。でも健太がお父さんだったら嫌だなって思う。会うたびいつも酒臭いから。健太からはよく、母さんの若いころの話を聞かされていた。
「昔っから喧嘩っ早いんだよ。教師殴って停学になったり」
まぁでも、碌なもんじゃねぇな、教師なんかなりたがる奴はさ。と健太は言う。
「結花はさ、あれでけっこう打たれ弱いとこあるからなぁ」
健太は俺に優しいので、健太の言うことはあんまり間違ってないんじゃないかって思う。母さんはもしかすると見た目より繊細で、でも繊細に見えない見た目のせいで大変なのかもしれない。
「そろそろ支度しないと遅刻じゃねーの」
俺は足元にまとわりつく母さんに言う。
「準備したくないなー、休んじゃおっかな」
俺は二人目の父さんのことを思い出す。母さんが出勤を渋るたびに、「大丈夫だよ、結花ちゃんならなんでもできる。俺がついてるし」と母さんの頭を撫でていた。殴られたり暴言を吐かれたりもしたけど、でも俺は運がいいほうだと思う。毎日ニュースで死んだ子供のことをやる。俺は死んでない。だから俺は強くて、運がいい。
「新しい靴欲しがってたじゃん」
「ジミーチュウのスワロフスキーとコラボした限定モデルね」
「お金があるとなんだってできるし、どこにだって行けるよ」
とスマホの画面から目を離さずに言うと、母さんはふと我に返ったように、のっそりと体を起こし、まじまじと俺の顔を見た。
「お前最近元旦那たちの面影を引き継いでる気がする」
「そうかな」
「そうだよ。優斗がそれと全く同じこと言ってたもん」
優斗、というのは母さんの二回目の結婚相手だった。元ホストで、口先だけのいい加減な奴だったから、俺はあんまり好きじゃない。
「ごめん」
「謝るんじゃねぇよ」
母さんはのそのそと着替えを探し始め、シャワーを浴びて髪のセットを始める。
「なんかムカついてきた」
長い爪で器用にヘアアイロンとコテを触る。母さんがムカついた、と言いながら触れた頬には優斗にアイロンを押し当てられたときの傷がまだ残っている。化粧下地で念入りに埋める様子を見ていると、ますます申し訳なくなる。いたたまれなくなって俺は言った。
「俺後ろやるから、母さんはメイクしといて」
母さんの後頭部の毛を束にまとめてクリップで留めていく。YouTubeで見て覚えた。ブロッキングと言うらしい。髪の毛をコテの先に挟み、くるくると巻いていく。巻く方向があって、けっこう難しい。指は火傷するし、髪が痛むって母さんに怒られるし、慣れるまでかなり大変だった。
「マイクラって儲かる?」
母さんが言った。
「みんなやってるもん。金になんないよ」
これも健太の請け売りだった。誰も見つけてないことをやるから、金になるんだ。と健太は言ってた。母さんはあんまり俺の返事を聞いてないようで、上の空で言った。
「ゲームの中でお金ってあるの」
「ないよ。エメラルドで交易できるけど」
「交易って?」
「村に人がいて、物々交換できるの」
「なんだ。そんなゲームよくやるよ」
母さんが言うので、俺は笑った。母さんは爆速でゲーム内通貨を溜めて、最強装備をそろえて無双したいタイプ。俺は時間をかけてコツコツ遊びたいタイプ。
「あーあ、何の努力もせずに富豪になりたいなー」
そしたらあんな店すぐ辞めれんのにな。と母さんは言う。俺は黙って母さんの髪を巻く。母さんは綺麗だと思う。人形みたいな顔をしてる。でも若さには勝てない、と母さんは言う。そうかな? と思うけど、怒られたらいやだから、言わない。
メイクをほどこす母さんの手先は、魔法みたいだ。どんどん顔が変わって、さいごには、漫画に出てきそうな顔になる。なんでこんなに変わるんだろう。って思うのと同時に、やっぱり母さんだな、綺麗だなって思う。鏡に向かって微笑んだ後に、俺の方を見る母さんの顔は今まで出会ったどんな女の人より綺麗だった。
「どう?」
「うん、いつもどおり」
きれい、でもだいじょうぶ、でもなく、いつもどおりって言われるのを母さんは一番好んだ。
「ありがと」
軽く手で髪型を整え、キラキラする飾りをつけ、首元に自分で買ったアレキサンドライトのネックレスをつける。母さんは誕生石とかパワーストーンを信じない。自分のことと、金のことだけ信じている。俺はそういう即物的な母さんのことが、疎ましくもあり、憎めなくもある。
身支度を整え終わったころには、母さんはもうすっかりいつも通りになっていた。俺は安心して、またゲームを始める。
「ねー、お金置いてくから適当になんか買って食べてね。ゲームばっかしてちゃだめだよ」
「わかったー」
スマホの画面から目を離さずに返事をする。
「ね、拓馬」
「んー」
「あのね」
「うん」
ヴ、ヴ、って俺の操作してるキャラクターが呻く。蜘蛛に襲われてるみたいだけどどこから攻撃されてるのかわからない。真っ暗な森の中だから。死角が多すぎる。
「大好きだよ」
なんか変だな、と思ってスマホ画面から顔をあげたときには、もう母さんの姿はなかった。テーブルの上に三万円が置いてあって、いつもより多いなって、思った。俺は持っていたたいまつを真っ暗な森の中に設置し続ける。暗い場所がなくなるまで、森の中を照らし続ける。たいまつを設置する前から明るい場所には近づいてはいけない。それはきっとマグマの明かりだから。落ちたらまた死んでしまう。死んだらまた、藍色のベッドの上で目覚めることになる。
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