犬を殺さないで

 目が覚めるといつもこれが夢の続きならいいのに、と思う。でも夢は八時間で終わり、そのあとは現実が戻ってくる。せめてあと半時間は夢を見ていたかった。


 夢の中の時間は永遠に似ている。進みもするけど戻りもする。そして無限に回帰している。現実の時間も夢の時間と同じようならいいのに。

 目が覚めて布団から出て、母親のお下がりのスマホに手を伸ばす。マイクラを呼び出して昨日の続きを始める。長いこと学校には行っていなかった。洞窟を掘って地面を慣らして断崖を掘り階段を作り、地面を整えて居城をこしらえる。余った土や石で海を埋めて回廊を作った。長い回廊に定期的に並べられたたいまつ。外は雨が降っている。今日は雷雨だ。ゲームの中の話。

 ゲームの中の世界は夢の続きと似ていた。無限の広がりをもった回帰する時間。外と繋がらない独立した時間。孤独も退屈も気にならない。雷が鳴り響き、馬のいななきが聞こえる。

 このあいだ死んだときは、地下資源発掘中にうっかりマグマだまりに落ちてしまった。海底トンネルを掘っている間に水に埋もれて死んだこともある。暗い夜に海を見れば、天井が崩落したところをガラスで埋めているので、海の底にぼうっとトンネル内のたいまつの明かりが見える。夜中に海に飛び降りて、その明かりを眼下に泳いでいると、自分がいる場所がだんだんわからなくなる。そうやって放流して拠点を見失うこともあった。新しく流れ着いたところをまた開拓する。




 俺が学校に行かないことを母さんは咎めない。母さんは先のことはあんまり考えない。考えてもしようがないと思っているのだろう。俺はマイクラで真っ先に種を集めて畑を作った。動物を狩りつくして、食料が尽きることが怖かった。でも母さんがこのゲームを始めたら、たぶんエンカウントした動物を片っ端から殺して食べると思う。動物を種族ごとに落とし穴に落として集めている俺とは大違いだ。俺が抱えている不安を母さんは理解してくれない。目の前の肉がなくなったらどうしよう? これが最後の一頭だったら?

 母さんは十六の時に俺を産んだ。いつも夜の仕事をしていて、家にはめったにいない。夜は長くて、おなかが空いて、怖い。暗闇からいつも何かが飛び出して殺されてしまうような不安を抱えている。マイクラの世界は俺の考えている世界と少し似ていた。母さんは暗闇から急にモンスターがわいてでてくるわけない。と笑うのだけど、俺の頭の中ではそれは自然なことだった。


 小学校三年の時、はじめて理由なく学校を休んだ。母さんは何も言わなかった。俺は一日中スイッチで遊んでいた。一日休むとだめだった。翌朝も起きられなくて、ゲームをして過ごした。それから休みがちになって、六年の今、ほとんど学校に行けてない。


 俺が起きるのは大体十時か十一時くらい。母さんも同じころに起きてきて、二人でコンビニ弁当を食べる。俺はすっぴんの母さんが好きだけど、母さんはそのままだと決して外に出ない。昼間はだから、俺が買い物に行く。

「ゆでたまご食べる」

「うん」

 母さんはたまごを茹でたり、ささみを茹でたり、ブロッコリーを茹でたりして、冷蔵庫に入れておいてくれる。弁当が足りなければそれを食べる。買い物に行きたくないときは、ふたりで白飯を炊いて、混ぜご飯にしておにぎりを握る。

「あーあ」

 コンビニおにぎりをかじりながら、母さんがため息を吐く。

「どうしたの」

「学校行ってこないといけない」

 こういうとき、母さんは、お前のせいだ、とは決して言わない。

 ただ学校に行くのがだるい、という態度は隠さない。

「俺のせいだね」

「そうだけど。でもいいんだ」

「いいの?」

「いいよ」

 なにがいいのかはわからないけど、母さんはいつもこの調子だった。

「なんかさぁ」

「うん」

「私外に男いるんだけど」

「知ってる」

「子供がいるなら会わせろって言われて」

「え」

「くそだるいから別れた」

 母さんはいつもツナマヨを食べる。好きなら家でも作ればいいのに、家ではまるみやの混ぜ込みご飯を作る。それだけ。

「学校とは別れたくても別れらんねぇからね」

 母さんはそう言って爽健美茶のペットボトルを一口飲む。

「まぁお前は好きにしたらいいよ。学校行ってもいかなくても、」

 その次に続く言葉を俺はいつまでも待ってる。でも続く音は嚥下のときのこきゅこきゅいう響きだけ。

「今年の担任うぜぇんだよな」

 母さんはそう言ってぼさぼさと髪を掻き上げた。

 俺はこういう時、父さんがいたらどういう発言をするのだろう。と想像してみる。

「まじ合わねぇ」

 母さんはそう言ってまたペットボトルのお茶を煽る。家では酒も飲まないし、口調が十数年前から進化していない以外は、まじめな母親なのだけれども。もちろん外見からはそうは見えないし、そのことは母さんが一番よく知っている。


 翌日、夕方五時。母さんと担任が家に入ってきて、俺は慌ててゲームを切った。俺はそろそろ眠くなる時間だから、三者面談に耐えられるか自信がない。担任はずかずかと部屋に入ってくる。俺は部屋の隅で体育座りをしている。

「拓馬、元気か」

 担任は俺の顔を見て言った。野太い声だ。俺はこいつが苦手だ。

「外に出てんのか? 痩せてんじゃねぇか」

「もとから太らない体質です」

「成長期だろ、もっと肉食え」

 担任は溜まっていた授業プリントをどん、と床に置くと、くだらないはなしを少し続けて、それで、と体を前に傾けて切り出した。

「学校、いつごろ来れそうだ」

「いつごろって」

「みんな待ってるぞ」

 プリントをさりげなく机の上に差し出す。寄せ書きのようだった。

「はは」

 自分の口から、思わず乾いた笑いがもれる。

「二学期は体育大会とか、音楽祭とか、イベントもたくさんあるだろ」

「学校って」

 部屋の入り口でじっと俺らの会話を聞いていた母さんが呟いた。

「イベントがあるから行くもんなんですか」

「は?」

 担任が言う。

「イベントってなんか目標をおなじくしてがんばろうとか、生徒を楽しませるためにやるんであって、それを目的に行くものではなくないですか? うちの子はそういうのいいんで、別に。普通でいいんで。友達と仲良くとか、運動会楽しくとか、いつまでそんな幼稚園児みたいな子供だまし通用すると思ってるんですか?」

「おかあさん」

 俺は怖くなって、立ち上がって母さんを止めた。

「や、だって普通に考えてみろよ、運動会あるから来てねって、うちの子いくつだと思ってんですか? 来年中学入るんですよ」

「お母さん!」

 担任が少し声を荒げた。

「お言葉ですがね、お子さんが不登校なのはあなたにも原因があるんじゃないですか」

「あぁ?」

「昼夜逆転して、飯もろくに食べさせないで、あんたそれでも母親として胸張っていられるんですか」

「うるせぇなふざけんじゃねぇぞくそじじい」

「かあさん!」

 俺の声はほとんど悲鳴みたいで、でも母さんの耳には届いていないみたいだった。

「あんたが昼間の仕事をきちんとこなせてたら! 息子さんは不登校になんかなってないんじゃないですか、って言ってんだ俺は」

「昼間の仕事で子ども一人食わせていけるならあたしもとっくにお店辞めてるわ。税金で雇われてる身分で偉そうな口叩いてんじゃねぇぞ腐れ****」


 そのあとのことはあんまり覚えてない。風呂に入ってるときにふとドアが開いて、「ごめん」って小さな声が聞こえた気がする。俺は返事をしなかった。母さんが担任にキレるのは三年連続のことだった。不登校から抜け出せなくなったきっかけも、毎年学校ともめ続ける母さんを見るのが辛かったから、というのがある。

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