第14話
再び秋が訪れ、修学旅行の日がやってきた。行先は北海道、飛行機に乗るのも初めてだった。
「あと一週間遅ければ、紅葉のピークでしたね」
ガイドさんが言う。
僕の住む町では紅葉なんてまだまだだし、セーターすらまだあまり着ないのだけれども、北海道は亜寒帯性気候だとかで、もうかなり冷えこんできている。そんな話を聞きながら、はっと思い出した。
あの、マスターが言っていた、果てしなくどこまでも続くような紅葉、北海道で見たと言っていた紅葉。ほんの一年前のこと、しかしもう一年も前のこと。僕はちょうど、今その中にいるのだ。今見ているだけでも十分きれいに感じられるけれども、これはピークではないという。一体、最もきれい時期というのは、どんな紅葉を目にすることができるのか。
そもそも、あのときもしマスターに会っていなかったら、僕は今この場所にいたのだろうか。あのまま教室へ入ることを拒み、修学旅行に来れないばかりか、ことによると学校に行くことすら、続けられていたかどうか疑わしい。
僕の中の何かが変わったのは、あのライブの会場に居合わせたせいだ、とまで言うつもりはないけれど、でもやはりそうとしか言いようのない何かがあった。
べつに音楽をやりたいと思ったわけではないし、ああいう仲間がいたらいいな、と思ったわけでもない。敢えて言うなら、マスターの「長い話になる」という言葉が気になっているのかもしれない。そう、僕には嬉々として語れるような長い話なんてなかった。あるいは、よくよく探せばあるのかもしれないが、とっさに思いつくようなものは何もなかった。
このまま、何年経っても長々と語ることがないような大人になるのはなんだか味気ないな、とふと思ったのだ、おそらく。あのメンバーは、マスターばかりかみんな、何かしらの「長い話」と持っていそうだった。あの幼い、はじめ君でさえも。
観光地、自然がきれいな場所とは、つまり人里離れた場所、人間の生活圏から外れている場所だ。僕の街の近くにもあるのかもしれないけれども、その規模に、大きさに、ただただ圧倒されている。山が低くて、大地はどこまでも平らで広く、なんだか夢の中にでもいるようだった。
ほんの少しだけ垣間見た非日常的な世界、単純な感想だけれども、世界は広いな、と思う。世界にはこんなにたくさんの色があって、香りがあって、空気があることを肌で感じる。今まで、どれほどほんの少しのものしか、目に入っていなかったことか。自分が生活している半径三十キロにも満たないような円が、僕の世界だった。その中で、みみっちく嫌なことばかり探し出して、あれもない、これもないと言っていた。まあ、今は旅行先にいるから客観的に見えているというだけで、帰ればまた違った感想も出てくるのだろうけど。しかし、僕はなんと小さい枠組みの中で生きていたのか。
写真を撮ってみても、この美しさがそのまま残るとはとても思えないけれども、何回かシャッターを押してみた。マスターに見せたいと思った。
土産物屋がいくつも続く街中で、ふと、店頭に並べてあった外国製の小さいキーホルダーが目に入った。小さいお店で、焦がして茶色くした台の上に品物を並べている。あの喫茶店にあった看板を思い出させるような色で、原色の小物と茶色の組み合わせが、あの店を思い出させた。そのキーホルダーには小さな人形がついていて、人形の服は、マスター達がライブで来ていた服に、色合いが似ていた。
「これは、どこのものですか?」
「ああ、ペルーだったか、ボリビアだったか、どこかで買ってきたものだよ」
「もしかして、あのフォルクローレっていう音楽と何か関係あるんですか?」
「君、よく知ってるね。そういうこと」
「この店も、その、フォルクローレ関係の店なんですか?」
「そういうわけでもないんだな。旅行で行った先々で細々したものを仕入れて、少しずつ売っているんだよ。南米コーナーはこの一角だけだ。あとは、モロッコとか、ベトナムとか、まあ、とにかく色々あるからゆっくり見てってよ」
決められた集合時間まであと二十分足らずだ。全部をゆっくり見ようとしたら、とても間に合わない数の商品が並べてある。どれもこれも、今まで見たことのないようなものばかりだった。
「僕の家の近くには、こんなお店はないです」
「それは、観光地でなければなかなか成り立たないだろう、こんな店。日常的には必要ないものばかり売ってるんだから。ちょっと気が緩んだ奴でなきゃ買っていかなねーだろうよ」
お店のおじさんは、どことなくマスターに雰囲気が似ているような気がした。
「じゃあ、今気が緩んでるんで、これ下さい」
と、最初に目をつけていたキーホルダーを差し出す。
おじさんは、笑いながら包んでくれた。
「修学旅行かい? いいねえ、学生さんは、お金も時間もあって」
時間はともかく、高校生にお金なんてあるわけないじゃないか、という言葉をぐっとこらえる。
「まあ、今だけですからね」
「そうだろうな」
そろそろ時間なんで、と言って切り上げた。
悪い人ではなさそうだったけれども、あれ以上いたら絡まれたかもしれない。もしくは、悪気はなくて、ただ思ったことをそのまま言っただけだったのかもしれない。
でも、ああいう人はなんだか怖い。突然傷つくよなことを言い出しそうで、少しでも危険を察すると、つい逃げ出してしまうのだった。もう少し世渡りが上手くなるまで、ある程度は仕方のないことなのだろうか。
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