第12話

「小坂君と知り合いなのか?」

 と、成吉先生が怪訝そうな面持ちでマスターに尋ねる。

「見りゃわかるだろう?」

 マスターはうるさそうに答える。いつものことなのか、先生はそれ以上何もきかない。

「兄貴、何か言うことねえのかよ」

 マスターが言うと、先生はちょっと困った顔で僕を見る。

「演奏、どうだったかな?」

 遅刻の連絡がなかったとか、来たのなら担任に一言連絡が欲しかったとか、そういうことを言うのかと思ったら、いきなりこれである。マスターも、おや? と思ったのか、僕達は顔を見合わせて笑ってしまった。

「うーん、やはり似合わないか、こんな衣装、こんな楽器……」

「いえ、そんなことないです。すごくよかったです」

 それを訊くと、先生は褒められた生徒のように顔を輝かせた。意外と子供っぽいんだなと思う。マスターもそんなお兄さんを見て苦笑いしていた。

 大人達だけで楽しそうにしていると思ったのか、子供もこちらに寄ってくる。

「どうだった? 楽しかった? 緊張した?」

 聞いてから、話しかけてよかったものかどうか、と思ったが、子供はその場でぴょんぴょん飛び跳ねて、楽しかった様子を体で表現していた。

「大したもんだよ。お前、やっぱ才能あるんだな」

 と言って、マスターは子供の頭を撫でた。

「どの曲がよかった?」

「アンコールの前にやってた、最後の曲が一番好きです。セレステって言ってましたっけ。さっき喫茶店でもかかっていましたよね」

「ああ、セレステか。俺もけっこう好きなんだ」

 マスターは満足げに頷いた。

「なんで南米の音楽が好きなんですか?」

 マスターはちょっとの間考えていたが、

「まあ、流れで、かな」

とはぐらかされてしまった。

「長い話になるだろうから、それでもよかったら今度時間がある時にでも、もう一度訊いてくれ」

「はい。また演奏会するときは、呼んで下さい」

「ああ、兄貴に伝言するからよ。よろしくな」

「はい」

 やがて吹奏楽部の演奏が始まり、名残惜しくも音楽室を後にした。

「ホームルームは三時からだから」

 別れ際に、成吉先生はようやく先生らしい発言をした。

 大した荷物はなかったのだが、駐車場まで小物を一緒に運ぶ。

「そういえば、あんた…小坂君だったっけ? なんでうちの店に来てくれたんだ? 学校からそんなに近いわけじゃないだろう?」

 僕は鞄から今朝もらったばかりの情報誌を取り出した。今となっては、これをもらったのが一年くらい前のように感じられる。

「え? なんだ、そんなん見て来るヤツ本当にいるんだな。どうしても載せる店がないからお願いします、とか言われて超適当に書いたのによ」

「やる気がなさすぎて、逆に興味を惹かれたというか…」

 マスターは今日見た限りで、一番大きな声を出して笑った。 

 去って行く車に手を振り、こうして誰かに手を振ったのはどれくらいぶりだろうと思った。

 見上げてみると、そこには雲一つない秋の空が広がっている。

高校の近くには高い建物がないので、他の場所から見上げるよりも空が広く見える。相変わらず、吸い込まれてしまいそうな青さだった。だからこそ、こうして地面に足をつけてしっかり踏ん張っていないと、連れて行かれてしまうのかもしれない。

 空に昇って行く、セレステのメロディを思い出す。多分明日になればもうこの旋律も忘れてしまっていることだろう。でもこれからは、このような空を見たら、今日のことを思い出すんだろうなと思った。そしていつか、今日のことを全く忘れてしまっても、あの音楽は僕の中でかすかに響き続けることになりそうだ、とも。

 気が付くと、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。金木犀? と思ってあたりを見渡すと、ちょっと離れた場所に、濃い緑の見慣れた木があった。橙色に少々黄色を混ぜた、あの鮮やかな色が点々と付いている。もう満開を過ぎているようだったが、今まで気づいていなかった。

 なんで気づかなかったんだろう。もう少し遅くなっていたら、今年は見過ごしてしまうところだった。

 時計を見ると、二時五十三分になっていた。三時からのホームルーム、席はないけれど、とりあえず行ってみることにした。

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