31. 姉さんのこと

 俺が年齢にあるまじき醜態を晒して数時間。山川盛護王都冒険編も終わり、今日はもう寝るかどうかの話し合いが始まった。


「姉さんはもう寝た方がいいよな。眠そうだし」

「うぅ…ふわぁぁう…あー、ほんとに眠いかも。お父さんお母さん、あとは明日に回してもらってもいい?」

「いいぞ」

「いいわよー。疲れてるんだからさっさと寝ちゃいなさい」

「うー、ありがとう。じゃあ、はいっ」


 目もとがとろんとした状態で、姉が両手を差し出してくる。隣に座っているため、肘を折ってちんまりと手のひらを見せてくる形だ。

 あっさりと話が終わったのはいいとして、この手はなんだ。わからないわけではない。わかりたくないだけ。

 無言で姉と姉の手を交互に見つめていると、目はとろんとしたまま眉を寄せて不満を表してきた。


「盛護ちゃーん。お姉ちゃん、お部屋まで連れて行ってほしいなぁ」


 予想通りのことを言われ、姉とは逆隣に座るラミィを見る。苦笑して頷いてくれたので、俺も頬を緩めた。


「仕方ない姉さんだなぁ」

「えへへ…盛護ちゃん、ありがとうねー」


 しっかりと姉を抱きかかえ、リビングを出て階段を上がる。

 二階は階段上がってすぐ左横にトイレがあり、真っ直ぐ廊下が続いている。階段上から見て、左に一部屋、右に二部屋、奥に一部屋の四部屋ある。部屋割は左が姉さん、右手前が俺、右奥が弟の泰毅たいき。奥がベランダ物干し竿付きの部屋となっていて、フリースペースだ。

 俺の記憶が正しければ姉さんの部屋は左側なので、そちらのドアノブを捻って部屋に入った。


「…ふむ」


 部屋の中は暗く、いったん明かりをつけてカーテンを閉める。

 目に映るのはどこか見覚えのある景色。水色を基調とした落ち着いた色合いの部屋。カーテン、絨毯、ベッドのシーツ、枕カバーと。色の濃さは違えど綺麗な青色で統一されている。

 部屋に入って右奥にベッドがあり、近くにはちんまりとテーブルに座布団。壁には薄型のミニテレビが置いてある。

 テーブルと座布団は昔からあったと思う。テレビは知らない。あんな薄いものは十年前に存在していなかったから。


「よ…っと、姉さん、電気は消していった方がいいよな」


 姉の柔らかな肢体を優しくベッドに横たえて、側にしゃがんで話しかける。仰向けから俺の方に顔を向けて眠たげに微笑む姉さん。かなりお疲れの様子だ。


「うん…。あのね、盛護ちゃん…」

「うん?なんだ?」


 実際は眠いだけなので弱っているわけでもないが、弱っているような雰囲気の人が相手だとどうしても優しくしたくなる。


「…帰ってきてくれてありがとう。私ね…ずっとずっと…ずーっと……」


 そのまま言葉が切れて、小さく寝息が聞こえてくるようになった。

 寝る前で意識がぼんやりしていたからか、姉さんの目からこぼれ落ちるように一滴の涙が流れた。抑えていた感情が表に出てきたのだと思うと、少し胸が痛む。


「…姉さん、ありがとう」


 小声でお礼を伝える。風邪を引かないように毛布をかけて、電気を消して部屋を出る。階段を下りる前に立ち止まり目を閉じた。思い浮かべるのは姉のこと。

 姉さんは、姉さんは待っていたのだろうか。きっと、心の奥底では諦めていたことだろう。十年だ。一年程度ならまだ希望を持てる。けれど、十年となれば…俺には無理だ。もう期待もできず、本心では諦めてしまって、それでも言葉にしてしまうと本当に会えなくなってしまうような気がするから。だから気丈に自身に言い聞かせて待っていたのだと思う。

 今さっきようやく気が抜けて、そうしたら自然に涙が出てしまったのだ。

 全部俺の想像だ。だけど、姉さんなら。俺の大好きな姉さんならきっとそうなんだろう。ごめん、心配かけた、そんな言葉は言えない。姉さんだって聞きたくないはず。だから"ありがとう"。これでいいんだ。

 "ごめん"より"ありがとう"なんて、どこかの歌詞にでもありそうだ。なんてことを考えながら、目を開けてリビングに戻っていった。



 リビングルームにて。我らがエステリアのお姫様は現代テレビというものをご堪能遊ばれていた。


「母さん、姉さんを寝かしつけてきたよ」

「そう?ありがとう。あの子、今日もすごく疲れていたはずだからすぐ寝ちゃったでしょ?」

「うん。…姉さん仕事だったんだよな?」

「そうね。朝から撮影で、あなたのことを聞いて急いで帰ってきたのよ」

「撮影か」


 椅子に座りながら母親と話をする。

 …撮影?


「いや撮影って?」


 あやうく普通に聞き逃すところだった。母さんが普通に言ってくるから俺も普通に返してしまった。


「盛護さん盛護さん!地球のテレビは面白いですね!エステラにはこんな娯楽ありませんでしたし、すごいです!」


 後ろから愛おしい声が聞こえたので振り返る。

 キッチン近くの椅子に座っていた俺から斜め後ろにテレビやソファーがあるので、ラミィとの距離はそれなりに離れている。それでもソファーからこちらを見る恋人のキラキラした瞳はよく目立った。いつも以上に琥珀色の瞳が輝いている。綺麗だ。


「あぁ、ラミィ。綺麗だ」

「ん?すみません、なんて言いました?」


 ぽやっとした顔で聞き返してきた。

 ラミィは声が大きく、俺は小さい。距離が距離なので聞こえなかったらしい。まあつい言葉が漏れてしまっただけなので聞かれなくてよかったかもしれない。


「なんでもないよ。楽しんでくれているようで何よりだ」


 今度は声を大きくして伝えた。とびっきりの笑顔を見せて頷き、振り返ってテレビを見始めるお姫様。本当にお気に召したようだ。

 異世界エストリアル全体としてはわからないが、少なくともエステラには日本のテレビのような機器はなかった。日本のテレビは情報通信用に作られ、多くの娯楽を提供している。

 魔法が発達した世界でも似たようなものが登場しそうなものだが、エステラには存在しなかった。なぜなら、個々人が魔法を使って現地の映像を見られたからである。わざわざ通信用の道具は必要なく、情報は映像、音声、文字それぞれの媒体で国の共有スペースに置かれるのでそれを覗く形となっていた。また、娯楽が発達しなかったのは魔法使いの多くが魔法の研鑽けんさんに時間を注いでいたというのも理由の一つであろう。


「しかしラミィは可愛いなぁ」

「そうねー。まさか盛護にあんな可愛い子ができるなんて思いもしなかったわ」


 ぽつりとこぼした言葉に母から言葉が返ってきた。

 振り向けば柔らかく微笑んでいる母さん。椅子に座ってのんびりとしている。

 ラミィはテレビでわいわい。姉さんはベッドでぐうぐう。母さんは椅子でのんびり。俺も椅子でのんびり。そして父さんはというと。


「ラミシィスちゃん、君は盛護のどこに惚れたんだ?」

「え?うふふ、突然ですね」

「いや…すまない。娘の姿を見ていたらふっと気になってな」

「あはは、いいですよ。そうですね…」


 なんかよくわかんないけど俺の嫁と俺の父親が仲良くなっていた。あの堅い父さんがちゃん付けで呼ぶなんて、いったいどういうことなんだ。


「最初は全然気にならなかったんです。筋肉すごいなぁとか、異世界の人も魔力あるんだぁとか。あと見た目の割にすっごく気の小さい人だなぁって思ってました」

「…なるほどな。盛護らしい」

「ふふ、第一印象はそんな感じでしたね。そのあとは、結構私に会いに来ることも多くて迷惑でした」

「……迷惑だったのか」

「ですね。当時は盛護さんって魔力量もそんなにありませんでしたし、別に好みでもありませんでしたから」

「はは、そこからよく今になるまで仲良くなったものだな」

「ふふ、そうですよねー。全然好きでもなかったのに、私のこと好きとかばっかり言ってきて…。見せかけかと思ったら本当に傷だらけになって私のこと守ってくれて。そんなの…意識しちゃうに決まってるじゃないですか」


 ラミィは目を細めて懐かしみながら、ちょっぴり恥ずかしそうに俺を見る。

 遠くなのに会話が聞こえる理由、それは俺が身体強化魔法ならぬ五感強化魔法を使っているから。別名盗聴魔法とも言う。


「――盛護?聞いてる?」

「悪い母さん。今いいところなんだ。ちょっと待っててくれ」


 横から割り込んできた母さんを手で制する。今はこっちよりもあっち。恋人の惚気話の方が大事だ。


「少しずつ気になるように――」

「ん?なに?」


 突然回線が切れるように音が途切れた。


「どうかしたの?」

「いや声が…なるほど」

「…一人で納得されてもこっちは困るんだけど」


 不満げな顔をする母さんにごめんと一言謝り、テレビ側から意識を引き戻す。

 ラミシィス、完璧な魔法制御で俺の盗聴魔法を破棄する絶技を披露。魔法行使者が気づかないレベルの手早い乗っ取りとは恐れ入る。この神業を理解できるのがこの世界に俺以外にもいるのだろうか。

 それはどうでもいいとして、声が聞こえないなら仕方ない。さっきの話の続き、の前に母さんに説明か。


「ラミィを盗聴してたらだめだよって怒られただけだから、気にしないでくれ」

「そう?ならいいけど。それよりさっき何か聞こうとしてなかった?」


 物凄くあっさり流された。俺の母親ながら、なかなかに適応能力が高い。むしろ俺の母親だからか。


「そうだ。姉さんのことだよ」

夏菜恵かなえ?」

「うん。撮影って?」

「撮影は撮影よ。ドラマの撮影」

「…ドラマ?」


 衝撃の一言に一瞬言葉に詰まった。ドラマって、テレビのドラマだよな。


「ええ。ほら、今も出てるじゃない」


 言ってテレビを指差す。その先に集中すると、確かにテレビの中で俺の姉が警察っぽい服装で活躍していた。


「…姉さんの仕事って?」


 真剣な顔で銃撃戦に勤しむ我が姉。さっきまでほにゃほにゃとろけていたとはまったく思えない姿だ。

 なんとなく、どころか完全に予想がついてしまっているが、一応母さんに聞いておく。俺の姉は、どうにも俺の思っている遥か上にすごい人なのかもしれない。


「もちろん俳優はいゆうよ。役者さんね」


 少し自慢げに言う母。やはり、自分の娘が世間で活躍していると嬉しいし誇らしいのだろう。

 俺としては、やはりという気持ちしかない。


「あと歌手ね」

「ん?」

「それにモデルもやっているわ」

「うん?」

「あぁ声優としても活躍していたわ」

「お、おう」

「インターネットでも色々やっているみたいよ」

「そうか…」

「あとはあなたのお姉ちゃんよ」

「それはそうだ」


 異世界から帰ったらお姉ちゃんが女優で歌手で声優でインターネットアイドルなスーパーマルチタレントになっていた!

 なんだこれ。

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