30. ただいま

「と、いうわけでですね!盛護さんは最初っから私のことが大好きだったんです!一目惚れだったんですよ!ね?盛護さん!」

「…うむ」

「あらあら、盛護がねぇ…」

「…その楽しそうな目はやめてくれ。いいだろう別に。俺だって一目惚れの一つや二つするさ」


 恋人のラミシィスによって再生された俺の記憶。しかし、それはなんとも羞恥心あふるる思い出だった。

 誰が好き好んで一目惚れするシーンを親家族に見せなきゃいかんのだ。幸いだったのは姉さんが寝ていたこと――。


「盛護ちゃん!お姉ちゃんにも一目惚れした!?」

「―――」

「盛護さん!二つってどういうことですか!?二回も一目惚れしたんですか?誰ですか!」


 いつの間にか俺の右隣を陣取っていた姉さん。ぐっと顔を近づけて聞いてきた。そして左隣のラミシィス。可愛らしい俺の恋人だ。こちらもまたずいぶんと顔を近づけて聞いてくる。というより肩を掴んで揺さぶってきた。


「落ち着け。姉さん、俺が姉さんに一目惚れするわけないだろう。あとラミィ、二回というのは言葉の綾だ。むしろ二回とも惚れたのは君にだぞ」


 実際は二回どころじゃないが。それはまた恥ずかしいので言わない。


「むー、せっかく会えたのに弟がお姉ちゃんに優しくないよぉ。うう、お姉ちゃん悲しい」

「んん、んん…えへへぇ」


 こぼれそうになる笑みを我慢しようとして我慢しきれない恋人が可愛い。あと姉さん、嘘泣きわざとらしすぎるからやめた方がいいぞ。


「なあ姉さん、姉さんさっきまで寝てたよな。いつ起きたんだよ」

「え?うーん…昔話が聞こえてきたから自然と?」

「じゃあ結構前から聞いていたのか」

「うん。盛護ちゃんがラミちゃんとお話し始める前くらいかな」

「ほー」


 聞かれたものは仕方ない。諦めよう。自分から話を蒸し返さなければいいだけの話だ。

 言葉を濁して会話を打ち切る。ついでにラミィの頭を撫でておいた。心が落ち着く。


「しかし父さんも母さんも、姉さんも。みんなよく俺のことがわかったな」


 母さんは優しく笑って、父さんも少し頬が緩んでいる。姉さんは言わずもがな。ラミィは幸せ満載で。そんな家族に囲まれている俺だって笑みがこぼれてしまっている。

 こんな幸福としか言いようがない状況で、ふと気になった。

 ただでさえ十年経っているというのに、見た目も中身も変わった俺を一目見てすぐわかってくれたこと。わかってもらえないんじゃないか、なんてことを悩んでいた昔の俺が馬鹿らしい。


「ふふ、馬鹿ね。自分の子供のことくらいわかるに決まってるでしょ」


 ひどく優しい目を向けられて背筋がむずがゆくなる。


「盛護、俺がお前をわからないと思ったか?」


 目をそらした先の父さんからもまた、母と同様の眼差しを向けられる。言葉を返そうにも上手く舌が回らず、ただ頷くだけしかできなかった。


「確かにお前の言う通り、ずいぶんと大きくなった。十年経てば変わるとは思うが、それにしたって大きくなり過ぎだ。190近いだろう?」

「まあ…うん」


 基本は185だから、なんとも言えないけど。


「身体つきだって十年前の…中学生だった頃とは大違いだ」

「…うん」


 骨格から力強くなって、筋肉の量だって桁違いになっている。文字通り鋼のような肉体になった。


「目の色だって灰色なんて、日本人らしくなくなってな」

「そうだな…」


 一つ一つ違いを挙げていく。聞けば聞くほど昔との違いがはっきりとして、それでも父の表情と言葉からは優しさしか感じない。


「顔立ちも少し彫りが深くなってるか?」

「なったよ、たぶん」


 元の自分なんてもう薄っすらしか思い出せないから。父さんが言うならそうなんだろう。きっと彫りも深くなっているはず。


「本当に変わったな、盛護」


 どこか重みを感じさせる言葉が耳に届く。何を言えばいいのかわからなくて、口を開いたところで止まってしまう。なんでもいいから返事をしようとして――。


「よく、頑張ったな」

「―――」


 "頑張った"。

 それだけ。ただそれだけの一言だ。今まで、何度もラミィから言われてきた。ラミィだけじゃない。エストリアルで親しくなった人に何度も言われたことがある。

 だけどこれは、これは違う。父親から、家族から言われたこれはきっと…きっと、一人の親としての言葉で。俺が必死になって帰ってきたことを、頑張ってきたことを認めてくれたからの言葉で。

 だから、あぁ、だから目の前が滲んで見えなくなっているんだ。本当、我ながら泣き虫なことだよ。


「な、なぁ父さん。母さん。俺、頑張ったんだよ。大変だったんだ」

「おう」

「ええ」

「辛いこともたくさんあったんだ」

「だろうな」

「そうよね」

「痛くて苦しくて。仲良くなったやつも死んでいってさ。戦争ばっかりだったんだよ。毎日、毎日。戦って戦って殺し合って」


 嫌になったことなんて数え切れない。いつもいつも嫌だった。殺すのも、殺されるのも。奪うのも、奪われるのも。

 国に人質を取られて泣きながら殺しに来たやつがいた。死にたくないから殺した。

 俺を庇って死んだやつがいた。泣きながら、俺に生きろと叫んで死んでいった。

 異世界人の存在が邪魔で殺しに来たやつがいた。死にたくないから殺した。

 魔物との戦争で死んだやつがいた。家族のことを俺に託し、泣きながら死んでいった。

 俺が殺した人の家族が俺を殺しに来た。死にたくないから殺した。

 他国との戦争で死んだやつがいた。死にたくないと涙をこぼして死んでいった。

 家族のために死んだやつ、国のために死んだやつ、星のために死んだやつ。みんなみんな死んで、誰もがまだ生きたいと願っていた。

 そして、俺の親友も。


「…死ぬのが嫌だった。だから殺した。だから必死になった。俺が一人じゃなくなって、守らなくちゃいけない人ができて、よけいに死ねなくなって。それでも悪いやつはたくさんいて。ほら、見ただろ。シルベス。あいつ、死んだんだぜ。俺に幸せになれよなんて言いやがってさ。馬鹿な、馬鹿なやつだよなぁ…あぁ、本当に。ここに帰ってくるまで大変だったんだ…」


 熱い雫がこぼれ落ちる。もう思い出になったと思ったのに、話し出したら言葉と共に涙があふれて止まらなくなった。


「自分が変わって、人を殺すことに抵抗がなくってさ。怖かったんだよ。生きるために当たり前のように人が殺せる。こんな自分が怖くて、それでも家に帰ることを諦められなくて、だから必死に生きてきた。頑張るなんて言葉じゃ足りないくらい、生きることにしがみついてたんだ。それでようやく…ようやく帰ってきてさ。父さんと母さんと、姉さんと。みんながいてくれて…俺、いいんだよな。帰ってきてよかったんだよな」


 前は涙で見えないというのに、それでも両親が優しい笑みを浮かべている姿が見えた。


「いいに決まってるだろ」


 短く一言。それだけで俺には十分だった。


「ねえ盛護、ここは誰の家?」

「父さんと母さんと、俺たちの…家」

「ええ、そうね。私たちとあなたたちの家よ。盛護と夏菜恵と泰毅の家ね」


 父さんと変わらず、母さんの声も優しさにあふれている。

 本当にどうして俺の家族はみんな、こんなにも温かいんだろうな。


「あなたがどう変わったっていいのよ。盛護は盛護。私たちの子供であることに変わりはないわ。ほら盛護、家に帰ったときに言うことがあるでしょう?お父さんと夏菜恵にはまだ言えてなかったんじゃない?」


 そうか。そうだよな。まだ父さんと姉さんには言えてなかった。

 隣に座る姉と、前に座る父を見る。目ははっきりと見えずとも、二人が待ってくれていることはよくわかった。

 だから言おう。頭でわかっていても、ちゃんと言葉にすることで変わるものもあるから。今俺が言うべき言葉はたった一つだけ――。


「――ただいま」

「「おかえり」」


 涙を拭って二人を見れば、思った通りの柔らかな笑顔が俺の目に映る。

 先ほどから寄り添って手を重ねてくれていたラミィに目で感謝を示し、今はただ気持ちが落ち着くまで、この温かな時間を嚙み締めることにした。

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