第4話

貴族街と般民街を隔てる、内壁のすぐ脇。そんなところにメディラ工房はあった。工房といっても、例えば大きな煙突があったり、水車が回っていたり、大きな音を立てる機械が覗いていたりはしない。

どちらかといえば、商店の構え。だが、ショーウインドもなく、ごくごく普通の家屋のようにも見える。しかし、ここは工房なのだ。主人である、マルテナ嬢がそう呼んでいるのだから、そうなのだ。


少女らしい、可愛らしい鼻歌。流行りの歌劇の劇中歌だった。窓際の丸いテーブルの上には、彩釉の花瓶。慣れた手つきで花を剪定し、一本ずつ、丁寧に刺していく。

「あ、お嬢様、お花ですか」

紙束を抱えた青年が声をかけたが、マルテナ嬢は手を止めず、弾むような歌声で応えた。

「よしっ、これでいいわ」

青年はすっかり紙を裁断し、決められた大きさ──大人の手のひら大の長方形──に揃えられたものを、10枚ごとに帯で留めている。これに、次の行程で陣が転写され、式符になるのだ。

「ふふっ、やっぱりお花があると、華やかになるわね」

自らの手際に満足げな笑顔を浮かべ、青年をふりあおぐ。

「そうですね、お嬢様」

しばし手を止めた青年は、椅子を一脚テーブルのそばに運んだ。少し足の不揃いな椅子に腰掛け、テーブルに肘をつき、花を愛でる姿は、まるで一枚の絵画。窓から差し込む陽光までもが、彼女のためにあるかようだ。

「綺麗な花瓶ですね」

「えぇ、そうでしょう?先日の市で見つけたの。海向こうの陶芸家が作ったものの写しなの」

ほっそりとした指先で花瓶をなぞりながら、どこか恍惚とした顔に甘い声でそう漏らすと、花弁を一枚、千切ってみせた。

「これもね、造花なのよ」

「へぇ……気がつきませんでした」

贋物の花瓶に、樹脂象りの花。ポツリとこぼして、パッと顔を上げた。

「ここにぴったりだと思わない?」

「はぁ、そうですか?折角なら、生花を飾ればいいんじゃないですか。お嬢様、結構お花のお世話なさってますよね」

青年はそう言いながら、窓の外へ視線をやる。咲いたばかりの小さな花が、風に手を振っていた。

「これでいいのよ」

青年の視線を追って、遠い目をしたかと思えば、ぱっと瞼を開き、明るい笑顔。

「式符ってね、結局は術式の写しでしょう?」

「えぇ、まぁ……」

「写しを生業にするうちの家系には、こういうのが良いのよ。お屋敷には何故か沢山の工芸品があったけど、お父様ったら、二言目には決まってこういうのよ?これは本物、正真正銘の実物なんだぞ。って」

どこか自嘲気味に笑いながら、得心のいかない顔をした青年にまっすぐ向き直る。椅子の背を抱くように座って、少し上目遣い。淡い金色の髪が一房、頬をなぞった。

「そんなのどうだって良いじゃない。確かにこれは紛い物かもしれない。でも、これを作った職人は、間違いなくいるのよ。熱を傾けて、心血を注いで、一つの作品を作り上げるのよ。そこに何か違いがあるのかしら」

「さぁ、私にはわかりませんけど……」

意味ありげに微笑みながら、マルテナ嬢が抜き取った一枚の紙。青白い燐光が表面を焼き、金色の線分を描く。幾何学の模様と、神代の文字。写し取られた、熱と閃光の術式。もっとも一般的な、明かり取りの式符だ。

「これだってそう。本来なら、分厚い神話を開いて、神の解いた式をなぞって、陣を得て、理力を導いて、ようやく部屋を明るくできる。でも、それじゃあ、あの分厚い神話全集を読めないような人は、ずっと暗い夜を過ごさなきゃならないの?火を起こすのに、石を打つの?重い油を運んで、ランプに注いで、絶やさないよういつも気にして?」

出来たばかりの式符に、ふっと息を吹きかければ。

「こうすれば、誰にでも使える。夜は明るくなって、誰もが安心して過ごせる」

丸く浮き上がる燐光は、陽光の下では部屋を照らすには至らないけれど。

「あれもそうよ。あんな闇市でしか買えないなんて、勿体無いわ」

青く白く揺らめいた光が、白磁のような頬を引き立てていた。

「……私にはやっぱりわかりませんよ、お嬢様」

「はぁ……仕方がないわねぇ」

式符を握りつぶすと、燐光も霧散する。

「ほら、今日も頑張って、腕のいい職人さん!」

背中を一つぽんと押して、今日も1日が始まる。

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