第3話
いつものテラスで、いつもの二人がいつものように注文を間違われている。いつものように取り替えて、またいつものように、あっという間に空になったグラスを戻す。
翁が手を挙げると、先ほどの給仕が寄っていく。
「アイスを頼む」
「私はおかわりをお願い致しますわ」
食後の一杯、と言ったところだろうか。翁の方はパイプを咥え、煙を吸っては輪っかを作って遊んでいる。
「ねぇ、おじさま?」
「何かねお嬢さん。デートのお誘いならさっき断ったばかりじゃろ?」
マルテナ嬢は嫌な顔を隠そうともしなかった。眉根を寄せ、整った顔立ちが崩れてしまうのも厭わず、精一杯の渋面を作ってみせた。
「……なんじゃその顔は。道化でもやるつもりかね」
「おじさまが玉になってくださるなら、私猛獣使いを致しますわ。牙に噛み砕かれないよう気をつけてくださいませね」
「おお恐ろしい」
翁は大袈裟におどけてみせたが、給仕が戻ってきたのを見て素早く体裁を整えた。あくまでも紳士然とカップを待ち、何事もなかったかのようにチップを握らせた。
「で、どうかしたのかね、急に改まって。デートのお誘いでないなら、また仕事かね」
「……いいえおじさま。私はおじさまの事を伺いたいの」
翁はまた一息にカップを空け、椅子に浅く腰掛け直した。リラックスした姿勢にも見えるが、何処か退屈そうにも見える。
「私のこと?今更何か気になるようなことがあるのかね」
翁はまたパイプを咥えているが、今度は煙で遊ばずに、ただ葉を燻している。
「そりゃあいろいろありますわ?例えば、お名前とか」
「ハーゼル」
「それはお仕事の上での、でしょう?私は本当のおじさまのお名前が知りたいんですの」
「お嬢さん、お互い詮索はしないという約束じゃろう」
「えぇ、それは勿論ですわ。でも、おじさまの腕前については、教えていただいても良いのではなくて?」
テーブルに前のめりになるマルテナ嬢から目をそらすように半身をずらしつつも、その視線だけは彼女に注いでいる。上がった右の口角に、不満とも期待とも取れる、複雑なものが見て取れた。
「なんじゃ、わしの若かりし武勇伝が聞きたいのか?それならいくらでも聞かせてやるがね」
「いいえ。私はおじさまの健康の秘訣をお伺いしたのです。そんな悪い子供のことなんてこれっぽちも聞いておりませんわ」
つんとそっぽを向いた横顔を何処か遠い目でながめたまま、翁は渋々口を開く。煙に混じって吐き出されたのは、遠い過去のことだった。
「……レイムレイトの大老卿の事は知っておるか」
「えぇ、存じ上げておりますわ。二度の神話再現を戦った、歴戦の英雄だったと……」
「私は彼に師事していたことがあるんじゃよ」
「まぁ、それは本当でして?」
「嘘などいうものか」
心底嫌だという顔で、翁はパイプを一つふかした。
「随分しごかれた。大老卿はそれはそれは厳しい方で、それ以上に情深い方じゃった。もう誰も継ぐ者のない、術技剣の名手でな、私などは何度も打ち負かされた。いいや、勝てた試しなど一度もない。だから必死で特訓した。大老卿の剣は常に焔を纏う。だから、打ち合えば必ず負けてしまう。熱気を圧して立ち向かうなどできようはずが無い。じゃから、決して打ちあわぬ方法を考え抜いた。それが私の強さの源流。今に至る基礎。有様の基本となったわけじゃ」
そして、翁は深く息を吐き、目を閉じ顔を伏せた。かの時に想いを馳せているのか……遠い痛みに耐えているのかもしれない。
「へぇ……そうでしたの」
「なんじゃお嬢さん、尋ねておいて随分そっけないじゃないか」
「そうでしょうか。これでも感心していますのよ?いつも遊んでばかり、悪戯盛りのおじさまにも、そんな頃があったのですねと」
「お前さん私をなんだと思うておるんじゃ……」
今度は翁が渋面を作る。眉間に増えた皺と、力を込めた瞼が不満と不快を露わにしている。
「いいえ別に。ただ、私もそんなおじさまが見てみたいものですわ……」
「んん?なんじゃ、さっき断ったのを怒っておるのか?それならさっきも言ったろう……」
「いいえ」
すっと立ち上がった彼女の勢いに言葉を遮られ、翁はパイプさえ取り落としそうになる。
「お断りしたのは、私の方でしたのよ」
語気は荒く、笑顔は柔らかく。マルテナ嬢は上品にお辞儀をすると、足早に去ってしまった。何処までも優雅で、何よりも可憐で。そして、誰よりも気高く強い。
「……なんなんじゃあのお嬢さんは。こんな老いぼれに何を期待しとるのかね」
敗れた獅子は仕方なく、煙に紛れてやり過ごすのだった。
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