6-3 やはり最悪だ
「あの電話は、次の仕事の話。今朝もその打ち合わせで、現場入り遅くなっちゃってさ。なのにおまえ使い物にならないから、今回の依頼もまだてんで片付いてないし。色々と番狂わせで予定変更しなきゃだよ」
(……こいつ)
この男、やはり最悪だ、あの状況で紛らわしい電話連絡などしくさって。しかも、いくら熟睡…もとい気絶しているだけとはいえ傍らで伸びている
通りすがりの元医者と元看護師だかに耳元で『死』を囁かれても、佑はまるきり信じちゃいなかった。ふざけた寸劇だけならば、佑だって、自分が死んだなどとはそこまで思いこまなかったはずだ。
「こんどの物件も、けっこう豪華なお宅だよ。なんと江戸時代! 先祖代々つづく菓子問屋のご主人が亡くなってね、その遺品整理で――」
「…へぇ~え、また古いお屋敷の遺品整理かぁ、そりゃよかったな。色々ありそうでさ、ついてるじゃん」
含みある佑の口調に、叶馬は何事か不穏な空気を読んだらしい。腕の中の佑をまじまじと眺める。
佑は不敵な笑みに口元を吊りあげた。
「あのね、おまえさ、あんまり自覚ないみたいだけど。今回けっこうそれなりに危ない状態だったんだからね」
佑の髪に遊ばせる手指を引っこめながら、叶馬はふと口調を改める。
「思いこみの呪法ってのもあるから」
「思いこみの呪法――?」
単なる思いこみと侮るなかれ。
「毒入りだと信じこませることで、ただの水でも人が殺せるってこと」
「プラシーボ効果ってやつ?」
「なんだ知ってるじゃない」
今回の場合、『死』をまず眼に見える形で提示することで、それを潜在意識へ強烈に植えつける。これはあの現場の状況で、佑にはすでに刷りこまれているだろう。あとは、引き金となる仕掛けの文字列を解読できれば、条件は成立する。そこへ偶然の事故だ。冷静に考えればたいしたこともない、普段もあるだろうハプニングだとしても。覚醒した瞬間に、四肢などが少しばかり自由にならず、己れの生死を疑ったなら、すでに搦め手の内となる。自身と周囲の状況をかんがみて、悪いほうへと憶測をめぐらせ、自分は危機的状況にあるのではと疑いを抱く。そうして死亡したのだと勝手に思いこんでいったとしたら――。自己暗示は相乗効果となって、身体の呪縛をさらに高める。死を確信すればするだけ、やがて逃れられない暗示のループへ落ちこんでいく。
「そうとう強い自己暗示にかかってたんだよ、おまえ」
それについては思いあたるふしだらけだ。佑に反論の余地はない。
叶馬は佑の頭を抱きこみ、引き寄せた。叶馬の心音を、佑は彼の胸に耳を押しあてて聞く。
「だから、おまえの思いこみの激しいとこを逆に利用して、叶馬をひとり残して死ぬわけにはいかないぞっ…て、思ってもらおう作戦を決行したんだけど」
「はあぁ…!?」
佑が間近で頓狂な大声を発し、叶馬は迷惑そうに眉根をしかめる。
喉も耳も正常に機能していることに、感謝しよう。
「なんだよそれっ」
いったいどういう作戦だ? もしや、風呂につけて撫でまわし、泣き言を並べて佑の哀れを誘った、あれか。
「なのにおまえ、死体状態にけっこう馴染んじゃってるみたいだし、焦ったよ」
たしかに佑は、あの状態に慣れはじめていた。もうあのまま死体に住みつづけてもいいかとすら、決意をかためつつあった。
思いこみの仮死とはいえその状態が長くつづけば、生体になんらかの悪影響が及ぶ可能性も否めない。やがて身体機能は低下の一途をたどり、もしかすると本当に、生命維持を停止することもあるかもしれない。代謝から放置された細胞が死滅でもすれば、物理的に考えて蘇生は非常に困難だろう。本当にそのまま一巻の終りとなってしまうかもしれない。
「だから、もっと強烈な吸引力が必要かなって、考えてさ」
それは、この世へ佑を呼び戻す吸引力のことか。
(俺のしゃぶった話じゃないよな)
まさかな。
「こういう場合、好物で誘うのが一番かなって、思ってね。佑の好きなものでインパクトあるっていったら、ねぇ…?」
(ねぇ、じゃねぇしっ)
そのまさかだったらしい。
「…アンタ。だから、俺にあんなひどいことしたっての?」
無抵抗な佑の身体をベッドへ転がし、舐めまわしてしゃぶりついた、あの一件だ。
「死体」のはずの佑相手に不埒な行為に及び、死体でいるなどご免だと、佑に思わせる算段でもあったのか。いい意味でも悪い意味でも。
「ひどいこと? 優しく甘やかしてやったつもりだけど、
「…っ」
低く囁く叶馬の声が、吐息に乗って佑の耳をくすぐった。
叶馬の手の平が無意味に優しく、佑のうなじを撫でさする。指に襟足の毛を絡めて遊ぶ。
つい先刻もう充分だと堪能したばかりのはずが、佑の体内はまたざわつきだした。
気づいてないと思ってるの、知ってるよ…と、叶馬の声はさらなる甘い毒をはらむ。
「おまえだって、かなり楽しんでたくせに」
気持ちよかったはず、いつもより感じていたはずだと、ずばり指摘されては、佑は黙るよりない。
佑の身体の構造を、この男は本人より熟知している。
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