3-2 死体の肢体
湯温を感じているというのは、どういうことだ。皮膚感覚が戻ったのか?
湯船へ沈められた
いつからだろう、服を脱がされる時、叶馬の吐息やたてる音で動きは感じられても、触れる手の感触はなかった。
そういえば。
(叶馬だ、……見えてる?)
そうだ、叶馬の姿が見える。佑には見えている! 薄く霧がかったようにぼやけているが、佑の胸元へ手の平ですくった湯をかける叶馬が、たしかに見えていた。
つまりは視力も健在というわけだ。
脱衣のさいは見えていなかった。ではこれも湯へ浸けられてからか。湯のおかげで筋肉が弛み、まぶたが開いたからだろうか。
(もしかして、ラッキーって感じ?)
湯灌とやらのおかげで、身体のどこかが弛んだのか。切れていた何かのスイチでも入ったのだろうか。これは、良くなりつつあるのか? すでに死んでいるのだ。肉体が物理的に悪化することはあっても、何かが快方へ向かうことはないだろうに。
現に佑の側からの反応は示せず、まったく働きかけられないことはかわりない。俺はここにいるぞと、知らせるすべは相変わらず何もない。目と目で通じあう特訓を、やはり叶馬としておくべきだった。
「佑、おまえ、お風呂好きだったよね」
(過去形にすんなっての)
今だって大好きだ。
「湯、熱くない? 大丈夫…?」
(湯はもっと熱くてもいいけどさ。大丈夫かどうかは……わかんねぇ、きっとヤバいんだろうなぁ)
だが、優しく語りながら世話をしてくれる叶馬に癒されて、佑の危機感は薄れていくばかりだ。
シャンプーをされればなんだかよく知る香りがするし、叶馬の語りかける姿を見れば普段どおりの会話がはっきり聞こえる。ものたりないほど優しい加減の湯の中で、身体の線をゆっくりとなぞる手は、佑を夢見心地に誘う。
これはもしかすると、記憶が見せる幻覚なのかもしれないと、佑はふと思う。レモンや梅干しを想像すると口の中がすっぱくなる、あれだ。想像して、勝手にひとりで心地よくなっているだけだとしたら、間抜けな話だった。
(いいや、もう……)
何がなんでもいい、気持ちいいし。今はもう難しいことは考えたくない。
薄っすらと開けまま今度は閉じられなくなった眼差しで、佑はぼんやりと叶馬を眺めた。叶馬はこんなに優しげな表情で、いつも自分を見ていたのか。知らなかった。
(アンタって、やっぱカッコいいよな)
こうしてあらためて見ると、叶馬はすこぶる格好いい男だ。同じ男としては、正直悔しい。
(俺だって…)
あと三年もすれば、もっと背丈も伸びて、叶馬を負かすくらいには男前になっていたはずだと、佑は思っている。
なのに三年後どころか、明日の運命、今この瞬間の身の振り方も不明とは、なんたることか。一寸先は闇の人生訓は本当だった。
(俺がいなくなったら、アンタ、他の誰かの…どっかの女とか男とかのものになっちまうのかな)
ふと浮かびきた思いに、佑は愕然となった。
叶馬は稀代の寂しがりやだ。彼が、佑亡きあと操を守って生涯独り身を通すなんてありえない。その点だけは確実だ。それができるくらいなら、佑だって叶馬の恋人としては遇されなかったはずだ。もとよりふたりのなれ初めは、叶馬が佑を、亡くした恋人の身代わりに仕立てたことからはじまった。
(…なんか、すげえ嫌だ。許せねぇんだけど、それ)
死んだ奴が残された恋人の幸せを願って見守っているだなんて、絶対に嘘だと、佑は確信する。そんなものは、映画や小説の中だけの、きれいごとのおとぎ話だ。
(決めた、俺は化けて出てやるかんな)
叶馬がどこかの女といちゃついていたなら、枕辺に一晩中だって立ってやる。どこまでも追いかけて、四六時中憑きまとってやる。叶馬に死んだ恋人が憑いていると知れ渡れば、悪い虫はつかないはずだ。
(…あ、おいっ)
不意に、後頭部でつるりと滑る感触がした。
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