1-4 ホラーテンプレ

 じっとりと滲む汗と舞う埃に辟易しつつ、脚立を昇り降りし古本と格闘することしばし。不意にぽんぽんと後ろから肩を叩かれた。叶馬とおまかと一瞬思い、振り返りかけるのを、たすくは踏み留まった。いやいや違う。どうせ背後には誰もいない。脚立の天辺に乗っているのだから、位置的に誰も佑の肩など触れやしない。普通に人間ならば。

 無視を決めこみ高い棚から本を下ろす作業をつづける。しばらくすると、反対の肩を叩かれた。もちろん無視だ、無視。

(……!)

 するとまたまた、今度は背骨のあたりを上下にぞろりと撫でられる。

(くっそ、セクハラだろ、それ)

 背筋など撫でていいのは叶馬だけだと佑は思い…違った。

 一日中これではたまらない。悪意の有無など、この際どうでもいい。無視しつづけるにも限界がある。

「――あのさ」

 せめて構わないでほしいと、怒鳴ったり頼んだりしたところで、この手のモノが聞く耳持たないことは、経験上で佑は承知している。

 叶馬いはく、向こうから見ると、佑の頭上には目印の旗が掲げられているらしいのだ。ここですよ、こっちですよ…と、団体旅行のガイドがひらひらさせる、あの小旗のようなものなのだ。だから悪意の有無とは関係なく、あちらからも無視はできかねるらしい。

「この家、もうじき取り壊されるって、知ってんのかなぁ…なんて」

 本来ならば話しかけるなど、わざわざ関わるような行動は言語道断だ。明らかな反応を示して見せ、こちらに無駄に興味を抱かせるのもよろしくない。誰に聞かせるともなく独り言めかして知らせ、何気なく悟らせたいところなのだが。

 声をたてた直後から、霊障ポルターガイストというやつか。ガリガリドンドンとそこかしこで異音が鳴り響きだした。イヤホンで聞くお気に入りの曲にノイズが混じったと思いきや、歪みたわんでぶつりと聞こえなくなる。かわって耳に響くのは、――!――!!!!……音ならぬ音の大洪水だ。

(あっそ、そうくるわけ)

 穏便に運ぶのがだめならば、仕方ない。どうせやるなら先手必勝、あとは脅すのみ。

「この土地も切り売りして人手に渡るみたいだしさ。地縛系には立ち退きは厳しいっしょ。今のうちに身の振り方、考えといたほうがいいんじゃね…?」

 ――ま、振り分ける身があればの話だが。

 途端、場は水を打ったように静まり、空気の流れもぴたり制止した。

 キィーン…と、耳の奥が痛みだす。

(…――やべ、間違えたかも)

 次の瞬間、虚空は大爆発を起こした、ように思えた。

〈な・ん・だ・と――!?〉

 〈なんですって・今なんと仰いまして〉

  〈なんじゃと・この家が無くなるとな!?〉

   〈小童こわっぱめが・この私を愚弄せんとかぁ…!〉

    〈怪しい奴・さては我が家を乗っ取る気だな!!〉

   〈お父様お父様・この者が恐ろしいことをっ〉

  〈各々方・出入りにございますぞ出合えぃ〉

 〈あな恐ろしやぁ・曲者とな曲者となぁ〉

〈お爺様・クセモノっておいしぃい?〉

 バターン! ――とばかり出入り口のドアが開いたと見れば、先ほど廊下で見たような顔ぶれが団子状に雁首を揃えて覗く。どうやら新旧取り混ぜて元使用人たちも加わったようだ。

〈お嬢様・曲者は食べ物ではございません〉

 〈この爺が参りましたからには・百人力!〉

  〈あぁれぇ~・いずくにおわしまするかや~〉

   〈お館様ご安心召されよ・影となり日向となり〉

    〈私めの目の黒いうちはこのお屋敷には指一本たりと〉

   〈危のうございます・さぁさこちらへおいでに〉

  〈今はこれまで・無念でござりまするぅ…〉

 〈この身を賭して尽くす所存にて〉

〈そこな下郎・下がりゃ…っ〉

 もはや何が何やら。目視には定かでないものの、所構わず右往左往しぶつかりすり抜けこんがらがり、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されているに違いない。

 天井から鎖で垂れ下がる年季の入った丸い照明が、ぐらんぐらんと揺れだした。アンティークらしき椅子も机も、ばたばたと四つ足で跳ねて躍る。重厚な本棚も四方の壁際でステップを踏む。部屋全体がみしみしと軋んでいる。

 叶馬が見たなら、傷がつくからやめてと大パニックだろう。

 目前の本棚からも色あせた小説本が飛びだしかけるのを、佑は背表紙を押さえ戻した。するとその向こうの一冊が飛び出し、それも押さえ止めれば、さらにその先の背表紙が押し出される。放っておけば次々と背表紙は斜めとなり、棚の同じ並びの端で一冊が床へ落とされた。陰湿なイジメのようだ。

 どうせなら棚ごと引っくり返してくれたって構わない。そう思った矢先。

 奥の棚の全面から大量の本が派手に飛びだし、一気に床へばら撒かれた。どのみち箱詰めするのだから、まあ構いやしない。

「…あ、言っとくけど、俺に憑いてくるってのは、無しの方向で」

(俺のそばには、あの人いるからさ)

 吸いこまれ呑みこまれて消えちゃうぞと、もう幾度か目の当たりにした光景を脳裏に思い描けば。佑の周辺を浮遊するいくつかがぎくりと竦むのが、感じられた。やはり佑に憑きまとう気になっていたモノもいたか。

「んじゃ、そゆことで。よろしく~」

 この修羅場はしばらく収まりそうもないだろう。佑はここでの作業を中断することにした。さすがに百科事典などを、頭上へ落とされては危険だ。

 脚立を担ぎ、書斎から続く奥の部屋へ移動する。隣室には、さらに古い時代の古文書などが収蔵されていた。和綴じ本や巻物ならたとえ宙を舞っても、大きな被害をこうむることはないだろう。

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