第8話

「お、うじ……?」

驚きのために見開かれた瞳。彼の姿を捉えてはいるのだろうが、どこか焦点の定まらないまま、取り落とした言葉。

「あぁ姫!おい貴様ら、姫に指一本でも触れてみろ!この私が地の果てまでも追い詰めるぅごふぁ」

床を這いながらも威勢だけは失わなかった王子だが、叩きつけられた棍棒には屈してしまうしかなかった。

呻きを漏らす王子。悲鳴をあげる姫君。将軍が一言、止めよ、と言うまで、兵士たちは王子を打擲し続けた。

瞼は切れ、頬は擦り傷。豪奢な衣装は破れ、あちこちに血が滲む。

「……き、貴様ら、一体何が目的、だ……」

身を起こすこともままならないが、視線は、視線だけは、将軍を鋭く睨め付けている。

「国土か、金か。知っているぞ、内海だ、そうなのだろう」

将軍は兵士の一人を呼びつけた。目の高さで、右手をさっと払うように合図する。兵士は椅子を乱暴に揺さぶり、姫を引きずり下ろした。美しい髪が、埃の積もった床に広がった。

「や、やめろ!貴様、姫に手を出すな!」

「王子は状況を理解しておられないようだ」

別の兵士に近づき、背中に手を伸ばした。鎧に取り付けられた袋から何かを取り出し、弄び始める。

がちゃり。かちゃ。ぱちん。

指差すように腕を伸ばすと、短い筒がその先に伸びる。

ばん!ばん!

音と閃光。椅子の背が爆ぜた。耳が痛いほどの反響と、白く篭る煙。これが帝国の武器なのか。姫はもう、悲鳴を発しようとはしなかった。歯がカチカチとなって、目にいっぱい涙を溜めて。それでも泣き出さなかったのは、王族の矜持故なのか。それともただ恐怖に竦んだ為か。

「王国の兵士を打ち倒したのもこれです。王子、ご覧になったでしょう。黒金の鎧も役には立たない。剣よりも槍よりも遠くから、弓よりも早く兵を打ち倒すのを。今のあなたに、何が出来ましょう」

「……」

それでも王子は些かもひるむことはなく、むしろ、何処か肝が座った様でもあった。

「将軍。私だけで十分なはずだ。姫は放せ」

「何故でしょう。我々とて、リスクを負っているのです。ここはあくまでもパルマテルラ領内。謂わば敵地です。王子も兵法を学ばれているなら」

「だから言っている。第三王女である姫に、一体どれほどの価値があろう。そう、賊に追われていたとでも言って、助け出したふりをすれば良い。帝国の株は上がり、将軍の手柄にもなる。私が証人となれば、誰も疑いはすまい。何せ私は次期国王だ。我がルーデシアはパルマテルラより大きい。周辺国にも睨みが効くから、帝国にとっても良い話なのでえっ!」

将軍が、心底うんざりといった顔で顎をしゃくった。兵士が棍棒で強かに打ち据え、王子の口を無理矢理に塞いだ。

「なるほど、仰りたい事は良く解りました。しかし王子、それは些か無礼にすぎるのではありませんか?聞けば、姫に随分と熱をあげていたそうではありませんか。それがどうです、産まれた国ごと貶める様な物言い。もし私が王子の提案に乗ったとして、お互いの国に、禍根を残しはすまいか」

「……承知の上だ。命を失うより、悔やむべき事はない」

「ほう……」

兵士たちが俄かに慌ただしく動き始める。何人かは小屋を出て、外で控えている。中に残った何人かは、窓を割り、壁を壊し始めた。砂を撒き、泥で汚した。油をこぼし、拭き取った。あっという間に、あばら家が出来上がっていく。

「なるほど確かに、命さえあれば、如何様にでも挽回ができる。良き理想です。しかし王子、私は最初に申し上げました。これには誰も関わっていないと」

兵士が、準備が完了したことを告げる。それをそのまま待たせ、蒼の将軍は言葉を続ける。

「帝国のありようも、皇帝陛下の御意志も、関係ない。これは全て、私の目論見なのですよ。王子」

将軍は手にした武器を王子に、王子の眉間にぴたりと突きつけた。ぽっかりと空いた、指先ほどの穴。金属の闇が、魂を吸っていく。王子は、覚悟を決めていた。先の様に、音と閃光が、今度は命を奪いに来るのだと。背板の様に、頭蓋が爆ぜるのだと。それでも目を閉じる事はなく、じっと、将軍の不満げな顔を睨んでいた。

火を吐く瞬間、将軍は腕を横に振るう。

美しい、白絹の胸元に、赤く、血の花が咲いた。

「足を折れ」

兵士の分厚いブーツの底が王子の足を踏み付け、骨を砕く。痛みが脳髄を揺さぶったが、そんな事はもうどうでもよかった。

「あ……あ、ご、ぶく。がぶ、ぶぶ」

溢れ出す血液が呼吸を妨げる。赤い泡が、耳障りな音となって消える。

「あぁ姫!姫!貴様、貴様なんと!」

兵士に手だけで合図を送り、将軍は撤収の準備を急がせる。

「すぐには死にません。5分か10分か……上手く助けが来れば、もうしばらくは伸びるかもしれません」

「き、きさ、ま……!」

「目印の火を焚いておきます。人が来たら、全てをお話しなさい。王子。あなたがしようとした事の愚かさを、知ることになりましょう」

将軍が兵を率いて去った後、冷えていく姫に、王子はずっと寄り添い続けた。

次の夜明け前に、パルマテルラの騎士が、森の奥の廃屋で、二人を見つけた。そこかしこに、賊が無残な屍を晒していた。その中には、周辺の小国を荒らし回る盗賊達のものもあった。帝国の老将は直ちに呼びかけた。これは葬いである。麗しの姫君を奪われた怒りを、悲しみを、共に携え、下劣なる輩を打ち滅ぼさん。と。

最早王子は、何を言うことも出来なかった。うねりは大きく、この地を飲み込んでいた。王子が王子であり、王として臣民を護るには、余りにも力が足りなかった。


程なくして、帝国の軍は各地に留まるようになる。各地で盗賊を討ち、いつしか人々は彼らに頼るようになった。数十年の後には、内海の向こうまで、帝国の旗は翻っていた。

その旗の下には。常に、蒼の右腕があった。

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