第3話
「な……何と不遜な!我が国を何だと……」
王国の大臣が声を荒げるが、老将は全く意に介さない。
「この場で返答を求めておるわけではない。我々はこれよりひと月の間、国境付近にて演習を行う。その間に返答頂ければ良い」
「ひ、ひと月!余りに性急ではないか⁈」
「国の意見を纏めるには、遅くともふた月、いやみ月は必要だ。そのように急いでは……」
「内海の村々に知らせるにはもっと時間が……」
「動乱が起こって……」
「終起の巡りが……」
大臣たちは顔を見合わせ、口々に騒ぎ始める。声を荒げるものもおり、立ち上がり意見を交わすものもいる。その間、大帝国側の武官は皆目を閉じ、渉外官たちはじっと座って、その様を見ていた。
「あぁ、各々方、何か勘違いなさってはおるまいか」
剣呑な雰囲気でありながら、全てを押し潰す音声。老将はまるで波が引くように静まり返るなか、言を追う。
「我が軍勢は一月の演習ののち、此度の要求の返答を伺いに、ここ、パルマテルラの都へと参じるものである。この意味はお分かりであろう」
水を打ったような静寂。張りつめた空気を破って、王国の将軍が椅子を蹴った。
「貴公こそ意味を理解しておられるのか!それは──」
「無論、承知しておる」
老将は右手をかざし、若き将軍の言葉を、その覇気を遮った。眉ひとつ動かさず、ゆっくりと首を巡らし、向かい合う王国の重鎮たちを視線だけで威圧する。
「無論、我らとていたずらに戦火をまじえようというわけではない」
その言葉に、大臣たちは息を飲んだ。老将は、全く隠そうともせず、開戦の意を述べているのだ。
「だが、手ぶらで帰るわけにも行かぬ。故に、ひと月の猶予をもって、貴公らの信義と誠意に応えようと言うのだ。貴公らが国土と国民を愛し、国王陛下に篤く忠誠を誓うその信義に敬意を表してのことなのだ。承服頂きたい」
あくまでも上からの物言い。しかしそのありようには、有無を言わせぬ重圧が伴う。すでに幾人かの地方領主などはすくみ上がり、互いの顔色を伺い始めている。
「……この化け狸め……!」
「ほう……貴様、この儂を狸と申すか」
若き将軍の呟きを、老将は聞き逃さなかった。赤く燃える双眸に突き刺されてなお、深く皺を湛える横顔が動じる様子はない。いや、かすかに笑ってさえいる。
「なるほど狸か。面白い。本来狸とは、狡猾な狩人だとも聞く。何者をも食らうしぶとさも持ち合わせている。なるほど儂のようだ……」
大きな体を前に。立ち上がらんと力を込めれば、肩には覇気がみなぎり、その背はひと回りもふた回りも大きく見えるだろう。しかし、彼を遮ったのは、傍に控えていた小さな将だった。
「閣下、些か逸りすぎでしょう。我々は徒に武力をかざすべきではありません」
「うむ……なるほど、貴君のいう通りだな。陛下の御意にも背くことになるやもしれん」
老将が再び腰を落ち着けると、一度に空気が熱を取り戻す。幾人かは、安堵のため息を隠しきれていかった。変わって、蒼の外套の将軍が立ち上がり語り始めると、王国の重鎮たちは皆一斉に彼に目を向けた。パルマラ王は一人、目を伏せじっと耳を傾けていた。
彼の口から語られたのは、大帝国の出兵計画であった。内海の向こうの軍事国家を攻め落とすべく、大規模な兵力を送り込みたいが、内海を迂回すると時間がかかりすぎる上相手に有利な条件で戦うこととなってしまう。そこで、内海を船団で渡ることで、進軍の時間を短縮し、かつ相手の虚を突きたい。そのために、港を借りたい……といったところだ。
「一つお尋ねしたい」
藍色の民族衣装を身に纏う地方領主が声をあげた。彼はまさに、港を有する土地の領主だった。
「それだけの兵が全て渡りきるのに、一体どれほどの時間がかかるだろう」
「集結に二週間、編成に一週間、港湾施設を造成しなかった場合、船を順次送り出すため、さらに二週間からそれ以上。おおよその見積もりですが」
「その間、港は使えないと仰るのだな?」
「はい。そうなりましょう」
「では、その間領民たちはどうする。海運も止まり、漁にも出られないとあると……」
「無論、その間の保証には金品で応じると、皇帝陛下は仰せです。それとは別に、港湾の貸借料も用意しても良いと」
その言葉に、他の領主たちが目を見張り、声をあげた。
条件としては破格。周辺国に対し、高圧的な態度をとる大帝国としては、異例のことだった。
「……しかし、それでは領民は納得しないだろう」
藍色の領主は、それをも突っぱねたのだ。
「我が領民は海に生き、海に死ぬ。無論、私もだ。いくら金子を積まれたとて、彼らは海を離れないだろう」
「その点は、皆様の国を愛する心に期待することといたします」
領主は唸ったきり、腕を組んで俯いた。他の領主も概ねそのような形だ。このように言われて、国王の眼前で何か言えるような胆力は彼らには無い。それを見越している。
無論、それはパルマラ王も同じだ。
「貴公らに問いたい」
ようやく王が口を開く。低く、よく通る、張りのある声。王国の重鎮のみならず、帝国の武官や渉外官までもが一斉に背筋を正す。
「それは、真に皇帝陛下の御心か」
老将の眉が一瞬動いた。痛いところを突かれたというところか。実際、交渉に赴くよう命じられてはいるが、その手段については一任を受けている。つまり、一個軍団を率いての、いわば恫喝に似たこの方法は、老将の独断によるものだったからだ。
「……無論だ。我らは皇帝陛下の兵。御心なくば動かぬ」
「ならば、親書を賜りたい」
老将は一際険しい表情を見せた。その隣で、蒼の将軍はむしろ微笑んでいた。
「我らに限らず、内海を囲む諸国はあの国の横暴には手を焼いている。大帝国が征伐するというのなら、すすんで助力を申し出たいところだが、我らも臣民を守らねばならぬ。いかな勇名轟く豪将とて、何の証もなく彼らの命運を委ねることは出来ぬ」
唸ったのは、老将の方だ。真っ当な言い分。これを想定しない訳ではなかったが、こうも真っ直ぐにぶつけられると怯んでしまう。戦場では冴え渡る知略も、テーブルでは役に立たないのだ。
「……親書によれば、港の賃借を認めていただけると、こう仰るのですね?」
「条件の交渉に応じる、ということだ。其方が良き提案をするなら、我らが戦陣に加わることもやぶさかでは無い」
しかし蒼の将軍には、策がある。少なくとも、老将にはそう感じられたようだ。それ故に口を噤み、腕を組んで交渉を見守っている。
「わかりました。此度は持ち帰り、また改めて参りましょう」
「ぬっ……貴公、それでは話が」
慌てたのは老将だ。ここからどうやり込めるものかと期待していたら、あっさりと引き下がるものだからこれは意にそぐわない。
「将軍閣下、元より此度は港湾の視察と、礼節の義によるもの。今ここで決断を迫るのは、それこそ陛下の意に背きましょう」
「ぬ……うむぅ……」
「国王陛下、申し上げたき次第はこれまででございます。仰せのように、次は親書を携えて、参上いたします」
パルマラ王が一つ頷き、散会となった。蒼の将軍は徒手の最敬礼を取り、パルマテルラ側の全員が退出するのを見送る。続いて、帝国側の武官たち、そして渉外官。最後に、将軍二人。
「貴公……無論、策はあろうな?」
「えぇ。何も無策故にこのような失態を演じるわけではありません」
その言葉に、老将は満足げに笑った。腹の底からの大きな声は、窓をビリビリと震わせた。
「良い自信だな。やはり貴公只者では無い。儂の二席はこうでなくてはならぬ」
二人が揃って扉を潜る。その脇に控えていた衛兵は、彼らの姿に慄き、槍の敬礼をとり損ねたが、二人の猛将は全くそんなこと気にも留めていない。
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