東條英機の推理・その2
「待て、何故に、石原がここに
東條英機は
「は……それは……その……」
「前に連絡を入れておいた筈ですぞ、東條閣下。『北支方面で不穏なる動き有り。万が一の事が起ころうとも、関東軍および満洲国軍が軽率なる行動を取らぬ事を願う。ついては参謀本部・作戦部長・石原莞爾が新京に出張する故、その際に詳細を打合せたし』とな」
「おい、本当に、そんな連絡が有ったのか?」
「はいッ‼ 確かにその連絡が有り、東條閣下と石原閣下の面談の予定日は本日でありました‼」
「待て、本日、小職と石原の面談の予定が有るなら、何故、その事を今日になっても言わぬ?」
「はいッ‼ 石原少将閣下より当該連絡が有った際に、その事を東條中将閣下に報告した所、東條中将閣下より『石原の事など聞きたくない。奴の名を2度を口にするな』との厳命が有りましたので……」
「そうか……貴公、少しばかり融通の効かぬ点は有るが、上官よりの命令を遵守する点は感心だな」
そう言って、東條英機は、その参謀部の将校の姓名・階級・所属を手帳にメモする。(4人目)
「よもやと思うが、東條閣下、小職に対する個人的感情から、小職との面会を避ける為、有りもしない巫山戯た殺人事件をデッチ上げたのでは有りますまいな?」
「巫山戯ているのはそっちでは無いか、石原少将? 小職が、そのようなコスい真似をする小人に見え……」
その場に居たほぼ全員が、申し合せたように『こいつなら、やりかねん』と云う目で、一瞬だけ東條を見た後に目を逸らした。
その時、車両のエンジンの音がしたかと思うと、何かの車両が停止する音、続いて、車両のドアの開け閉めらしき音が響いた。
「東條閣下‼ 司法解剖の結果を元にした犯人が地面に激突した際の推定速度、建国大学の学者の解析結果、そして砲兵隊による火薬量の推定値が出ました」
そして、やって来たのは、参謀部の階級章の将校が1名。
「よし、これで、犯人が生きたまま岸信介氏の邸宅に侵入した方法は8割がた解明出来たも同じだな」
「新京郊外に
「よし‼ では、岸信介氏の邸宅に向うぞ‼ ……おや、そこに居るのは辻大尉では無いか、丁度良い」
東條は、石原莞爾に付いて来た辻政信に近づくと、手帳のページを破り手渡した。
「何でありますか?」
「この4名の将校、職務熱心な余り、過労気味である故、次の人事異動の際に、楽な仕事に回すよう、陸軍省の人事部に連絡してくれまいか?」
「は……はぁ……」
「あぁ、連絡の際には、この東條英機が
「……嫌な予感しかせんな……」
その様子を見て、石原莞爾が、ボソリと呟いた。
「東條閣下……満洲国皇帝陛下のお住いは、小職が関東軍参謀部に居た頃と同じ場所・同じ建物でございますかな?」
岸信介の大邸宅を見て、石原莞爾は、そう聞いた。岸信介の広大な邸宅は、ガラス片が埋め込まれ、最上部には鉄条網が張り巡らされた、人が登って侵入するのが極めて困難であろう高い壁で囲まれているので『人間1人をかついで、壁を攀じ上り、そして、かついでいた人間を屋敷内に投げ落す』などと云う真似をするのは難しかろうが、石原莞爾が指摘しようとしている問題点はそれとは違うようであった。
「その通りの筈だが、何か問題が有るかな?」
「小職、理想と現実に開きが有るのは、判っておるつもりでは有りますが……流石に、満洲国皇帝陛下の邸宅より、日本より来た一官僚の邸宅の方が豪勢とは、外聞が悪いのでは有りませぬか?」
「はぁ? 何が言いたい?」
「満洲国は表向きは『独立国』ですぞ。しかし、満洲国皇帝の邸宅より、日本より来た一官僚の邸宅が豪勢とは、まるで、満洲国が日本の植民地だと言っているも同然。外国に知れたら、国際的な非難を浴びかねぬと愚考する次第」
「おお、貴公にしては、良い意見だな。では、今後は、関東軍の将官と、日本より来た高級官僚の邸宅の位置・外観は軍事機密に指定する事にしよう」
「はぁッ⁉」
「何が『はぁッ⁉』じゃ⁉」
東條と石原は、互いを「こいつは何を言っているんだ?」と言う目で見た。
かつて、英国の推理小説家であるG・K・チェスタトンは、斯くの如く看破した。
「理性とは、常識や人間的なる情緒が有ればこそ役に立つのであり、それらを失ない『理性のみ』の状態になった者は狂人に過ぎぬ」
と。
だが、それは、こうも言い替える事が出来るのでは有るまいか?
「極めて理性的・合理的である点では共通していても、常識や情緒において大きな隔りが有る者同士は、互いが狂人にしか見えぬであろう」
と。
まさに、この時、石原莞爾と東條英機は、互いを狂人と見做していたが……まだ、真に狂った事態は、始まったばかりであった。
ガラガラガラガラガラ……。
その音と共に現われたのは……旧式の超大型大砲と、大量の火薬が入っているらしき包みを運搬する人夫達……そして……。
「東條閣下……あれは……一体、何ですかな?」
「実験用の猿じゃが、どうかしたか?」
石原莞爾は絶望したような表情で天を仰いだ。
「小職には、その『猿』とやらが、国籍・民族までは不明なれど、丸裸にされて猿ぐつわをされ、縄で繋がれたアジア人男性が十数名、連行されて来たようにしか見えぬのですが……」
「これは異な事を言うな、石原少将。例えば、貴公は、生物学上の問題について、我々、一般的な軍人の意見と、生物学者や軍医の意見が対立した場合、どちらを信用するかな?」
「それは、もちろん、学者や医者の言う事の方を……いや、ちょっと待たれよ……」
「建国大学の学者達も、関東軍の軍医達も、あれは猿じゃと保証してくれたぞ。それも『職を賭して言いますが、あれは猿であります』『天地神明に誓って、あれは猿に間違いありません』とな。それらの者達よりも、生物学の知識において著しく劣る貴公が『あれは人間であって、猿では無い』と主張しても、誰が信用するものか」
無論、冷静に考えれば、学者や軍医が「職を賭して」「天地神明に誓って」わざわざ、ある生物を「これは猿だ」と断言せざるを得ないのであれば、その生物が本当の猿であろうと、そうでなかろうと、明らかに、その学者や軍医が何か異常な事態に巻き込まれているとしか思えぬが、流石に、天才の世評も高き石原莞爾の脳味噌も、この異常なる状況では、些かの動作不良に陥っているようであった。
「いや……確かに、生物学上は霊長類では有ろうが……」
「判ってくれたか。間違いを認めれば、潔く撤回する点は、小職も貴公を見習わねばらなんな」
「なぁ、辻大尉……東條閣下をからかうのも、ほどほどにすべきかな?」
「どうなさいました、石原閣下?」
「あの禿、俺を言い負かす為なら、国を滅ぼす位、平気でやりかねん気がしてきたのでな……」
そして、大砲に、火薬と『猿』が詰められ……大砲の射角が調整され………。
轟音と共に………。
「あれっ?」
発射されたのは、最早、猿か人間かの区別も困難な焼け爛れた肉片であった。
「東條閣下……まさか、人間大砲で、人1人を岸信介氏の邸宅に投げ入れた、と言われるのでは有りますまいな?」
「おい、火薬量を調整して、実験をやりなおしだ」
そして、『猿』の数も尽きた頃、いつの間にか集って来た野次馬の群の間を掻き分けて一台の黒塗りの高級車がやって来た。
「東條閣下、これは一体全体、何の嫌がらせでありますか?」
激怒しながら、車の中から出て来たのは、この屋敷の主である岸信介であった。
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