東條英機の推理・その1
東條英機は、関東軍の憲兵隊を率いて、犯人の家の近辺を捜索していた。
「閣下、僭越ながら意見具申いたしますッ‼」
「何かな?」
まだ二十代と
「憲兵隊と参謀部は指揮系統が異なります故、関東軍参謀長にあらせられる閣下が、我々、関東軍憲兵隊の指揮を取られるのは、
「貴公、姓名と階級と所属は?」
「はッ? 小職の姓名・階級・所属でありますか?」
「いや、目上の者が相手であろうと、信念を持って諌言を出来る者は貴重なのでな。貴公の事は覚えておこう」
「はッ‼ 光栄でありますッ‼」
その憲兵将校が姓名その他を述べると、東條英機は、それを手帳にメモした。(1人目)
「だが、残念ながら、貴公の意見は間違っておるがな」
「はっ? ……と言われますと?」
「今は、非常時だ。満洲国高官の邸宅に対してテロルが行なわれたのだぞ。一歩間違えば、この事件が発端となって、支那やソ連と戦端を開く事態になるやも知れぬ。関東軍参謀長たる小職の職務の一部と考えて問題無かろう。それより、ゴミ箱から何か出たか?」
「生ゴミ・煙草の吸殻・酒の空瓶以外には、何も出ません」
「良く探せ。犯人が『アカ』である証拠は確実に有る筈だ。『アカ』に対する捜査の基本はゴミ箱だ。この家のみならず、近隣の家のゴミ箱も、全て引っくり返して中身を確認しろ」
「閣下、僭越ながら意見具申いたしますッ‼」
また、別の憲兵将校がそう言った。
「何かな?」
東條英機の顔には、相変らず穏やかな笑みが浮かんでいた。
「この長屋に住んでいた支那人は、犯人ではなく、被害者では無いかと愚考いたします」
そうである。「犯人」とは、東條英機がそう主張しているだけであって、この長屋に住んでいたのは、正確には「生きたまま岸信介の邸宅に投げ込まれた結果、墜死した人物」だ。
「貴公、姓名と階級と所属は?」
「はッ‼……」
東條英機は、その将校が言った姓名その他を手帳にメモした。(2人目)
「なるほど、拝聴に値する意見を述べてくれて感謝する。残念ながら2点ほど間違っているがな……」
「は……?」
「この長屋に住んでいた者の肉体は、岸信介氏の邸宅に対して行なわれたテロルにおける『兵器』だ。ならば、『犯人』と呼んで何か問題が有るかね? そして、犯人である事が明らかな者である以上、犯人として扱って何の問題が有る? そして、テロルの犯人であれば『アカ』である可能性が高かろう。さぁ、犯人の家の捜査を続け給え。見付かったゴミ箱は、これだけか?」
「ええ……、ところで、閣下、もう1つの間違いとは何でありましょうか?」
「満洲国には、公式には、支那人ないしは中国人など居ない」
「はっ?」
「満洲国政府の公式見解では、この国の人口の大半は『日本人』『朝鮮人』『満洲人』『蒙古人』で占められている。言葉は正しく使ってくれ給え。犯人は『満洲人』だ。他の地域では『支那人』と呼ばれ、『満州人』とは区別されるやも知れぬが、ここは満洲国だ」
「あの……意見具申いたします……」
3人目ともなると、段々と、口調に自信が無くなっていったようであった。
「何かな?」
「例えば、他の地域で『支那服を着て支那語をしゃべっていた支那人』と呼ばれるであろう人物と『満服を着て満語をしゃべっていた満州人』と呼ばれるであろう人物の区別が曖昧だと、捜査上、問題が有るかと愚考します」
「貴公、姓名と階級と所属は?」
「はッ‼……」
東條英機は、その将校が言った姓名その他を手帳にメモした。(3人目)
「率直なる意見、感謝しよう。残念ながら、完全に認識不足であるがな」
「は……はぁ……」
「捜査において何らかの制約が有るのは毎度の事だ。その程度の問題など、貴官らの能力と努力で何とかしたまえ」
その時、大声を響かせた者が有った。
「閣下‼ この近隣の者達が『アカ』である証拠を見付けました‼ 御覧下さい‼ 赤旗です‼」
その大声の主も若い憲兵隊将校であり、黄色で「関」と書かれた赤い旗を、両手に掲げていた。
「うむ、確かに赤旗だな。どこに有った?」
「はい、近くの怪しげな
「なるほど。その
「はい。御覧下さい」
続いて下士官2人が、赤ら顔に、長い髭、中国風の鎧を着て薙刀のような武器を手にした武将の像を運んで来た。
「こ……これは……まさか……日本の戦国武将・加藤清正の像か?」
確かに、「長い髭」と云う点では、日本における一般的な加藤清正の像と共通点が有った。ただし、それ以外の共通点の有無については言わぬが花であるが。
「小職には判断いたし……」
憲兵将校の1人が、そう言いかけた瞬間、他の憲兵将校達が一斉に身振り手振りで『余計な事をしゃべるな』と云う仕草をする。
「加藤清正は、日蓮宗信徒の間で尊敬を集めておるな」
「は……はぁ……」
「その加藤清正の像が『アカ』の巣窟から発見された訳か」
憲兵達は、不安気に顔を見合わせた。
「ならば、日蓮主義者即ち共産主義者と見做して問題有るまい」
幸か不幸か、憲兵達の顔に「もう、この件には関わりたくない」と云う表情が浮かんだのを、東條英機は気付いていなかった。
「そして、陸軍有数の日蓮主義者と言えば、ヤツだな」
その場に居た、ほぼ全ての者達は、東條英機が何を言いたいのか察したようだが、同時に、どう反応すべきかは迷っているようであった。
「東京の憲兵司令部に至急連絡してくれたまえ。『陸軍参謀本部・作戦部長・石原莞爾少将が新京にてテロルを行なった共産主義者と通じている動かぬ証拠を発見せり。至急、石原莞爾少将を拘束されたし。抵抗したる場合は射殺も止むなし』とな」
「ふざけるなッ‼ それのどこが
「興味深い意見具申、感謝しよう。残念な事に、その意見には、1つ問題が有るがな」
「どう云う問題だ、禿⁉」
「貴公の意見は、一から十まで明らかに間違っていると云う事だ。時に、貴公、姓名・階級・所属を言ってもらえぬか? 貴公のような上にもズケズケと者が言える若者は、将来、大物になると思うので、覚えておきたいのでな」
「俺の声を忘れたか? 陸軍参謀本部作戦部長・石原莞爾少将だッ‼ 念の為に言っておくが、東京に連絡しても、俺を拘束も射殺も出来んぞ。俺は、今、この新京に居るのだからなッ‼」
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