第5話
「恋ってさ」
お昼休み。いつものメンバーで集まってお弁当を食べていたら、突然こう口を開いた子がいる。
「金木犀の香りに似てると思わん?」
彼女はいつも突然変なことを言い出すので、まぁ誰も気にはしていないんだけど、この日は何故か妙に気を惹かれて、続きを聞いてしまった。
「金木犀ってさ、すごい匂いがするやん。甘い、いい匂い。でも、どこに木があるかわからん時ってない?」
「あぁ……確かにそういう時あるかも」
別の子が相槌を打つと、彼女はまた、どこか得意げになって話を続けた。
「せやろ?でさ……恋ってそういう始まり方するんちゃうかなって思ってん。なんか気がつかんうちに好きになっててな、それがはっきりわかった時にはもうすっかりハマってるねん。金木犀の香りに包まれてるみたいに、そこらじゅう甘い香りするねんな」
うんうんと頷く一同。彼女はさらに続ける。
「でも、木がわからん時があるやん?恋もそうやと思うねん。気がつかんまま、なんとなく好きやねんけど、それだけ。でな、時期が終わると、知らんうちに花が落ちて、香りもしなくなってる。そんな風に気がついたら終わってる……そういうこともあるんちゃうかなぁって思ってん」
どこか遠い目をする彼女。要領を得ない話だったけど、何か感じるところがあったんだろう、みんなも同じように遠い目をして、薄曇りの空を見上げていた。私はいまいちよくわからなくて、どんな顔をしていいかわからないまま、そんな友人達をぼんやり眺めていた。
そんな話を、私は何故か彼に語って聞かせていた。
いつもの夢。長くなった夜に、二つの月が上って、バルコニーに丸いテーブルが生えて、青いコートの彼は気怠げにカップを傾けている。彼が用意してくれたモンブランにフォークを入れると、彼はようやく言葉を発した。
「……なるほど、なかなか良い感性をお持ちのご友人がいらっしゃるのですねぇ」
「良い?そうかなぁ……いっつも変なこと思いつくし、独り言多くて一人で賑やかで……」
「それ故に、好まれている。でしょう?」
彼のいう通りだった。
あの子は去年の夏に転校してきた子で、最初はみんななかなか打ち解けられずに大変だったんだ。最初に声をかけたのは……確かコモだったかな。
「人の心の機微というものは私には解りかねますが……」
彼が置いたカップはテーブルに溶けて消え、代わりに何枚かの便箋がひらひらと風に吹かれていた。その一枚を手にとって、彼は見るともなしに風に吹きさらした。指から滑って、バルコニーの向こうに飛んで行った。
「おおよそそのような感性によって、人は惹かれもし、また疎まれもする。花の香りも同じかもしれませんねぇ」
そして彼は除虫菊に例えて、ある者には毒になることだってあるものだ、と言った。そういうこともあるでしょう。と、私の方の向こうのほうをぼんやり眺めながら、そう、呟いた。
「うーん……そう言われればそういうこともあるのかな。そういうのって結構直感だったりしない?直感は間違わないっていうか」
「なるほど。それも一理あるでしょう。見えざる木の見えざる香りのような、見えざる心の働きによって……ということなのかもしれません」
「へ?なにそれよくわからないなぁ……」
まるであの子の言い分みたいだ。私にはよくわからない。大体、彼のこともよくわからないけど。わからないまま、夢を見ている私だって、よくわからないものなのかもしれない。
モンブランの最後の一口を食べ終わる頃、彼は不意に立ち上がり、二つ、重なりそうな月を見上げた。夢の中で彼は、よく月を見上げる。お月見が好きなんだろうか。
二つの月は、私が知る限り、別々の軌跡を取っている。こんなに近くにあるのは初めてだった。いずれ重なり、また、離れていく。その様を無言で見つめたまま、私達はいつしか夢から目覚めていた。
朝だった。
暖かいベッドを抜け出して、窓を開けると、冷えた空気が私を容赦なく責め立てる。月はもう沈んで、小鳥たちが付かず離れず、じゃれ合いながら飛んでいる。まだ夢の中にいるような、そんな感覚。見えない木の、見えない香り。
繰り返し見た夢の中の彼の顔が、今はぼやけている。
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