とある廃墟にて

「事件について調べてくれって頼まれたんだが、現場からを持ち出せねぇから、ここへお招きしたってわけだ」

「お招きして頂かなくて結構なんですが」


 僕は「お招き」を受けた廃墟の埃っぽさに閉口していた。閉め切られた窓ガラスにはひびが入り、テープで雑に修復されている。部屋にあるのはいくつかの段ボール箱。ゴミの類は置かれていないが、とにかく埃っぽい。長らく人の出入りがなかったのだろう。今回の事件が起きるまでは。

 今回の「依頼」は殺人事件の調査だった。遺体が酷い有り様であるため愉快犯の仕業とみた警察から、元警官、現職探偵の萩原さんに話が来たという。そして現場の遺留品が気になった萩原さんは、警察が現場から引き上げた後、僕に「依頼」を持ち込んだのだ。

 僕はいわゆる「サイコメトリー」ができる。遺留品が持つ過去の記憶を「見て」、萩原さんに詳細を伝えるのが僕の役目だ。それ以上の介入はしないし、したくない。

 そんな僕が事件現場に足を運ぶのは、異例中の異例だ。萩原さん曰く、「見て」ほしい遺留品が現場から動かせず、僕が現場まで出向くしかないのだとの事。そうまでして僕の能力が必要とは、余程奇妙な遺留品なのだろう。実際、それは異様な在り方をしていた。

 目の高さくらいの位置の壁に、二センチほどめり込んだ遺留品。それは直径三センチくらいの真っ青な円形のガラスで、真ん中には白と青で目玉のようなものが描かれていた。トルコあたりの土産でこんなデザインを見かけた気がするが、記憶が定かじゃない。


「これは確かに動かせませんね」

「だろう? 犯人は何故わざわざ壁を掘ってこんな物を残したのか。それが知りたい。報酬は警察からむしり取ってやるから、頼む」

「報酬いらないんで、さっさとこんな所から帰りたいです」


 上着の袖をまくり上げ、僕は指先で壁の遺留品に触れた。

 ザンッと音を立てて、現在の光景が過去に変わる。


 真横に視線を感じてそちらを見ると、そこには一人の男が立っていた。僕の左手と同じ位置に左手を当て、黙ってこちらに顔を向けている。

 僕より背は高め。平日のオフィス街で見かけそうな普通のスーツ姿。微かに白髪まじりの短髪。髭は伸ばしてない。楕円のレンズ、縁無し眼鏡。


 ――この人が、犯人?


 人相をよく覚えようと、男の顔を正面から見つめる。すると、男は右手で僕を指差して笑った。


「そこの君、君だよ。ねぇ、?」


 驚きのあまり、思わず左手を離す。男は消え、元の景色に戻った。


「早いな、もう『見えた』のか?」

「……


 これまで感じたことのない悪寒が、首筋を伝う。僕のただならぬ気配に、萩原さんも顔色を変えた。


「は?」

「集中します、少し待って下さい」


 唇をぎゅっと結び、今度は慎重に遺留品に触れる。真横に再び、男が現れた。


「もう分かったかな? 君が過去を見通すように、私には未来が見通せる。だから未来の君と、こうして話せているんだ」


 男はさも当然のように僕との会話を試みている。だが、時を超えて会話するなんてありえない。


「僕と話すためだけに、こんな事件を……」

「嫌だなぁ、違うよ。よく『見て』くれ」


 あたかも今この場にいるかのように答える男。過去から今が「見えて」いるというのは本当のようだ。


「被害者がそこで死ぬのは、私がいる今から数時間後。やったのは一人の浮浪者。そうだな、そちらの時間から約半日後、彼は逮捕される。君の『見た』情報によってね」


 そう言って、男は満面の笑みを浮かべた。不気味なほど陽気で、ホラー映画の道化師を思わせる。


「感謝してくれたまえよ。私が残したそれのお陰で、君は犯人を知ることができるんだ。まぁ、それを残した理由は別にあるんだけどね。君と話が出来たら面白そうだからって、ただそれだけ」


 男はくつくつと笑った。多分この男、イカれてる。歪んだ笑顔に吐き気を催すが、奥歯を噛みしめ我慢する。


「貴方は、自分の快楽の為に『見て』いるのか?」

「へぇ、これは予想外だ。そんな当然の事を聞くなんて」


 僕の問いかけに、男は大袈裟に目を丸くしてみせた。軽く尖った口元もあわせて、今度はの面みたいだ。


「逆に聞こうか。君は、『見える』ことが楽しくないのかい?」


 男は首を傾げる。動きが一々大袈裟で、質の悪い演劇でも観せられている気分だ。だが何故だろう。男の言葉には、ぞっとする程の力強さを感じた。心の奥底を暴かれているような、あるいは遥か高みから見下ろされているような。


「楽しいと思ったことなんて、一度もありませんよ」


 精一杯の気勢で、苛立たしく吐き捨てる。すると男は、こらえきれないとばかりに吹き出した。


「ふっ、あはははは! 気に入った。あぁ、大いに気に入った! 君とは、近いうちにまた会うよ」


 男はそう言うと、手をすっと離し部屋を出ていった。


 ――萩原さんの事も「見えて」いるという事か。


 暫くして、犯人と被害者らしき二人が部屋に入ってくる。その光景をしっかり覚え、僕は改めて左手を離した。景色は現在に戻り、そこには本気で心配している風の萩原さんがいた。


「何があった? 何を喋ってたんだ」

「一人の男が、僕に話しかけてきました。未来を見ることができる。男はそう言ってました」

「……嘘ではなさそうだな」


 萩原さんの言葉に、僕は黙って頷くしか出来なかった。

 未来が見える男。未来の凄惨な事件を知っていながら、止めようとしなかった男。それより僕と話をしたいという理由で、おかしな遺留品を残していった男。


「で、そいつが犯人なんだな?」

「いえ、犯人は別にいます」

「え、マジかよ」

「ちょっと待ってください、犯人の特徴はですね……」


 僕はいつも通り、「見た」ものをつぶさに萩原さんへ告げた。


   ◇


「ご丁寧に逮捕の時間まで教えてくるとは、なんともいけ好かない野郎だ。こちらを嘲笑ってやがるんだろうな」


 警察の知り合いに電話した後、忌々しげにガムを噛みしめる萩原さん。僕自身、殺人現場以上に気味悪いものを見せられた不快感が残っていた。


「彼はいずれ、僕らの前に現れます。少なくとも、味方ではないでしょう」


 僕は確信を持って、そう言った。

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