喫茶店の奥にて

 俺の名は萩原。身嗜みになんか一切気を使わない、ただの私立探偵だ。

 素行調査、不倫の証拠取り、人探し、物探し。俺のところへ来る仕事は、ざっとこんな感じだ。大抵は一人で解決出来るんだが、物証が足りなくて調査が行き詰まる事も少なくない。


「はぁ、またワタルのところへ行かなきゃならんな」


 硬貨を数枚引っ掴み、俺はいつもの喫茶店へと足を向けた。


   ***


「いらっしゃいま、せ……」


 ドアベルの音に続いて聞こえてきたのは、まだ若い青年の声。ワタルらしい、なよなよした暗めの声だ。目が合うと、ワタルは心底嫌そうな顔をした。

 レトロな内装の喫茶店。そのカウンター内でコーヒーカップを拭くワタルの姿は、一応さまになっている。毎日アイロンをかけているらしい制服から、かなりの神経質であることが窺える。

 カウンターの空席――この店のカウンターが埋まってるとこなんか見たこと無いな、そういえば――にどっかと座り、無言で小銭をポケットから取り出す。それが俺の「依頼」の合図。

 ワタルは一つため息をつき、店の隅でコーヒーを淹れるマスターへと視線を投げる。俺は速やかに奥の小部屋へと通された。


「今日の品は何ですか?」


 ワタルは不機嫌な表情を隠そうともしない。それでも俺好みの薄味コーヒーを淹れて出すあたり、俺に対する譲歩はあるのだろう。


「今回はこれだ」


 俺は懐からイヤリングの片割れを取り出した。小さな白真珠が一つ、悲しげに輝いている。


「不倫調査、ですか?」


 人に無関心なワタルが「依頼」の内容を聞くとは珍しい。


「ほう、興味があるか」

「いえ、全然」

「嘘つけ」


 俺はにやりと笑ってみせる。詳細は語らない。俺はこう見えて守秘義務にはうるさいんだ。


 一週間前、依頼人からはこんな話を聞かされた。


「このイヤリングの持ち主である『愛人』が前から夫に付きまとっている。この機会にきちんと別れさせたい」


 だが、調査の途中で分かった事がある。どうも依頼人には、汚い手段で強引に今の夫と結婚した経緯があるらしい。依頼人の夫が元々付き合っていたのは今の「愛人」で、略奪したのはむしろ依頼人の方、ということだ。

 嫌な予感がした。俺が知りたいのは、依頼人に肩入れすべきか否か、その一点のみだ。その為に俺は、今回もワタルの力を借りることにした。

 ワタルは「サイコメトリー」が出来る人間だ。つまり、物が持つ「残留思念」を覗き見る事ができる。但し、集中できる環境である事と、左手で触れられる事の二つの条件が必要らしい。俺達が奥の小部屋に入ったのは、何も俺の服装が汚いってだけの理由ではないわけだ。


 ワタルはイヤリングを左手で握り込んだ。真珠そのものに触れないようにとの配慮なのか、握り自体は緩めだ。間もなく、ワタルの眉間にしわが寄る。その表情は、徐々に苦悶と悲嘆に包まれた。

 数分後。


「萩原さん」


 泥水を被ったみたいな酷い顔で、ワタルは喉の奥からかすれ声を発した。


「明らかにしない方が良い過去ってものが、この世の中にはあると思いますよ」


 聞き覚えのある言葉だった。はじめてワタルに会った時も、こいつはこんな風に言ったっけ。あれも相当胸糞悪い事件だった。


「返してやった方が良いか?」

「そうしてあげて下さい」


 ワタルはイヤリングを軽く拭き、そうっと机に置いた。

 今回、何が見えたかは聞かない。聞かなくて良い。俺はこいつの感性に全幅の信頼を置いているし、こいつは「見えた」ものに対しては絶対に嘘をつかない。そういう奴なんだ。

 全く気が合わない俺達は、ワタルの能力に関してだけ分かり合っているのだろう。


「はー、今回はおけらかあ」


 コーヒーの残りをぐっとあおり、俺は椅子にもたれて仰反る。染みひとつない白の天井が、少し眩しい。

 くい、と首をワタルの方へ戻すと、ワタルはかなり驚いた顔をしていた。なんだ? 俺の事を守銭奴と思っていたのか、こいつは。


「意外でした。萩原さんは、もっと小狡く立ち回る人だと思ってました」

「馬鹿言え」


 俺は普通に座り直し、イヤリングを小袋に押し込んで懐にしまった。そしてついでに厚めの封筒を取り出し、ワタルの前に置いた。


「すまんな。前回の報酬は置いていくが、今回は多分ただ働きだ」

「ご心配なく。萩原さんからのお金は一切使ってないので。宜しければ全てお返ししますよ」

「かっわいくねー奴だな、お前」

「萩原さんに言われても何とも思いませんね」


 そんなやりとりの間に、ワタルは封筒を服の裏ポケットにしまっていた。最初の頃、嫌がって受け取らなかったのが嘘みたいだ。けれどワタルは変わってない。「使ってない」とは、そういう事だ。


「じゃ、これで失礼するな。マスターにも礼言っておくから」

「お願いします」


 早くもカップを洗い出したワタルに背を向け、俺は部屋を後にした。

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