1-D 死神の目、人間の目
蝉が鳴いている。この辺りで鳴いているのはクマゼミという種類だそうで、アブラゼミに比べると鳴き声が重い。頭に響くというよりは胃腸にのしかかる騒音だ。とある木の下を歩いていた時など、あまりのうるささに耳を塞いだほど。思わずやかましいと苦笑いを浮かべてしまった。虫採りをする小学生にとってはこれが天使のlove songに聞こえるのだろうか。
今朝も暑い中、数名の子供らが汗びっしょりになりながら、網を片手に虫かごを首から下げて蝉採りに没頭していた。近年残念ながら確実に減少している、夏休みの微笑ましい一幕である。
茹だるような暑さというらしい。湯で煮られたかのような、という意味らしいが、適切だと思う。自宅から店舗までは歩いて15分。まだ午前中の早い時間にもかかわらず、歩いているだけでも汗がとめどなく滴り落ちる。暑いというか重いというか、蒸してうるさくて。その日差しの強さで視野は狭まり、なるほど、脆弱な人間族が倒れるのも無理なかろう。15分の並足のあとに自動扉を開けると汗が引き、思わず深呼吸する。この上ないひと時である。
本日の最高気温37.3度。猛暑日と呼ぶそうだ。夏日とか真夏日という季節の括りではもはや間に合わないのだろう。駐車場の掃除中、ついでにアスファルト付近の温度を調べてみた。手をかざせば造作もない。41.3度。インフルエンザか。いつから日本はこんな暑い国になったのだ。今年は特別なのか、温暖化の影響なのか。夏の顔色が、日本の夏の風が、変わった。
かつて度肝を抜かれた気象情報。小売業に携わる者として日々欠かさず最新情報を頭に入れるよう意識しているのだが、いつの頃からか熱中症情報なるものも流れ始めた。厳重注意とか危険という文字が並べられているが、いまいち具体的な対処法は示されていない気がする。注意して、警戒して、というのは分かるのだが。あれだな、竜巻注意報と同じだ。なかなか、どうして、どうしようもない。
そんな日本の夏を相手にしても、元気いっぱい外で遊ぶ子供たちには大変好感が持てる。日中35度を超える炎天下、帽子もかぶらず水分補給もそこそこに、というのはさすがに考えものだが、ボールを投げ、虫を追いかけ、プールで泳ぎ、キャッキャ・きゃっきゃ走り回ったりと元気である。疲れを知らないほどに夢中。良いことだ。見習うべき点があろう。
死神の俺様とて幼少時代はあった。このように夏休みの子供たちを目にすれば昔を思い出すこともある。今でも鮮やかに蘇るのは友人2名、3人で遠出したこと。自転車にまたがり、ちょっとした冒険の旅だ。何日も前から地図を広げて目的地までの道のりを繰り返し話し合った。鉄道の駅で9つ程。ああだ、こうだ、そこは川だ、と道に沿って赤ペンを走らせる作業は楽しかった。コピーした白地図を何枚使ったろうか。ろくに計算もしないで休憩地点を決め、昼食ポイントを定め、目的地到着時刻を記した。数日前から天気予報を気にして、雨具の必要はない・・・ことに・・・喜ん・・・だ・・・
何だ、この記憶は!?そう、確かに天気予報を見ていた。冒険当日、おにぎりを背負って自転車を走らせ、気温30度超の中流れる汗を首に巻いたタオルで拭きながら、迷いながらも約6時間かけてゴールした。ただし帰りの分の体力を3人とも残しておらず、駅員に頼み込んでチャリンコごと電車に乗っけてもらった・・・という記憶が、俺には・・・ある。
今や日本の夏は各地で35度を超えることが珍しくない。熱中症による事故が連日報道される。元気に外遊びするだけのことにも危険がつきまとう。ここまで来ると子供だけで気をつけてどうにかなるレベルではなかろう。命を守る行動を考えれば、家の中でテレビゲームにでも熱中してくれている方が安心なのかもしれない。無論、勉強や読書の方がより一層ということもわかるが、それだけというわけにもいかないだろう。子供にとっては遊びも仕事のひとつだ。
屋内での遊びか。昨今はあまりボードゲームをやらなくなったようだが(大人数が必要だからだろうか。っていうか、モノポリーとかはおもしろかったな。)、カードゲームが人気だという。トレーディングカードと呼ばれるもので、カードの収集と友達同士のカードバトルが子供たちを熱中させるようだ。小学生向けの月刊誌では漫画が、さらにテレビアニメ化していることからも子供の人気は十分といったところだろう。それはつまり、大人の経済活動にとって美味しい果実なのだ。
トレーディングカードはコンビニでも売っている。専門店のように膨大なカテゴリーを扱っているわけではないが、人気トップ3くらいまでのカードを販売している。それだけでも十分に客寄せとなるのだ。子供寄せになるのだ。よくよく考えてみればトレーディングカード専門店など此処彼処(ここかしこ)にあるわけではない。友人と集まってカードを買って、ワイワイ袋を開けるのに最適な場所が、コンビニなのかもしれない。さすがの俺様もカードゲームのルールまで学んでやろうという意欲と関心はないが、美しいと思う。
まず、シールではなくカードにした点。一昔前はとあるシールが社会現象まで巻き起こしたが、買って集めて友達と見せ合い、あまり積極的に交換(トレード)はしないようだが、遊ぶ分(デュエル)にはカードの方が扱いやすい。根本的に貼るというシール機能が正直不要という話もあるが。
次は大きさ。大きすぎず、小さすぎず。精巧なデザインが映え、文字も読み易いこのカードサイズとういのは絶妙だ。遊ぶ際にもしっくりくる大きさである。もしかしたらトランプが大本だろうか。そうだとしても強度、カードの硬さまでトランプの真似をしなかったこともポイントだ。トランプよりもやや硬めに作ってある。子供は何度でも何回でも同じものを見るぞ。読むぞ。観察するぞ。飽きることなく。次のお気に入りが見つかるまで呆れるくらいに見つめ、手に取り、また眺めるものだ。
さらに言うなればその永続性。この辺りにやはり大人の強かさを感じずにはいられないのだが、カードの中にはレアカードと呼ばれるものやウルトラレアなるものまで存在する。通常のカードよりも袋の中に入っている可能性がうんと低い。引き当てた子供は皆一様に驚きと喜びの表情を浮かべる。回りの友達は羨ましがり、己の選んだ袋を後悔するのだ。けれども決して、最強というカードは存在しない。絶対的な1番というものは作られないのだ。常にbetterというものは提供されるがbestなるものが提示されることはない。最強を作り上げた途端にそのシリーズが完結してしまい、カードをコレクトする意味が薄まってしまうからだ。少数ではあるが複数のカードに主人公かつ最強の可能性を残しているものの、漫画にしてもアニメにしても一時的な主人公はいても、完璧なる存在は設定されない。それが一種の中毒症状を発生させるのだろう。
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