小鳥3

 その日、リテリアはいつも通りに、数多く与えられている自室の一つに一人きりでいた。弦を手遊びにぼんやりとする。母がいないと自分以外に聞かせる相手がいないので、張り合いがない。その時、奇妙なざわめきが耳に入ってきた。


 顔を上げた彼女は、思わずあっと口を開けた。普段は見ない顔が部屋に侵入してきたのがわかったのだ。


「リテリア、今日も一人で暇そうね。このわたくしが邪魔しに来てやったわよ!」

「ララティヤお姉様!?」


 リテリアはいかにも意地悪そうに言い放たれた割に、嬉しそうな反応を返した。

 バスティトー二世の長女ララティヤは激しい気性の持ち主だったが、裏表がなくはっきりと物を言う。

 その性格はむしろうらやましいとすら思えるもので、あちらから一方的に嫌われているだけ、リテリア自身からはララティヤに敵意の類いや苦手意識すら抱いていなかった。


 ド派手に、下手をすると女王よりも豪華に着飾った十四の姉は、動く度にじゃらじゃらと重たそうな飾りの音を鳴らす。成熟の早い彼女は、凹凸の出始めた身体に結構きわどい露出衣装をまとっていて、それが妖しい色気を醸し出している。


 同じ王女でも、リテリアは華美な装飾にさほど興味がなく、王族にしては地味すぎるほどの色合い、肌の線もほとんど出さないような服が多かった。何しろ人間の王女が着飾ったところで興味を向けてくれる相手なぞほとんどいないし、母はむしろリテリアが目立つことに苦言を呈する事が多かった。


 長女は次女の反応がお気に召さなかったのか、フンと大きく鼻を鳴らし、本来の部屋の主であるリテリアを差し置いて、一番座り心地の良い場所に腰を下ろす。

 すぐに、いつも長女にくっついて回っている九歳の三女ルルセラもやってきて、こちらはララティヤの脇に、まるで侍女として控えるがごとくすっと収まった。

 末の妹は装飾品だけは姉と同じように豪華なものの、身体を覆う布はリテリアのまとっている衣装の構造とそう大差なく、姉に比べて露出は控えめだった。

 それはいつも一緒にいる姉妹の性格の違いと、力関係を正確に表しているかのようだった。


「ごきげんよう、リテリア姉様」

「ごきげんよう。ルルセラも元気そうで何よりよ」


 ルルセラの方は相変わらず声をかけても反応が鈍く、何を考えているのかわからない。ただ、長女が駄目というから言葉を出さないだけで、たぶん嫌われてはいないだろうとリテリアは感じている。


 それにしても、ララティヤはいつもなら徹底してこちらを避けているのに、今日はまたどういう風の吹き回しだろう?


 リテリアは内心首を捻りつつも、いそいそとクッションを差し出す。早速ララティヤは我が物顔で三つほど占領し、自分こそが部屋の主だとでも言うかのようにくつろぎきった姿勢、優雅に寝そべったまま切り出した。


「わたくしがここにいるのが腑に落ちないって顔ね」

「ええと……その」

「ま、いつもだったらあんたの顔なんて見たくもないけど、今日はあんたを少しいじめられる話があるから来てやったのよ。だからもっといやそうな顔をしなさいよ、さあもっと不快でたまらないって態度になりなさいよ……涼しげにしちゃってなんて子なの、これだからあんたは嫌いなのよ!」


 ララティヤはお得意の高慢な顔をして得意そうに言い放つが、リテリアは思わずぽかんとした後、苦笑いが飛び出そうになるのを必死で抑える。何せいじめられる話とやらにまったく心あたりがないし、姉のいびり方は清々しすぎて逆に悲壮になる余地がない。むしろ話してくれるだけ嬉しい。

 わがままで、当たりが強い事で有名な長女だったが、癇癪に慣れてしまえば単純な人物だ。案外、四兄妹の中で一番つきあいやすいのは彼女なのではないかと思ってしまうほどに。


 ともあれ、リテリアの余裕が崩れないからだろう。ララティヤはイライラとした様子で尻尾を素早く振り回しながら、優雅に行儀悪く頬杖をついた。


「フン! そんな顔をしていられるのも今のうちよ。ロステムは今日ここに来られないんだから」

「ええ、そうらしいけれど」

「あら何よ、もっと残念がってるかと思ったら案外淡泊じゃない。いつもべったりしてるくせに」


 ララティヤがルルセラに目配せすると、ルルセラはこくこくうなずく。リテリアはびいん、と弦を指で弾きながら苦笑して答えた。


「別にそんなつもりはないわ。お兄様が少し……その、過保護というか、構い過ぎというか……それだけよ。だって、お母様やお姉様が冷たすぎるんだもの、きっとその分を私で紛らわせているんです。お姉様、せっかく兄妹なのですから、もう少しお優しい言葉をかけても――」

「いやよ。絶対に、いや。わたくし、あいつのこと大っ嫌いだし、苦手なんだもの。あのツーンとすました横顔、お母様にそっくり! 外面が良いだけに、より一層腹が立つわ、中身はろくでなしのくせに。ああ、話題に出しただけで寒気がする!」


 ララティヤが大げさに腕をさすると、横でルルセラも真似をして二の腕をさすさすと触っている。リテリアがどうしてここの家族達はお互いに似たような事を言って遠ざけ合っているのか、と少々気を遠くしていると、ふと長女の鋭い視線を感じた。


「ふうん。なぁんだ、わたくしたちに対抗してそっちでまとまるのかと思ったら、あんたからはロスにぞっこんって程でもないのね」


 何かまた知らないうちに機嫌を損ねたのだろうか、と身を縮める次女を見たまま、長女はごろんとうつぶせに体勢を変えて目を細める。ルルセラも姉の上にころんとうつぶせに転がったが、三女のことは怒らない。リテリアはわずかにうらやましげな視線を二人に投げかけた。


「お兄様はお忙しいお人だもの。それに王太子よ? 私とは立場が違います」

「そうね。もうすぐ大人になるんですもの。だから縁談の一つや二つ来てもおかしくない」


 ベン、と間抜けな音が弦から漏れた。いまいち話がどこに向かうのかわからず曖昧な表情を作り続けていたリテリアだったが、ララティヤのちょっとした爆弾発言に今度こそ目を丸くする。


「……縁談?」

「なんだ、そのぐらいの反応はしてくれるのね。良い子のあんたは大嫌いだけど、素直で嘘を吐かないところは嫌いじゃないわよ」

「――ああ、そういうこと! つまりお兄様は今日、お見合いをしてらっしゃるのね? 今朝お会いした時、なんだか様子が違うと思ったの」


 ララティヤの言葉にリテリアは驚いたが、同時に納得した。今朝、いそいそやってきたロステムは、常に増して気合いの入った格好で、一目で何か大事な用事がある日なのだとわかった。そんな忙しい時にわざわざリテリアに会いに来て、今日は面倒を見られない、とか言うものだから、リテリアは兄の気遣いに恐縮すると同時に、そこまで自分は聞き分けのない子どもではない、と密かに心中で頬を膨らませていたのだ。


「そうよ。それにしても、ハン! やっぱりあのグズ、隠して後でうまいこと後で丸め込むつもりでいたのね。そんなことだろうと思ったわ、目論見が外れていい気味よ!」


 今度こそ自分のほしい反応を得られたのか、満足そうにララティヤが喉を鳴らして笑う。

 しばらくぼーっと兄のお見合いについて心を巡らせていたリテリアだったが、ララティヤの長い尻尾がべしんと床をはたくのを聞いて我に返った。


「でも、お兄様は大人になられるのでしょう? 良いことのはずだわ。どうしてそれを、わざわざ私に隠そうとしたのかしら。変な人ね、朝に教えて下さったらお祝いを言えたのに。あら、朝の時はまだお見合いの前なのだから、健闘を祈る方が合っているかしら?」


 暢気にうきうきと語っているリテリアに、ララティヤは何故かやや冷たい視線を投げかける。


「ふうん。あんたはそれでいいわけ?」

「どういうこと?」

「だから――たとえばね。ロステムに恋人ができたら、前ほどあんたのことを構ってくれなくなるかもしれないじゃない。それこそちょうど今も長期ご不在中の、うちの女王様みたいに」

「お兄様が構ってくれなくなる?」


 リテリアはきょとんと小さく呟いてから苦笑いを深めた。


「そんなの昔から、いつかはそうなるってわかっていたことだもの。お姉様にわざわざ言われるまでもなく、当たり前の事でしょう?」

「じゃ、あんたは――ロステムが誰とくっついても、いいって思ってるの?」

「興味関心がないわけではないのよ、もちろんどなたがいらっしゃるのかは気になるわ。でも、私がどうこう言っても仕方ない、世情に疎い第二王女ごときが口出しすることではないでしょう? 私がいくらお兄様をお慕いしていようと、お兄様がいくら私を可愛がってくださろうと、それとこれは別の話。一応私だって端くれでも王族の一人ですもの、結婚については、家族のことも自分のこともわきまえているつもり」


 ララティヤはじっと瞬きもせずリテリアを注視していたが、はん、とわざとらしく鼻を鳴らした。


「実に模範的回答だこと、さすがは優等生! わたくしは、わたくしとルルセラの伴侶は自分で選ぶわよ。身分やしがらみなんて気にしない。ただ一つ、わたくしたちの出す条件を守ることができるなら」


 姉の言葉にリテリアは思わず目を見張る。危うく間抜けにあんぐり口を開けそうになったが、なんとかとどまった。


「お姉様、まさかルルと一緒に同じ人に嫁ぐつもり? しかも恋愛結婚ですって?」

「もちろん。可愛い妹を一人にはできないもの」


 リテリアの耳には、その後ごくごく小さい声で「それにルルはわたくしがいないと何もできない子なんだし」と付け加えられたのが届く。


 次女が驚いたのも無理はない。

 亜人の世界では重婚は認められておらず、一夫一妻が基本だ。新しい妻を迎えるには、前妻が死別しているか、きちんと手続きにしたがって離婚を済ませている必要がある。もちろん、権力者が正式な妻の他に愛人を得ることや、自分の奴隷に子を産ませることは許容されている。


 けれど神や法の下に誓いを交わせるのは基本的に一人だけ。

 バスティトー二世の御代になっても、それは変わらない決まり事だった。


「女王陛下ならお許しになるわよ、きっと」


 リテリアが迷い、躊躇しながらも口を開こうとすると、何かを察知するようにララティヤは先に言葉を上げる。


「だってあの人はわたくしのことなんか、何とも思ってないんだから。ルルセラもね。目障りでさえなければいいのよ。ロステムには引き継ぐ立場のことを考えているでしょうけど、娘達なんていてもいなくても大差ないのよ。……お強い女帝様が囲っていてあげないとあっという間に食われてしまうでしょう、どこかの哀れな人間以外は」


 リテリアはララティヤのどこか有無を言わせない雰囲気に、それ以上何か言うことができなかった。気まぐれで短気な長女はあっという間に自分で作り出した居心地の悪い空気を忘れ、のびやかに身体を伸ばして甘ったるい声を末妹にかけた。


「あーあ。それにしても、せっかく少しは退屈しのぎになるかと思ったのに、こんな真相だったってわけね。つまらない。ねえルル、あなたもがっかりよね? ロステムの完全な独り相撲だなんて! まあ、完全無欠でらっしゃるあの横顔の泣き面を想像して、ニヤニヤ笑ってやれる程度の楽しみにはなったかしら。馬鹿な男!」


 ララティヤがクッションを抱えてごろごろすると、上に乗っていたルルセラはさっとどいてこくこくうなずいている。妹は妹で、両手の中に触り心地のいいクッションをちゃっかりとキープしていた。

 リテリアは、姉はいちいち兄について大げさに語ると思いながら再び楽器をもてあそび始めた。するとララティヤは、その様子をつまらなそうに横目に見つつふと表情を変えた。


「でもねリテリア。ロステムのことならそうやって受け流すこともできるでしょうけど、本来縁談と言えば、わたくしたち兄妹の中で一番大変なのはあんたなんだからね」

「どういう意味ですか?」

「女王陛下が最も可愛がってるのはだあれ? ある日突然、これと決められた人が連れてこられて、有無を言わせず結婚させられるわよ。それもあんたに女の徴が来たら、すぐにでもね。わたくし、それであの人がぼやいているの、この前聞いたもの。そろそろリテリアの婿を探さねば――って、ねえ、ルル」


 姉に話題の先を向けられると、妹はちぎれんばかりに首を振って肯定の意思を示す。

 母の話になると、リテリアは途端に表情がこわばった。


「それは……つまり、お母様が私を離れさせたがっている、ということですか?」

「さあね。気むずかしくご高承な陛下であらせられるのだもの。何考えてんのかなんて、頭の悪い第一王女わたくしにわかるはずがないでしょ?」


 不安そうな妹にララティヤは皮肉っぽく顔をゆがめて言い捨てると、急に立ち上がり、前ぶれなく歩き出す。

 リテリアは虚を突かれて慌てた。


「あ――お姉様、もうお帰りになるのですか?」

「飽きたわ。別の遊びを探しに行く。いらっしゃい、ルル」

「はい、ララ姉様」


 気まぐれな長女のことだ。リテリアをからかってやろうと思って突撃してきたものの望む反応が得られず、本人の言う通りあっさり飽きたのだろう。

 嵐のようにやってきて、風のように去っていってしまう。

 ついでにさりげなく一つ座り心地のいいクッションが持って行かれたが、どうせ山のようにあるし、いらないと言っても増えるものなので、リテリアも些事は気にしなかった。


 彼女の心の中にぽつんと一つ闇を落としたのは、姉の言葉である。



 母が自分の縁談相手を探している。成人の女の徴がきたらすぐにでも嫁がされてしまう。

 ――それはつまり、母が、自分を切り捨てたがっている、かもしれない、ということ。


 幼いリテリアには相変わらず母親が何より大切だった。

 母は娘を狭い世界に閉じ込めて束縛したが、同時にそうされることで、リテリアは母とのつながりを、安らぎに似たものを感じることができた。

 その母が、まさかあっさり自分を宮殿の外に出す計画を立てているだなんて。


(ちっとも、知らなかった)


 さまよわせた指は手元の楽器に落ち着く。つまはじく弦がたわんで耳障りな音を出す。


 ――可愛い仔猫ちゃん。


 母の甘い声。母の優しい手。けれど何故だろう、目を閉じればいつも彼女を安らぎの中に迎えてくれていた縁の記憶が、今は早く出て行けと形の見えない扉を示す。


(他に行ける場所なんてないのに――)


 リテリアははっとして頭を振った。心に浮かびかけた邪念を振り払おうとする。


 今までずっと、何があっても母の言うことを聞いて、母を信じて、母のために生きてきた。それを――いけないことだ。どんなにささいなことでも、反抗心を、反発を覚えるだなんて。


 ところが黒もやのような感情は、いつになくまとわりつき、リテリアを覆っていく。



「仔猫ちゃん、今日は何をしていたの?」


 帰ってきた母に、次女はいつも通りの人なつこい微笑みを浮かべる。


「今日はずっと、楽器の演奏を……」

「そう。楽しかった?」


 少し前までは一生懸命、一音たりとも漏らすまいと聞いていた言葉が、今だけはふわふわ浮いてどこか遠くに聞こえる。リテリアはにこやかに母に応じていたが、気がつけばふとした瞬間に意識が母の胸元に逸れる。


 そこにはじゃらじゃらと、色鮮やかな首飾りが揺れていた。

 脳裏に、彼女の絶対のルールであった、神であった女王に何度も繰り返し聞かされてすり込まれた言葉が蘇る。


(あなたの言うことならなんでも聞いてあげる。たった一つのこと以外は)

(駄目よ。それだけは、たとえあなただろうとも許してあげられない)

(宮殿の奥、神域に行ってはいけません。そこには神様がいらっしゃるのですから)


 人はどうして、してはいけないと言われることに魅了されるのだろう。

 ほの暗い気配のただよう秘密は、どうしてこんなに甘い香りを放つのだろう。


 母の初めての裏切りへの予感は、娘に初めての裏切りを誘わせる。


 リテリアの黒い瞳が、きらりと暗く輝いた。

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