7-2 願いと祈り

 秋の夕暮れは過ぎゆく夏の名残を携えながら涼やかな風を確実に運んでくる—。秋が深まるにつれて、真智子の課題曲の練習にも弾みがつき、サクマピアノ教室との関係も少しずつ深まっていった。


 真智子が桐朋短大に通う合間にサクマピアノ教室に行き来するようになった一方で、諒も慎一と連絡を取り合い、萌香を連れて、慎一と真智子が暮らす部屋に遊びに来るようになった。互いに行き来し合うことが、萌香にとって良い刺激となるよう、そして諒が本格的に忙しくなった時にあまり寂しくならないよう、諒なりに配慮してのことだったが、慎一にとっても真智子にとっても無邪気な萌香と過ごすひとときは心安らぐ時間にもなっていった。


 その一方で、慎一と諒はもうすぐ6歳の誕生日を迎える萌香のためにも意気投合し、12月にクリスマスコンサートを実現できるよう計画していた。慎一も諒も忙しいこともあって、あまり大掛かりにはせず、互いにクリスマスにふさわしい曲を選曲して、アドリブで連弾することにした。声をかけるのもサクマピアノ教室のスタッフや生徒たち、親しい友人、美紀の知り合いの音楽関係者など、内輪に限定した。


 また、真智子が卒業した後の慎一と真智子の結婚披露パーティの会場としてサクマピアノ教室のピアノサロンを使わせてもらうことになり、来年の3月中旬の日程で早めに押さえてもらった。結婚式も諒の伝手で近くの教会を押さえてもらい、身内だけ集まって、挙式することにした。


「この教会で私と萌香の母親も挙式したんだ。私と彼女は別れたけど、別れたくて別れたわけではないからね。あの日のことは今でも大切で幸せな思い出なんだ」

そう言って、諒は当時撮った記念写真を見せてくれた。白いタキシード姿の諒の隣には白いウエディングドレス姿の美しい異国の女性が映っている—。


「モカのママ、きれいでしょ」

「そうね。とってもきれいね」

「モカがもうすこしおおきくなったら、パパといっしょにドイツってくににいるママにあいにいくってパパとやくそくしてるんだ。ママ、よろこんでくれるかな?」

「そうね。きっと喜んでくださるわ」

真智子は咄嗟に相槌を打った。

「……だけどね。ママはもうにほんではくらせないからね。モカがあいにいくまではあえないんだって、パパがいってた」

「そう……それは残念ね。でもいつか会えるといいね」

「それからね。モカのママはにほんごがわからないから、パパとおばあちゃんからドイツごもすこしだけおしえてもらっているの。それからね。えいごもおしえてもらってるの。だけど、なんだかむずかしいし、それより、ピアノがたくさんひけたら、ママはきっとおおよろこびだよってパパがいうから、モカ、がんばってれんしゅうしてるんだ!」


「萌香ちゃん、偉いね。それで頑張ってピアノの練習してるんだね」

萌香と真智子の話をそばで聞いていた慎一がしみじみと言った。

「ママもモカにピアノをひいてくれるかな?」

萌香がぽつりと言った。


「萌香のママはね。今はシスターとしてで教会で働いてるんだって。萌香のためにもお祈りしてるんじゃないかな」

諒が萌香の問いかけに答えるように言った。


「そうなの?」

「うん。最近、ドイツにいる友人の伝手で聞いたんだ」

「ママはきょうかいでモカのためにおいのりしてるのね。じゃあ、モカもピアノのれんしゅうがんばるね」

萌香は納得したように大きく頷くと、晴れ晴れとした表情で微笑んだ。



 

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