5-10 萌香との約束

 お披露目会を終え、美紀がピアノ教室内を案内した後、今度は真智子の演奏会で再会することを約束して、慎一と真智子は帰途につくことになった。帰り際、萌香は少し名残惜しそうにしていたが、慎一と真智子がそのうちまた来ることを約束し、萌香も納得した。


「マチコせんせいはモカのあたらしいピアノのせんせいなんだからわすれちゃダメですよ」

帰り際、萌香は真智子に駄々をこねるように言った。


「もちろん、忘れません。だけど、その前に萌香ちゃんの先生になれるように卒業の課題も頑張らないといけないからね」


「真智子さん、期待してるわ。慎一さんもこれからも諒と仲良くしてやってくださいね。今日は訪ねてくださってありがとうございます」

美紀も念を押すように言った。


「もちろんですよ。今日は楽しいひとときをありがとうございました。では、今度は真智子の演奏会で」

慎一はそう言うと門の前に立っている諒と萌香と美紀に手を振った。真智子も慎一につられて手を振った。


「じゃあ、また」

諒が手を振ると、萌香も美紀も手を振った。


—慎一と真智子は深々と頭を下げると石神井公園駅の方へと向かった。


 慎一とふたりきりになると真智子は慎一と手を繋ぎながら改まったように言った。

「今日はお陰様でなんだか楽しかった。それに、諒さんだけでなく、萌香ちゃんや美紀さんに出会えて、思いがけないお話もいただいて、ほんとうに素晴らしい機会だったわ。ありがとう」

「僕の方こそ昨日、諒と友達になったばかりで、こんな機会に恵まれるなんて思いもしなかったよ。音楽って大切な縁を運んでくれるよね。真智子と僕も音楽への思いゆえにこうして一緒にいれるようになったんだし、諒のように親しくなれる音楽仲間もできて、嬉しいよ」


「だけど、今日は突然、押しかけちゃったけど、ホントに大丈夫だったかな?それに、諒さんは医学部に通っていらっしゃるんだから、これから、大変ね。ピアノは趣味ということなのかしら?」

「そうだな、どうだろう?諒ほどピアノが弾ければ、二足のわらじみたいな感じになるのかな?諒とは昨日会ったばかりでこんな風に家族ぐるみで付き合うことになるなんて思ってもみなかったけど、きっと今日はピアノ教室は夏休み中だったから誘ってくれたんじゃないかな?」

「きっとそうね。ピアノ教室には誰もいなかったし…。それから、萌香ちゃん、お母さんがいないのは少し心配ね。もちろん、美紀さんが若々しくて素敵な人だし、とても可愛がっていらっしゃるのはよくわかったけど……。それに、あの若さでおばあちゃんなんて嘘みたいだし」

「確かにそうだね。諒も美紀さんも留学先のドイツで大恋愛の結果ということだから、ドラマチックだよね」


「慎一も留学先でそういう人はいなかった?」

「まさか。僕が真智子ひとすじなのは真智子が一番よくわかっているはずだよ。確かに留学先では突然、連絡できなくなったりしたけど、落ち着いてから奈良から連絡したよね」

「そうだったね。あの時はもうこれで連絡取り合えなくなるんじゃないかと思って、ほんとうに心配したんだから……」

「ちゃんと真智子にハンガリーのブタベストのお土産も買ってきたし」

「うん。慎一からもらった指輪、実は今もはめてるよ。ほら」

真智子が左手を斜め上の前方にあげ、空に翳すと薬指の指輪をキラリと光った。


「結婚指輪もそのうち探しにいこうね。結婚式の段取りとかずっとそのままになっていてごめん」

「いいよ。いいよ。お互い、演奏会のこともあったし、その後は私は卒業の課題もあるし、慎一だって、また、芸大での課題や今回のような演奏会やコンクールとか、何かと忙しいでしょ。諒さんとも何かイベントを企画するのかな?私も美紀さんのピアノ音楽教室の手伝いをすることになったし—、といっても卒業の課題が優先だけど萌香ちゃんとも約束しちゃったからね」

「とにかく、お互い忙しいけど、結婚式のことも時間を見つけて話し合いは進めていこうね」

「あ、じゃあ、結婚のお披露目の演奏会はさっきのサロンでするのはどうかしら?」

「それは良い案だね。じゃあ、そのうち相談してみようか」

「そうね。先ずは今度の演奏会でも良い印象を持ってもらうように頑張るわ」


慎一と真智子は意気投合し、はやる気持ちで浮き立ちながら、帰り道を急いだ—。



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