5-9 曲を通して広がる世界

—その後、萌香は嬉しそうに目を輝かせると慎一の方を見た。

「つぎはシンイチさんのばんですね」


「萌香ちゃん、かしこまりました。リストの『愛の夢』は今、一緒にいる真智子と出会った時の思い出の曲です」

慎一はグランドピアノの前に立ち、丁重にお辞儀すると、椅子に座った。

「わ〜!どんなきょくか、はやくきかせて!」

萌香の無邪気な声が室内に響き渡った。


 慎一は微笑みを浮かべるとリストの『愛の夢』を弾き始めた。室内は慎一が奏でるロマンチックな旋律に包み込まれ、皆が穏やかで瞑想的な表情を浮かべている—。何度聴いても人の心を惹きつける慎一の演奏を聴きながら、真智子は誇らしいような思いで一杯になった。


「シンイチさんはロマンチストなんですね」

慎一が演奏を終えると萌香が拍手しながら、呟くように言った。


「そうだね。慎一は素晴らしい曲をたくさん弾けるんだよ」

諒が萌香の呟きに応じると、美紀も満足気な笑みを浮かべて言った。

「慎一さんは素晴らしい才能に恵まれていてこれからが楽しみね」


「わたしもシンイチさんみたいにもっともっとピアノをひけるようになりたい!」

興奮気味に叫んだ萌香を宥めるように膝に乗せると、諒は言った。

「それには、たくさん練習しないと」

「はい、モカ、ピアノのれんしゅう、がんばります!次はマチコせんせいのばんですよ」


 諒と萌香の様子を微笑ましく見つめていた真智子だったが、萌香の一言にはっとしたように起立するとグランドピアノの方に向かった。

「えっと、私は桐朋短大の実技試験でも弾いた曲、ドビュッシーのベルガマスク組曲『プレリュード』を弾きます」

ピアノの前でお辞儀し、椅子に座ると真智子は静かに深呼吸した。


—萌香ちゃん、気に入ってくれるかな—

そう思いながら、真智子は美紀の視線も気になった。


—慎一も絵梨も気に入ってくれた曲だからきっと大丈夫—。

 

 真智子は緊張を解きほぐすように一瞬、目を瞑った。そして目を開き、鍵盤に意識を集中させると、冒頭のフレーズを弾き始めた。真智子が奏でる爽やかで明るくどこか即興的な旋律に皆が聴き入った。


「マチコせんせいがひいたきょくはものがたりのようでドキドキしました」

拍手しながら真智子に笑顔で感想を伝えている萌香の様子を見ながら、美紀も満足げに呟いた。

「よかったわ。真智子さん」


美紀に向かって萌香がすかさず叫んだ。

「つぎはおばあちゃんだよ」

「ええ、そうね。私はメンデルスゾーンの『春の歌』を弾くわ」

「おばあちゃんがひくはるのうたはことりさんがうたってるみたいにきれいなのよ」

「萌香、ありがとう。じゃあ、おばあちゃん、頑張る」


 美紀はにこやかに笑って、お辞儀をした後、ピアノに向かうとメンデルスゾーンの『春の歌』を弾き始めた。心弾むようなこまやかな旋律がキラキラとちりばめられ、室内の空気がふんわりとした清涼感に包まれていく—。美紀が弾く音の響きは優しさで溢れ出す泉のように皆の心を擽った。


「おばあちゃん、ありがとう!」

萌香が弾き終えた美紀にまっしぐらに向かっていって抱き着いた。

「まあまあ、萌香は甘えん坊さんね」

「きょうはありがとう。とってもたのしかったよ」


 萌香と美紀の仲睦まじい様子に見入っていた諒と慎一と真智子は、互いに目と目を合わせ穏やかな笑みを浮かべていた—。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る