4-10 諒からの誘い

 一方、慎一は何か思い出すことでもあるのかとても真剣な表情をしていた。そういえば、一緒に暮らし始めたばかりの頃にも真智子がまだ学生であることを慎一が気にかけてくれたことには慎一なりの真智子への思いやりの気持ちもあってのことだったのだと不意に真智子は思った。


「諒さんも慎一と同じでお母様思いなのね」

真智子がしみじみとした口調で呟いた。

「同じじゃないさ。同じなわけないだろ」

諒がぶっきらぼうに言ったので、真智子は内心慌てて言い直した。

「もちろん同じではないと思うけど、慎一も諒さんもお母様思いだなって思って」


「とにかく、母はまだまだ元気だから。昔、ピアニストとして活躍した時期もあるけど、私を生んでからは舞台にはあまり立たなくなったらしいんだ。それで、ピアノ教室の先生をしたり、音大で非常勤教員を務めたりしながらピアノを続けて、今は音大の理事も務めていて音楽界で顔がくらしい」

「えっ、諒さんのお母様、ピアニストでご活躍だったんですね」

「詳しいことはよく知らないけど、今回の演奏会の出演も母からの依頼でね。話を戻すとそういった訳で、慎一とせっかくこうして親しくなれたんだし、母にも紹介したいんだ。母はきっと慎一のことをきっと気に入ってると思う。なんたって、慎一は昨日の演奏会でトリを務めたピアノ奏者だからね。それで、演奏会での慎一と私の連弾の実現にきっと協力してくれると思うんだ。だから慎一。是非、そのうち家に来てくれると嬉しい。真智子さんもよかったら、是非一緒に。娘の萌香もきっと喜ぶと思うから」


「そうか。わかった。僕も諒との連弾を演奏会で実現したいからね。8月下旬に真智子の演奏会があるから、その演奏会が終わった頃にでも真智子と一緒に遊びに行くよ。真智子もその頃なら一緒に行けるよね?」

「ええ、だけど、今は夏休み中だし、それまでにも空いてる日はあるわ」

「ところで、諒が住んでる所って場所はどの辺?」

「実はここから近くて石神井公園付近でピアノ教室とピアノサロン風イベントスタジオを母が運営しているんだ」

諒は鞄から名刺を取り出すと慎一に渡した。名刺には「サクマピアノ教室」と表記されていて、住所や連絡先、石神井公園駅からの簡略な地図が記されていた。


「ホント、近くて奇遇だね。じゃあ、細かな日程については真智子とよく相談して携帯に連絡するから」

慎一は名刺をじっと見ながら言った。

「ありがとう。母も萌香もきっと喜ぶよ。娘の萌香のことは母が母親代わりに普段は面倒を見てくれているんだけど、どんなに頑張っても萌香にとっては祖母だからね。それに母も何かと忙しくしていてね。萌香は今、甘えたい盛りで生意気になってきたから何かと大変なんだ。私は今は夏休み中だから家にいるけど、普段は大学生として筑波大に通ってるし。…実は昨日の演奏会にも母と一緒に聞きに来てくれていたんだ。萌香も普段、母からピアノを習っているからね。あっ、私が教えることもあるけど私は母のように丁寧に教えられないし、萌香のこととなると冷静になれなくてね」


「じゃあ、萌香ちゃんは今日もパパの帰りを待ってるわね。なんだったら、今日、もう少ししてから遊びに行くっていうのはどうかしら?急すぎて失礼になるかしら?慎一は疲れてる?」

諒の話が気になっていた真智子は咄嗟に慎一に提案してみた。

「僕は大丈夫だけど、諒の家の都合もあるよね」

うちもどこかに散歩していたりする可能性はあるけど、たぶん、真智子さんが言うように萌香は私の帰りを待ってると思う。今、連絡して、都合を聞いてみるよ」

諒は携帯電話を鞄の中から取り出し、画面を見てチェックすると、そのまま耳元にあてた。


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